「ちょっと頑張れば手が届くベター事例」か「誰もが魅了されるベスト事例」か!?:どんな事例を紹介すればいいのか?

「少し頑張れば手が届くようなベターな事例」か、それとも「誰もが魅了されるようなベスト事例」か?

「実践」を含む領域の場合、「事例」というものが重宝されます。理論的にはわかるんだけど、いざ実践するとするとイメージがわかない。よって「事例はなんかないんですか?」「いい事例がありませんか?」というニーズが高まります。人事・人材開発の世界は、まさにそうしたニーズの宝庫でしょうし、おそらくは教育の世界もそうでしょう。

 なんか、いい事例はないですか?
 どこかに、関連する事例はないですか?

 しかし、これら「実践事例」には「永遠の問い」がつきまといます。いわゆる「ベター・ベスト論争」です。
 たとえば、「ある変革の様子」を誰かが第三者に紹介するときのことを考えてみましょう。この場合、「変革の事例」として

「少し頑張れば手が届くようなベターな事例」を紹介するのがよいのか

 それとも

「誰もがいいなと思えるようなベスト事例」を提供するのかがよいのか、

 という疑問が浮かんできます。どんな事例をお話しすれば、オーディエンスに、その意義を理解し、実践してもらえるだろうか。しかし、この選択には、両者ともにメリットもデメリットも存在します。だから究極言えば、どっちでもいい。どっちにしても、メリデメは存在します。

「少し頑張れば手が届くようなベターな事例」は、確かに、身近でいいけれど、人によっては「なんだ、その程度のものか、しょーもない」「こんなものなら、やるに値しない」と位置づけられます。

 対して「誰もがいいなと思えるようなベスト事例」は、確かにすごいものですけれど、人によっては「あれは、あの組織だからできたことなんだ!」「あそこは特殊だからできたことであって、うちはそうじゃない、だからやらない」ということになります。

 要するに、ワンワードでいうと、「事例をいくら聞いても、動こうとしない人にとっては、ベターであろうと、ベストであろうと、あまり意味をなさないのです。ベター事例を聞いても、ベスト事例を聞いても「言い訳」や「いちゃもん」をつけることができる、ということです。

 結局、「実践すること」には「同じ場所」「同じ対象」「同じタイミング」というものは存在しません。そこに求められる知性は、「事例」を参照しつつも、それに耽溺せず、「自分の頭で考えること」、その上で「アクション」をかたちづくることです。「事例」はあくまで「事例」です。「事例」は「そのまま丸ごと」、あるコンテキストから、違うコンテキストに、あたかもモノを動かすように、適用することは非常に難しいのです。
 事例を重宝するあまり「自分で考えること」「アクションをつくること」を放棄してしまえば、そこに残るのは「言い訳」だけです。

「なんだ、その程度のものか、しょーもない。こんなものなら、やるに値しない」

「あれは、あの組織だからできたことなんだ! あそこは特殊だからできたことであって、うちはそうじゃない、だからやらない」
 
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 今日は「事例」のあり方について考えてみました。事例と向き合うとき、あなたはどのような態度でのぞみますか? 個人的には「事例」を耳にしたとき、「あそこは、こうやったのか・・・なら、俺は、こうはやらないようにしよう、さて、どうやって、やらかしてやろうか?」と、しめしめ考えるくらいがちょうど良いような気もいたします。

 そして人生は続く