身の毛もよだつほどの「むごい接客」はどこで「学ばれた」のか?

 先だって、あるレストランに、親戚一同出かけました。
 美味しいと評判のレストランだったので、とても愉しみに出かけたのですが、

 結論は、

「味はよかった。しかし、接客は身の毛もよだつほど惨かった」(号泣)。

 何が惨かったのかは、品が下がるので敢えて口にしませんが、ここ10年のうち「もっとも悪い」というレベルを通り越していました。「接客のレベルが、すごすぎて思わず笑えた」。いうてみれば、「惨い接客大賞」を受賞できるくらいのレベルでした(笑)。ここまでくると、笑えてしまうのが面白いところです。いや、本当に爆笑です(笑)。

 悔しいから(わけわからん?)、ひと言だけ言わせてもらうけど、

「ちゃんと、相手の目をみて、話を聴きなさい」(笑)。

「お客さんにはスマイルしてくださいね」とか「ホスピタリティって言葉を知ってますか?」とか、そういうレベルを僕は要求をしません。「僕の話をまともに聴いて下さい」、そのレベルでした(泣)。ここまでくると、笑えてきます、不思議です。

 しかし、仕事柄、こうした現場に出くわすと、俄然、とたんに楽しくなってきます。「惨い接客」のレベルを組織論的?に考えたくなってくるのです。ま、現実逃避(笑)と人はいうのかもしれません。

 まず、僕がもった仮説は

 惨い接客をしているのは、うちの家族を担当したA子ちゃんの個人的資質によるものである

 ということでした。つまり「接客の惨さは個人レベルである」ということになります。

 しかし、この仮説は、わずか0.1秒で棄却されます(泣)。
 下の階で食べていた(店の不理解のせいで、別れて座ることになった)親戚が、「下の階の接客もひどかった」とおっしゃっていたし、レジの接客も最悪だったので、それは少なくとも集団レベルで共有されていることが示唆されます。

 また「研修中」の名札をもった方の接客は、それほど惨いものではなかったので、「惨い接客」は、店に入ったあと「後天的に獲得されたもの」であることが示唆されます。
 ワンワードでいうと、このお店の職場風土で仕事をすることによって、「惨い接客」が学ばれてしまうということです。職場風土というものが、人材開発にもたらす影響は、かくのごとく甚大なものか、ふむふむと考え込んでしまいます。

 次に店をでたあと、スマホを取り出し、ネットで様々な情報を調べてみますと、このお店に関しては、「味はよいけれど、接客が惨いこと」が、随所で述べられております。
 それらの情報を「鵜呑み」にすることはできないにしても、レピュテーションのパターンが、ほぼそれらに収斂しているところを見ると、それは、他の店でも共有されているものと推察されます。

 ということで、「接客の惨さ」は集団レベルの問題ではなく、組織レベルの問題であることが、示唆されました(笑)。
 だって、遠距離の様々な場所で、同じような問題が指摘されるっていうのは、どう考えても、組織レベルの問題です。

 というわけで、僕は、ひどい目にあったにもかかわらず、満面の笑みで、店をでるのでした。もちろん「もう二度と行かない」し、様々に浮かんだ仮説を、調査で検証したくもないですが(笑)、なぜか「満足」した気分です。

 ま、いいか、いろいろ面白かったし、美味しかったし。

 僕の研究領域を学ばれると、このように、いかなる事態でも、それなりに愉しむことができるから、おすすめです。現実逃避なので、真に受けないように(笑)

 ふぅ・・・。
 そして人生は続く

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