「子どもの筆箱」に広がる「日常」、鉛筆を削りながら考えていること!?

 7歳の長男TAKUZOが小学校に入学してからというもの、僕が続けている「密かな!?習慣」に、「子どもの筆箱をあけて鉛筆を削る」というものがあります。

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 TAKUZOは、小生に似て、根っからの「靴下ポイポイ野郎」「シャツ出し人間」「引出し開けっ放し男」なので(!?)、鉛筆などを毎日削って整えておくような習慣など、期待できるわけもなく。最初のうちはしょうがなく、やっていたのですが、だんだんとこれが僕の習慣になりつつあります。

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 しかし、「子どもの筆箱をあけて鉛筆を削ること」を毎夜毎夜続けていると、そこには「鉛筆を削ること」以上の意味もあるような気がしてきました。

 印象論で恐縮なのですが、「子どもの筆箱」の中には、「子どもの生活の様子」が暗に表現されやすいように思います。

 たとえば、筆箱の中が荒れていて、鉛筆の芯も変な折れ方をしている。そういうときには、なんか胸騒ぎを感じます。
 ケシゴムにいたずら書きがされているときもありました。そんなときは、友達と何らかの出来事があったようです。
 鉛筆の芯の減りからも、その日、どの程度勉強していたのか、またどの程度ノートをとっていたのかがすぐにわかります。

 TAKUZOは、もう7歳なので、「かっこわるいので、親に言いたくないこと」「恥ずかしいので、親には知って欲しくないこと」もでてきているように思います。そして、誰に似たんでしょうか、まことに「言葉が足りない」(笑)。

 まぁ、「子どもの筆箱」を見て、そこから感じたことを、いちいち、本人にフィードバックするといったようなことは「全くない」ですし、僕が、こんな思いで鉛筆を削っているのは、TAKUZOは知りません。
 しかし、毎夜毎夜「子どもの筆箱」をあけて、何かの今日はどんな出来事があったのかな、今日は本人にとって、どんな日だったのかなと想像しています。

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 TAKUZOの夏休みも、もうすぐ終わりです。学校がはじまれば、僕の鉛筆削りも、また続きます。

 そして人生は続く