「自分探し」というメタファが危険な3つの理由!? : 人生は「違和感」と「ピボットターン」である!?

 かなり前のことになりますが、ある若い学生さんと話していたとき、こんな一言をもらしました。

「先生、わたし、今、"自分探し中"なんです。何をしてよいかわからないし、何からはじめてよいかもわからない」

 なるほどね(笑)。

 まー、僕自身も今の職業につこうと思ったのは大学4年生の時、もしかしたら、「本当に仕事につけるんぢゃなかろうか」と「妄想 of 妄想」を感じたのは博士課程1年生の頃でしたら(笑)、大学1年生から、なかなかそれを探すのも難しいんじゃない、と思います。

 こういう問いに対しては、いつもでしたら、

「あわてない、あわてない、ひとやすみ、ひとやすみ」

 と「一休さん的」にかえすのですが、

「あっやばい、この世代には、一休さん、わかんないかも」

 と思ったことと(笑)、すこし思い詰めている顔色だったので、もう少しだけお話をすることにしました。

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 自分のやりたいことがわからない
 僕、「自分探し中」なんです

 こういう話をきくと、いつも思い出してしまう言葉があります。
 北九州市立大学の見舘先生から以前教えてもらったもので、役者の役所広司さんがどこかでおっしゃっていた言葉だそうです。

 自分探しって言いますけどね、
 見つかりませんよ。
 自分は「ここ」にいるんだから
 (役所広司)

 
 先ほどの学生さんは「自分探し中」と自己を表明なさっていましたが、それを伺った僕の感想も、まさに役所さんの気持ちそのもので、まったく共感できます。
 さらに思索を深めていくと、90年代に流行した「自分探し」というメタファは、少し危険だよな、とも思ってしまいます。

 「自分探し」というメタファは、

1.「現在の自分」とは「遠くかけはなれた場所」に、どこか「今の自分とは異なる自分」がいると考えてしまう点

2.「今の自分の周囲においてやらなければならないこと」と「理想の自分を探すこと」が乖離しているようなイメージを与えてしまう点

3.そして「探す」というメタファには「終わりはない」と感じさせてしまう点=すなわち、「永遠に自分探し中」となってしまう可能性がゼロではない点

 において、僕は大変危険だと思っています。
 僕はたぶん自分の子どもに「自分を探せ」とは死んでもいわないと思います。
 だって、おまえ、ここにいるぢゃんか(笑)。

 このメタファを過剰に信じてしまうと、「現在の自分」を放棄して、「今の自分」を探そうとするのではないでしょうか。
 あるいは、「今自分がやらなければならないこと」と「理想の自分を探すこと」が「別物」だと考えてしまうのではないでしょうか。

 僕はそうした状態を懸念します。
 そして、僕の持論はこれとは「まったく逆」です。

 ワンセンテンスで申し上げますが、

 自分を探してはいけません。
 あなたは「ここにいる」のです。
 そして
 今のあなたが「すべての起点」です。

「結局、今の自分なんだ・・・」

 このことから議論をはじめることは、一見、希望も夢もないように感じるかもしれません。しかし、ここがすべてへの前提です。すべての起点は「今の自分を受け入れること」です。そのうえで、さらに行動を為していきます。
 そして、ここからの行動を要約しているのが、僕の持論である「人生ピボットターン理論」と「人生は違和感理論」という2つの「なんちゃって理論」です。

 大学には、自分のやりたいことを見つけたい若者が、毎年はいってきます。いちおう、なんちゃって大学教員の小生も、そうした若者に相対することも少なくなく・・・・そんなとき、僕は「人生ピボットターン理論」と「人生は違和感理論」という「なんちゃって持論」を、ひそかにお伝えします。

「将来、何をしていいかわからないんですぅ」
「どんな仕事についていいか、わかんないですけんのー」

 といったような就職活動手前の学生さんが、今仮にいたとして、万が一人生最大の過ちを犯し(笑い)、「他人の話を聞けない星人」であるこの僕に(笑)、人生相談なんかをしはじめちゃったとして、もし僕が、彼/彼女に語りうることがあるのだとしたら、それはひと言。

 「人生の選択とはピボットターンです」(笑)。
 「やりたいことは"やったあとの違和感"から見つけなさい」(笑)

 そう告げるでしょう。

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 前者、「人生ピボットターン理論」とは、バスケットのピボットターンに由来します。「ピボットターン」とは「片方の足を「軸足」として動かさないで、もう片方の足でくるくると移動する、ちょっと奇妙なアレ」ですね。
 ピボット(Pivot)とは「軸」という意味ですので、ピボットターンは「軸足を使った旋回」ということになりますね。

