「子どもができて、学ぶことから遠ざかってしまう状態」をいかに防ぐか!?

「子どもができてからというもの、2年間、学びの場にくることを諦めていました。
 でも、今日は、久しぶりにこうした場にこれて、本当によかったです」

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 これは、僕の授業の卒業生で、現在、男の子をお育てになっている現役ママ、Mさんが、ある会合の最後にもらした一言です。ICレコーダをもっていたわけではないのですが、このような趣旨のご発言をなさっており、非常に印象的でした。

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 今週末は、僕が担当している慶應MCCのコース「ラーニングイノベーション論」の第一期から第7期までの卒業生の有志(企業の人事部におつとめの方が多い印象です)が、一同に会し、三浦半島で合宿が開催されました。今回の合宿を勝手ながら、ザザザとまとめさせていただきますと(!?)、その特徴は下記の3点かと思われます(まとめんじゃねーとつっこみが入りそうですが・・・)。

1)卒業生の皆様が独自に企画し、独自に司会をし、独自にファシリテーションを行って2日間にわたる会をおつくりになったこと
(ありがとうございました&お疲れ様でした。僕はなにひとつ司会もファシリテーションもせずに、一参加者として過ごしました。一参加者として学びの場に参加できることは本当に嬉しい事です)

2)家族での参加、子連れでの参加を認め、ベビーシッターさんを隣室に準備下さり、その間、親が学べるようにしていただいたこと

3)会のテーマを「ダイバーシティ」に設定し、人種・性別などの「わかりやすいダイバーシティ」に関する事柄から一歩先に議論をすすめ、「わたしたち個々人が、皮膚を隔て、そもそも違うとはどういうことか」ーいわゆる「見えないダイバーシティ」の議論をしたこと

 というわけで、2)の恩恵をうけて、我が家も、今回はTAKUZO、KENZOをつれて、家族で参加させて頂きました。ベビーシッターさんは、4家族が利用し、子ども同士、ワイワイと遊んでいたようです。心より感謝いたします。

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 参加してみて思ったこと、感じたことーとりわけ「ダイバーシティ」という非常に難しいテーマー関して想うところーは多々あるのですが、それはまた「別の機会」にさせていただくとして、今日は、この2)の点、すなわち「ベビーシッターさんを準備し、そのあいだに親が学べる環境をつくったこと」について書かせて頂きます。といいますのは、冒頭ご紹介したあるママのご発言が、僕にはとても共感できたのです。

 思い起こせば、愚息TAKUZOが生まれて、僕の生活は一変しました。これまでは週末だろうが、平日夜だろうが、暇さえあれば「研究会」によく出かけていた自分が、なかなかそうしたものに物理的に出かけることが難しくなったとき、僕は、同じような思いをもっていたことがあるのです。
 研究者が会する研究会などは、土曜日・日曜日などの週末に開催されるか、ないしは、平日夜に開催されることが多いのですが、そうしたものに、かつてほど、足繁く通うことができなくなりました。

 TwitterやFacebookなどでは、よく研究会などのまとめや、事後報告が参加者からなされます。自分のタイムラインに流れる、そうした情報を目にするたび、「うらやましいな」という思いを何度かもったことをよく覚えています。

 自分だけ置いていかれる思い
 なぜ、自分が参加できないのか、という、すこしの寂しさ
 このまま自分は最先端についていけなくなるんじゃないか、という焦り

 今となっては、こうした思いのどれも、ある程度「相対化」して考えることができますが、当時の僕は、ひとりすやすやと自分の膝で眠るTAKUZOを見ながら、こうした思いに駆られていました。

 最近は、それでも、事態もかなりかわってきていますね。学会などでも、ベビーシッターさんサービスつきの学会大会も増えてきましたが、まだまだ研究会や合宿のレベルではそう多いわけではありません。費用を誰がどのように負担するのか、そうした難しい問題もでてきます(今回は会がそもそもそういう趣旨で企画されておりました心より感謝いたします)。

 しかし、一方で、子どもをせめて一時だけでも預けて、学ぶ機会をほんの少しでもよいからもちたいと考える親は少なくないようにも思います。少なくとも僕のまわりには。僕の身近で子育てをなさっている親の方々を拝見していると、彼ら / 彼女らは、日常は、ほぼ「自分の時間」はなく、子どもに寄り添っています。だから、せめて数時間だけ、1日くらいは子どもから離れて、自分をアップデートしたい。もちろん、子育て自体から学ぶことも多々あることは言うまでもないのですが、いったんそれを脇において、自分の関心のあることを学びたいと考える人は少なくないように思います。

 僕は保育が専門ではないし、ここから先は「わたしの子育て論」なので、割り引いて考えていただきたいのですが、せめて数時間だけでも、「自分の学びの時間」をもつことは、何も「子どもを放置すること」ではないように僕には思えます。「親が学び、リフレッシュできる」と、子どもにも「よい影響」を与えうるのではないかと思うのです。
 これは個人的経験なのですが、数時間たとえば子どもを預けて、ふたたび子どもの顔をみたとき、以前よりも、子どもに優しく向き合えるような気がするのは僕だけでしょうか。リフレッシュをして、精神的な余裕をたもち、もう一度、新鮮な気持ちで子どもに向き合える。
(もちろん、これが契機で、子ども放置、子育て放棄につながるのだとしたら、そうした事態をふせぐ手立てを考えなくてはならないかもしれませんけれど・・・)

 そういう時間には学びたいと考える親御さんのニーズに、学びたいと願う現役ママ、現役パパの、どのように応えうるのか。そうしたものを、できるならば、社会としていかにインプリメントしていくのか。
 今回の研究会のテーマは、ダイバーシティでしたが、その運営手法そのものが、この課題に向き合っていたような気がします。

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 今回の研究会は、僕にとって、また新たな研究上の関心をもつきっかけになりました。
 まずは、今回の合宿の幹事団のみなさま、本当にありがとうございました。そしてご参加いただいたみなさま、家族ともどもお世話になりました&ありがとうございました。ベビーシッターさんや、そこに集った子ども達と、よほど遊び疲れたのか、KENZO、TAKUZOともに早々に寝てしまいました。心より感謝いたします。

 そして人生は続く