COE疲れ

「Mixi疲れ」ならぬ「COE疲れ」という言葉を、ある大学の先生から教えてもらった。

 この言葉が意味するところは簡単である。COEをはじめとした大規模な競争的資金を獲得して研究を進めることに「疲れ」を覚えはじめた大学教員が増えてきており、次々と戦線離脱し、研究室に再びこもり始めている、ということである。

 僕なんか「ペーペー」は、そのクラスのグラントに申請したことなどもないけれど、それを獲得したことによってふってくる事務作業やワークロードは半端ではないと、噂には聞いている。

 獲得できる資金もメガ級ならば、研究計画もメガ級、それに付随する「両腕いっぱい広げたくらいの報告書、事務書類」もメガ級。「publish or perish(論文をだすか、滅亡するか)」ではないけれど、強い成果期待と、その評価業務に忙殺されることに加え、さらには、社会貢献も行わなくてはならない。シンポジウムとなれば、海外からお客様は呼ばなければならないし、研究のアウトリーチ活動もしなければならない。
 さらには、そのクラスのグラントになると、研究者単独で応募できるわけではないので、研究者間の調整なども行わなくてはならない。研究者間の関係は、相互にリスペクトしあうフラットな関係が多い。いきおい、「調整」が難儀らしい。

 もちろん、こう言うと、「そんなのもらってきたお金で人を雇えばいいではないか」という声が聞こえてきそうである。

 しかし、「雇った人」には「できること」と「できないこと」がある。すべてを彼\彼女が引き受けることのできるわけではない。先ほど述べた「調整」などは、どうしても、代表者がやらなくてはならない。
 また「雇った人」は「マネジメント」しなければならない。ただでさえ忙しい中で、「えーい、そんなんだったら、オレがやった方が早い」と思ってしまうことも、あるんだとか、ないんだとか。「1人雇えば、仕事が1人分楽になるか」というと、どうもそうはいかないらしい。

 ちなみに、こうしたワークロードを引き受けても、おそらく、大学からの給与は全く変わらない。毎月同じ給与明細が届くだけである。そして行き着く先が「COE疲れ」。

 もう、オレは疲れた・・・。
 もう研究室の明かりを消して、細々と自分の研究をしよう、本を読もう、ということになる場合があるんだとか。

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 法人化の流れとともにはじまった大学への競争的資金の配分は、いまや、加速することはあっても減速することはない。しかし、それで「元気だった研究者」が疲労困憊し、疲れ果て、研究室にこもってしまうことになってしまっては、あまり意味がない。

「先頭にたつ勇気」ではないけれど、COE申請などを引き受け先頭にたった人が、もっと報われるシステムを構築しないかぎり、この問題は、長期的にはかなり深刻な影響を、じわじわと与えると思う。