友とは「一本の覚悟をもった道づれ」である!? : 高村光太郎の「友よ」を読んだ!!

 まことに遅ればせながら、詩人・高村光太郎の「友よ」という詩に出会いました。
 先日、TAKUZOの子ども向けの!?詩集をパラパラめくっていて見つけたものです。

 まづ第一に言つておかう
 僕から世間並の友誼などを決して望むな
 僕は君の栄達などを決して望まぬ
 君のちひさな幸福などを決して祈らぬ
 君は見るだらう
 僕が逆境の友を多く持ち順境の友をどしどし失ふのを
 なぜだらう
 逆風の時に持つてゐた魂を順風と共に棄てる人間が多いからだ
 僕に特恵国は無い
 僕の固定の友は無い
 友とは同じ一本の覚悟を持つた道づれの事だ
 世間さまを押し渡る相棒だと僕を思ふな
 百の友があつても一人は一人だ
 調子に乗らずに地でゆかう
 お互にお互の実質だけで沢山だ
 その上で危険な路をも愉快に歩かう
 それでいいのだと君は思つてくれるだらうか

(高村光太郎「友よ」)

 高村光太郎さんは「危険な路をも愉快に歩く」ような「一本の覚悟をもった道づれ」を「友」とします。

 僕にも、そんな「友」がいます。
 面白いのは、僕の「友」は、僕が勝手にそう思っているということです。きっと相手は「友」だとも思っておらず、おそらく「戦友」「同志」くらいにしか思っていないことでしょう。しかし、「友達だよね」と確認し合うことが、「友の証明」ではないでしょう。だから、僕も、この友に、「友達だよね」ということは、一生ないと思います。きっと、さようならの瞬間まで。

 この詩、たぶん、TAKUZOには、まだ早いかなとも思いますが(笑)、生涯、友にぜひ出会って欲しいなと思います。

 そして人生は続く