子どもの成長を「記録」し「物語」として紡ぐ:小西貴士さん「子どもは子どもを生きている」を読んだ!

 清里で「森のようちえん」の活動を続けながら、そこに来る子どもたち何気ない「日常」を、ファインダーにおさめ続けている写真家に小西貴士(こにしたかし)さんがいます。愚息TAKUZOも、これまで、何度か清里にはお世話になりました。

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 最近、小西さんの最新刊が出たとのことで、先日、ご献本いただきました。昨日、早速、TAKUZOと興味深く拝見しました。本当にありがとうございました。

「また清里の森、行きたいねぇ・・・」

 とTAKUZOは話しておりました。

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「子どもは子どもを生きている」と題された写真集には、森の中で子どもたちと遊びながら、小西さんが見た「そのまんまの子どもの姿」が多数収録されています。

 子どもの写真は、その多くが熱情的で、ユーモラスで、思わず、「ふっ」とほほえみがもれてしまうようなものですが、中には、人間としての意地や怒りや哀しみが、あふれ出ているものもあります。

 ポジティブな方向においても、ネガティブな方向においても、いい意味で、「そのまんま」なのです。今回の作品においても、子どもたちの「そのまんまっぷり」が非常に印象的でした。
 
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 写真には、いつものように、小西さんが写真をとりながら見聞きした、その子のストーリーが添えられています。
 
 カエルを背負って持ち帰った子どものこと。傘から水がこぼれて、おしっこのようにジョボジョボとこぼれたこと。
 
 語られているのは、「ほんの一瞬の出来事」です。そして、それを小西さんは見逃しません。

 1年前、東京大学に小西さんをお招きし、公開研究会を実施したときにも思ったことですが、こういうひとつひとつの「ほんの一瞬の物語」に一方で耳を傾け、紡ぎながら、写真を撮り続けるというところが、小西さんの魅力か、と思っています。

実践記録研究会
http://www.nakahara-lab.net/blog/2012/07/post_1864.html

 保育とか、幼児教育とかは、僕の全く専門外なので、専門としてそれがどういう意味をもっているか、ということは、僕にはわかりません。

 ただし「一人の学習者の成長(変化)を物語として記録する」という観点から、そして、ひとりの子どもの成長を見続けてきた親のひとりとして、小西さんの活動を応援しています。
 多忙な現代社会において、一人の人間の成長・熟達を「物語」として紡ぐという視点ほど、失われているものはありません。それは成人を対象にした研究においても、同じことです。

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 先ほど小西さんにご献本の御礼かねて、お電話差し上げました。できれば年明けくらいに、また都内で研究会ができるといいね、とお話さしあげました。

 最近、我が「内なる力」が枯渇してきています。
 森に、また、出かけたくなりました。

 そして人生は続く。