 周知のように、バスケでは、いったん立ち止まると、「両方の足を動かしちゃう」と、バイオレーション(違反)になります。「両足」はいっぺんに動かせない。いったん動きをとめた選手は、必ず、「軸足」を決めて、「もう片方の足」で、くるくると回り出す。
 ほんでもって、パスして、次に動き出すのが一般的ですよね。つまり立ち止まったからには、「くるくる」がある。きっと、若い頃、皆さんもやったことあるでしょう。

 ほんでもって・・・第一の理論「人生はピボットターンである」という僕の言葉の真意、要するに言いたいことは「何か」と申しますと、2つです。

 まずひとつめ、それは「軸足」の大切さです。

「何か新しいことを発見したいと思うときには」には、まずは自分の「軸足」をどこに定めるかが大切なんだよ、ということです。軸足ですから、今の自分がたっている地平にしか、そのきっかけはありません。「軸足」は「今まで自分がやってきたことのなかしかない」ということです。

 あなたは「自分が、今までやってきた経験・培ってきたノウハウ」を「軸」にするしかない。とはいえ、「過去は変えられません」ので、あなたが「自分の過去」の中から、何かひとつを「軸」として「意味づけるしかない」ということです。

 まずは、大きく息をすって、地に足をつけてください。
 そして「軸足」を決めて下さい。
 あるいは
 「軸足」を意味づけて下さい。
 

 「軸足」は決めるしかありません。
 「後付意味づけ力」も大いに駆使して下さい。「軸足」だと信じて意味づけるものが「軸足」になります。軸足の根拠である「過去」は変えられません。でも、意味は自由に付与することができます。

 その上でさらに、大切なことは、「軸足ではない、もう片足の自由奔放さ」です。
 これがふたつめです。

 あなたがどんなに新しい領域に踏み出そうとした場合にでも、「軸になる足」だけは決して動かさず、逆に、自由になる反対側の足は、縦横矛盾に「くるり」「くるり」と動かす。

 ここで大変に重要なことがあります。
 それは、僕の第二の持論「人生は違和感理論」に関係します。
「人生は違和感理論」は「自由奔放な片足=軸足ではない足」をいかに動かすかということに関係します。

 「人生は違和感理論」とは、ワンセンテンスで申し上げますと、

 自分の「やりたいこと」がわかるヒントは、やってみて、違和感を感じてみなきゃわからない、ということです。
 人は「次の行動の指針」を決めるとき、「やる前に思っていたこと」と「やってみたあとに率直に感じたこと」のあいだの「ズレ」や「違和感」を感じることからしか判断はできない、ということです。

 やってみて、「あっ思っていたことと違うな」という違和感を感じれば、他のことにチャレンジすれば良い。やってみて、なんか悪くないなと思えば、そのままやりつづけてみればいい。つまりすべての判断の根拠は「違い」であり「違和感」なのです。

「自由奔放な片足」をおっかなびっくりある地点におろし、何かを実際にやってみる。そこで「やってみたあとに率直に感じたこと」が「自分の心の声」と近いなら、とりあえずは、そのままやりつづけてみる。
 もし、万が一、違いを感じてしまったのなら、また「自由奔放な足」を他の場所にうつし、自分のやりたいことに近くなるまで、トライしてみる。
 僕は、こうした行動の積み重ねでしか、人は、やりたいことがわからないし、意味づけられないんだろうな、と思います。とりあえずは、いつかは、必ず落ち着くことを信じて。実際のリアル社会では、泣いても、吠えても、「落ち着かざるをえないリミット」がやがておとずれます。

 もっとも避けたいのは「動きださないこと」です。
 動きださず、片足も動かさず、ただただ「考えてしまうこと」です。
 そう、立ち止まって「自分探しの夢想」をしてしまうことです。
 
 若い人に求められることは「自分を探す」なんていうメタファに酔うことではありません。

 まずは地に足をつけることです。
 そのうえで、自分の軸足を見つけることです。
 さらには、自由奔放な片足を、心ゆくまでまずは「何でもかんでも手あたり次第にやってみて」大いに「違和感」を感じなさいな(笑)。

 大丈夫、「違和感」を感じたくらいじゃ、人は、くたばりません。
「シオシオのパー」にはならないし、「手遅れ」にもならないから(笑)。

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 今日は「人生ピボットターン理論」と「人生違和感理論」を紹介しました(笑)これらはアカデミックでもなんでもない、単なる「僕の持論」なので、真に受けなくて結構です。でもね、気持ちはわかるよ。僕も、ずいぶん時間がかかったから。

 やりたいこと、見つけられるといいね。
 地に足をつけてな。
 動き出してみなよ。

 違和感、心ゆくまで、感じなさいな。
 大丈夫、世界はほんとに広いから。

 そして人生はつづく