部下育成できない人、論理思考できない人、リーダーシップを発揮できない人が「管理職」に登用されている!?

 ここ数年、ずっと心の奥底にあって、時折、頭をもたげてくる「思い」があります。
 僕の周囲の近しい人には、時折、思わず、ボヤいてしまうことなので、もしかすると、ご存じの方もいらっしゃるかもしれません。

 それは「働く大人の学び」を研究し続け、一方で、様々な研修などで、ビジネスパーソンの方々とたくさん出会い、一緒の学びの時間を過ごし、ついつい、思ってしまうことのひとつです。

 それは、ワンセンテンスで申し上げますと、「管理職になる前に学んで欲しいこと」と「管理職に必要な能力要件」のアンマッチに関することです。

 具体的には、

 ロジカルシンキングを、管理職になってからはじめて学ぶってことが、たまに行われていますが、これは、少し「変」じゃないでしょうか? 変というか、少し「遅い」ように感じます。

 論理的に考えることができる人を、管理職に登用するのが筋なのに、なぜ、それを管理職になった後で、はじめて学ぶのでしょうか?
 ということは、管理職に登用されたときには、論理的に考えられないってことでしょうか?非論理的な管理職が、職場をマネジメントしているということでしょうか。ロジカルに考えていくと、このあたりがわからなくなります。

 また、同じことはコーチングについても、リーダーシップについても言えます。

 管理職になってから、コーチングをはじめて学ぶのは少し変ではないでしょうか?
 なぜなら、ふつう考えた場合、コーチングができる人ー部下育成ができる人を、管理職に登用するのではないでしょうか? 部下がすでにできていて、しばらくたって、コーチングを学ぶってことは、そもそも部下育成ができないってことでしょうか? だとしたら、学習機会はもっと早くにあるべきのような気がしますが。

 また、

 リーダーシップについての学習機会を管理職登用後にはじめてもつっていうのも、少し変ではないでしょうか? そもそも、リーダーシップの発揮した経験のある人を管理職にするのではないでしょうか? 

 もちろん、「大人は生涯学び続ける」のですから、管理職であろうと、管理職でなかろうと、いつになっても、ロジカルシンキングやら、コーチングやら、リーダーシップやらを学びなおすことは大いに結構です。
 余裕があるのであれば、そうした機会がふんだんにあることは、望ましいことでしょう。

 しかし、その順番を考えた場合、少し「変」な気がするのです。ワンワードでいえば「遅い」。
 僕の疑念は、

 管理職になる前に、管理職になって必要になるスキルを「前倒し」て学ばなければ、管理職になってすぐにパフォーマンスを発揮することはできないのではないでしょうか?

 ということです。

 ちなみに、これが「変じゃないか?」と気づいたのは、ある外国人と、管理職の育成システムについて話していたときでした。

 曰く、

日本では、管理職になる「前」にもっていなければならないスキルを、管理職になって「後」で学んでいるのは、何か、特別な理由があるのかい?

 僕には、ある外国の友人から発せられた、この問いに明確な答えをだすことはできませんでした。
 かくして、僕には「管理職に登用する資格」と「管理職に求められる能力・スキル」の関係がよくわからなくなっています。

  ▼

 今日は、管理職の能力用件と育成についてボヤキを書きました。
 くどいようですが、管理職になってからも、学び続けるのだとしたら、いつになっても、そのような機会がふんだんにあることは望ましいことのようにも思えます。

 しかし、本来、管理職登用の際には、ロジカルに考えられて、コーチングもできて、リーダーシップを発揮できる人が一定以上いるように、管理職登用前から、様々な育成体系・仕事の割り当てを行うべきだと僕は思います。育成を、もっともっと「前倒し」て行わなければ、管理職になってからパフォーマンスを発揮することは難しいような気がするのですが、いかがでしょうか。

 さらにもっと極端なことを言うならば、こうもいえます。それは、

 リーダーシップ、ロジカルシンキングといったような知的生産の技術は、もっと「前倒し」て学んだ方がいい。それらを体感する経験は、もっと前倒して得られた方がいい

 ということです。

 誤解を恐れずいうならば、管理職登用前どころか、教育機関、果てには高校生のときくらいまでさかのぼって、こうした経験を付けて欲しい、と思うくらいです。

 これだけ変化が激しく、しかも、仕事が高度化・複雑化している社会です。今の高校でできるかできないかは別として、それだけ「前倒し」ても「早すぎる」ということはないだろうな、というのが実感です。今の教育機関にリソースが不足しているのであれば、リソースをとってくる運動だろうとなんだろうと、微力ながらコミットする覚悟で、僕は、そのことを申し上げています。

 このことは、本当に「壮大な回り道」をして気づきました。
「働く大人の人材開発」を研究して、もう15年弱。それをひたすらひたすらにやり続けてきて、これからもひたすら追い続けるんでしょうけど、ようやく見えてきたものがあります。それは、この国の、高校ー大学ー仕事の現場のトランジションにまつわる、いくつもの「断絶」です。
 いいえ、「壮大な回り道」ではなかったのだと自分を言い聞かせています。「学校以外の世界」を垣間見たから、はじめて見えてきたのだと思います。若い世代が、今後いかなる仕事の現場で、苦闘することになるか。僕は、少しはわかりかけています。

 研究的には、ここ5年間は、「大学と社会のトランジション」を、研究室の研究テーマのひとつにすえてきました。
京都大学の溝上慎一さん、中原研・溝上研ら大学院生の皆さんとの共同研究をまとめた「活躍する組織人の探究」は、その第一弾でした。こちらの研究は、研究室OBの舘野さんが中心になって、第二弾の論文、書籍をまとめています。

 中原としては、このあたりの内容をさらに広め、さらに深め、今年の春から、「高校」をも研究のスコープに入れていきたいと考えています。

 2015年春、「高校ー大学ー社会のトランジション」まで視野にいれた、大規模研究プロジェクトが動き始めます。もちろん、企業の人材開発研究は、これまで以上に引き続きガシガシと続けています。
「高校生プロジェクト」の詳細は3月にプレスリリースをさせていただきます。

 どうぞお楽しみに!
 そして人生は続く