「雑談のうまい人」とは「ゆるいつながりクリエーター!?」:会話、この非論理的なもの!?

 夏休みを終え、久しぶりのブログ投稿です。まだ僕に夏休みボケの感は否めませんが、シャバ復帰、最初のお話は、軽く「雑談」についてのお話からすすめましょう。

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 聞くところによると、最近は(?)、「雑談ブーム」らしいですね。「雑談力」とか「雑談をできる能力」というのがもてはやされているのとか。まぁ、何でも語尾に「ちから(力)」をつければいいってもんじゃないと思うけど、そんな話を、日頃から仕事でご一緒している、某編集者の方から伺いました。

「雑談」について僕は1ミリも研究をしたことはないし、そんなデータももっていないのでので、「雑談とは何か?」「雑談をするためにはどうすればいいか?」を語る資格はあいにく持ち合わせていません。

 しかし、仕事柄、よくヒアリング&テープ起こしというのをやりますので、そのデータを見ていると、興味深いことがわかります。
 ヒアリングさせていただいた方の中には、おー、この人よく話が進むわな、という方、すなわち「雑談に長けている方」がいらっしゃって、そういう方の、文字おこしされたヒアリングデータを見ていると、「雑談がうまいとは何か?」を考えるヒントがすこし少しだけわかってきます。ほんのすこしだけど。

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 まず大前提にしなければならないのは、

 人間の会話とは「論理的」なようでいて、全く「非論理的」であることの方が多い

 言葉を換えて申し上げるならば

 人間の発話間には、あまり「つながりがない」

 という事実です。

 要するにですね、テープおこしされた発話データを見ていますと、人間の会話の「前の話」と「あとの話」はつながっているようでいて、「あまりつながっていないことの方が多い」ということなのです。

 誤解を恐れずにいうならば、

 人は「適当」に喋っている

 要するに

「多くの会話は、言いたい放題!?」

 なのでございます(笑)。人間の会話は「適当」だし、「言いたい放題」なんだけど、日常の生活においては、「ちょっとくらいの脱線」は、あまり問題にはなりません。会話とはそういう「いい加減な側面」を持ち合わせています。
 しかし、そうはいっても、全くの「適当パンチ」「新春大放談」というのでは会話にならない。じゃあ、どうするか?

 いわゆる雑談のうまい人というのは、まず「自分の中に話のレパートリーをたくさんもっている」。そのうえで、前におこった発話に「ゆるゆるでつながるような話」をさがし、接続詞や感嘆詞をうまく使いながら「ゆるいつながり」をつけていきます。

(前の話Aをうけて) へぇーそうなんだ。それってすごいよね。ところで、すごいっていうえばさ(全く別の話B)ってのがあってさ。

 という感じです(笑)。
 ここで重要なのは、AとBは、本人は「ところで、すごいっていえばさ」とつなげているようですが、実は、この話題間には「ほとんど関連がない」という事実です。
 文字面をおえば、この「つながりのなさ」はすぐにわかるのですが、人が会話をしているときには、論理がこれくらい跳んでいても、あまり気にはなりません。

 ヒアリングデータを見るにつけ考えるに、雑談のできる人っていうのは、まずAにつながるようなBやらCやら、様々な話題のレパートリーをもっている人。だから本を読むこと、他人の話に耳を傾けることは大切なのです。話題の束をもっていなければ、つながりをつけようにも、つながりがつけられません。
 そういう場合、

「だりーよね」
「たるくない?」

 結局、自分の身体や精神の状態を表現する発話のつながりにしかならないのです。
 そして、その上で、自分のもっている話題に応じて、適切な接続、すなわち「順接」「逆接」などの関係をつけられる人、ということになります。要するに「雑談のうまい人というのは、ゆるいつながりクリエイター」なわけです。まぁ、こう書いてしまえばアタリマエなのですが。。。

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 夏休み明けのブログは、のっけから、しょーもない話題になりました。これも「雑談」だと思って、真に受けないで、流してください(笑)

 小生のブログ、
 また、こんな感じで、続けていきたいと思います。
 そして人生は続く