研修やワークショップへの「登壇後」はなぜ疲労困憊してしまうのか?

 最近の僕は、「研修」やら「ワークショップ」やらに登壇したあとは疲労困憊、喩えるのならば、もれなく「シオシオのパー」になってしまいます。

「シオシオのパー」とは、どういう状態かと申しますと、身体的には立ち仕事になりますので腰・肩・背中に疲労がたまりずっしり重く「燃え尽きている」感じで、対人関係的にはあまり他人と話をしたくならず「生ヘンジャー」を決め込み、しかしそれでいて、まだ知的興奮がさめやらず、時に、研修中の誰かの発言を思い出しては、「あーするべきじゃなかったかな」と思いなやみ、場合によってはなかなか眠つけない(笑)。はやく寝ろよ・・・。でも、それでいて、いったん寝付けば、もう「泥オブ泥」(笑)。次の日起きるのが辛すぎるという感じです。ワンワードで申し上げますと、もはや「廃人」(笑)。

 ま、僕だけかもしれませんが。

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 ところで、なぜこのような状態が生まれうるのか、さまざまな理由は考えられるのですが、理由のひとつにあるのは、「研修やら、ワークショップを為すこと」というのは、いわば「自分」を「交差点」におく行為に似ているのではないかと思うのです。一般論を述べるつもりは1ミリもありません。あくまで僕の場合はとお考え下さい。
 「交差点」では、さまざまな物事が激しい勢いでめまぐるしく交差し、自らもそれに翻弄されます。強いて3つあげるのだとすれば、「感情の交差」「視点の交差」「権力の交差」です。

 第一に「感情の交差」とは、研修やワークショップのファシリテータとは、時に、自分の感情を押し殺したり、逆に、感情を開放することで、すなわちパフォーム( Performing : 役割演技)をすることで、場の雰囲気をつくりだします。その感情の交差は、声や身振り手振りにあらわれます。

 ちょっと分野は違いますけれども、先日読んだ本のなかにアメリカの精神科医ハリー・スタック・サリヴァン「精神医学的面接」がありましたが、その中に「トレーニングした声」「デザイアとしての声」という概念がでてきます。

「トレーニングした声」とは、言うまでもなく、プロフェッショナルとして、トレーニングして作り込んだ、パフォーミングとして声です。
 一方、デザイア−とは「欲望」のことですから、後者の「デザイアーとしての声」とは、自分自身の感情が発露した声です。
 わかりやすいので、敢えて「声」に着目しますが、ファシリテータとは、こうした声をさまざまに工夫してもちい、場をつくります。そして、その際には、自分の感情が様々にねじれたり、よじれたりします。
「自分としては、これはやりたくない」けれど「場のためには仕方がない」ので、場を盛り上げるような発話をしよう。「自分としてはこうしたいけど、場はこれを許さない」ので、ここはこうでよう。こうした感情の交差は、非常に緊張を強いられます。ジェンダーの趣はありませんが、ホックシールドのいう「感情労働」に近いものがありそうです。

 第二の「視点の交差」とは、ファシリテータとは、研修室やワークショップで、参加者がどのようにあるのかを子細に「観察」しながらも、ときには研修室全体でどのようなダイナミクスが起こっているかを俯瞰的にみつめる目をどこかで持たなければならないことです。

 ワンセンテンスで申し上げるのだとするならば、ファシリテータは「虫の目」と「鳥の目」という複眼をつねに駆使しなければなりません。「警戒的明察性」ともいうべきアンテナを張り巡らし、場で起こっていることを見詰めなければなりません。そして、この2つの視点の交差、移動というものは、非常に緊張を強います。そろそろ「シオシオのパー」に一歩二歩近づいてきました。

 第三の視点は「権力の交差」です。
 これは、研修やワークショップの現場に駆動する権力の問題と、ファシリテータが意図して用いる権力移動の問題です。
 あたりまえのことを申し上げますが、研修やワークショップの現場というのは「権力から中立な空間」ではありません。
「どんなに今日はフラットでお話しましょう」だの、「今日はファーストネームで呼び合いましょう」だのいおうと、そこは権力が飛び交っている場です。学習者同士にも、立場、もっている知識、自己紹介するときに用いる名刺、スーツにひかる社章などで、権力勾配が生まれます。

 もちろんファシリテータと学習者のあいだにも権力勾配がうまれます。しかも、ファシリテータは、この権力勾配をときに自ら動かしながら、仕事をなしています。

 たとえば教室に「ここが安全な場であり、何でも話してもよい」という雰囲気をつくりあげるときには、学習者の下に自らのステータスをあわせます。しかし、一方で、まとめあげるとき、規範を抵触する行為が生じたとき、目標からそれたときには、自らのステータスを学習者の上に配置します。
 
 畢竟、研修やらワークショップをなすということは、権力勾配の操作を含むものであり、権力の交差空間に自らをおく行為です。そして、これがまことに疲れます。

 そして、このような3つの交差の果てにあるものが・・・「研修登壇後のシオシオのパー状態」ですね(笑)はい、いっちょできあがり。

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 今日は、なぜ「研修」やら「ワークショップ」やらに登壇したあとは、もれなく「シオシオのパー」になるのか、という「一銭の得」にもならないことを軽く論じてみました。

 こう書いてみると、かなり大変な機会にも思えますが、ビジネスパーソンの皆さんに参加してもらえる「学びの場」をつくるというのは、とても面白いことでもあります。

 皆さんのひとつひとつの仕事を通して、世の中を学ぶことができます。ああ、僕は何も分かっていなかった。世の中には、こんな仕事世界があるんだ。そういうことをひとつひとつ学ばせて頂いているのは、とても嬉しいことですし、それが研究に与える影響は非常に大きいのです。
 このような機会をいただきつつ、さらに「地に足のついた研究」を為していきたいと思います・・・気力・体力・知力のつづく限り・・・嗚呼。

 そして人生はつづく

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追伸.
追伸.
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