あったら怖い「学習放棄する人材開発」「画一的なダイバーシティ」!?

 「人にまつわる仕事」というのは、「他人に投げたブーメランが、自分にかえってくる」という性質があります。
他人に投げつけた問いや主張が「再帰的」に自己にも当然のことながら適用されるということです。

 僕は、おりにふれて、ーたいていは自分の身辺で何かがおこったときーこのことをつくづく思います(笑)。

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 このブログでは、何度も何度もでてくる話題ですが、たとえば「人材開発」の仕事であれば、

 あなたは他人に「学べ」という
 そういうあなたはどうなんだ?
 あなたは「学んで」いるのか?

 あなたは他人に「変わり続けろ」という
 そういうあなたはどうなんだ?
 あなたは「変わり続けて」いるのか?

 ということになります。

 世の中には、自分が学び、変わる覚悟がないのに、他人に学べ、変われ、と主張する言説が、残念ながら存在します。

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 たとえば、ダイバーシティ(多様性による経営)の仕事ならば、

 あなたは「ダイバーシティ」が大切だという
 そういう、あなたはどうなんだ?
 あなたは「ダイバーシティ」の中で仕事をしているのか?
 その主張は「他者にひらかれて議論されている」のか?

 ということになるのでしょう。

「ダイバーシティが大切だ」という主張そのものが、「画一性」を呈することになったとしたら、それは自己矛盾です。

 ひるがえって「教える」ということであるならば、

 あなたは、わたしに「ちゃんと教えて考えさせろ」という
 そういう、あなたはどうなんだ?
 あなたの授業は、ちゃんと「教えられて」いるのか?

 ということになります。

 リーダーシップの場合ならば、

 あなたは、わたしに「ちゃんとリーダーシップを発揮せよ!」という
 そういう、あなたはどうなんだ?
 あなたの組織では、リーダーシップが生まれているのか?

 ということになるでしょう?

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 注意したいのは、この「再帰性」に耐えられないからといって、別に、同種の言説を生み出す主体になってはいけないというわけではありません。何をいうかは個人の自由です。

 リーダーシップを発揮できない人が、「リーダーシップを他者にもとめて」も
 ちゃんと教えられない人が、他人に「ちゃんと教えろ」といっても、
 自ら学べていない人が、他人に「学べ」と述べても、
 ダイバーシティを主張する人が、こちこちマインドセットでも、

 それは論理的には「許容」されます。また、繰り返しになりますが、それは個人の自由です。お好きにすればいい。

 しかし「それを言われる側の感情」としては、そうはいきません。「おまえが言うなよ」ということになります。

 要するにワンセンテンスで申し上げますと「説得力がない」ということです。以上。

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 このように、人にまつわる仕事は、いつも緊張感が漂います。そして、この「緊張感」が最近感じられないなと思ったら、そこには「惰性」が忍び寄っているのかもしれません。自戒をこめて。

 そして人生はつづく