「栓のないバスタブ」のメタファ : そろそろ強制インプット!?

 忙しくなると真っ先にカットされる時間は、「インプットの時間」であることが多いものです。

 新たな知識や考え方を学び、自ら考える時間。
 先行研究を読んで、まとめておく時間。

 そういう「インプットの時間」こそが、「なくても、今は取り急ぎ、困らないもの」としてカットされます。カットされるのは「未来への投資のための時間」といっても過言ではありません。それは「さしあたって、今は、カットしても困らない」。だから、そういう時間がカットされます。

 反面、忙しくなると、人は「アウトプット」をこれでもか、これでもかと求められます。

 今すぐ目に見える形で成果をだすこと。
 今すぐに手持ちのものをかたちにすること。

 そういう「アウトプット」を、これでもか、これでもか、求められます。求められるのは「過去と現在を消費すること」です。「未来への投資のための時間」をカットして、過去と現在を消費する。そうして、何とか生産性を上げようとします。

 しかし、少なくとも僕の場合、「アウトプット」ばかりしていると、次第に自分が「スカスカ」になってきている感覚に襲われるときがあります。

「もうオラはスカスカですだ。出せるものは、何もないですだー。シオシオのパーですだー」

 というイメージです。

 それもそのはずです。「未来への投資」をカットして、「過去と現在」を消費しているのですから、いつしか、自分の中の「資源」は枯渇します。つまり、「未来への投資」をカットすることは、短期的には成果をだしますが、中長期的には「リスク」なのです。しかし、そのことを忘れて「出せるものは、何にもない」状態になるまで、人は、たいてい、何も「インプット」をしないものです。そうして、莫大な「リスク」をいつしか抱えてしまっていることに気づく。

 でも、そうやってでも、アウトプットしなければ、今を生きていけないから、出ないのに、指をつっこんで、吐き続けます(失礼)。もう胃液すら、出ません(泣)。かんにんしておくれやす。

 たぶん大切なことは、自分の中の「ため」が半分くらいになったときに、あるいは、アウトプットとインプットのバランスが崩れてきたときに、強制的に「インプット」をすることなのかな、と思います。

「このままいけば、やばいぞ」

 というセンシングを行わなくてはなりません。

 たしかに「インプット」するのはおっくうです。全く今まで扱ったことのない知識を、ゼロから学ぶのですから。ついつい、面倒に感じます。でも、それをやらないと、すぐに「スカスカ」になってしまいます。

 自分のなかに知識を維持するということは、喩えて述べるならば、「栓を抜いたバスタブに、蛇口から水を勢いよく注ぐ」ようなものです。
 水を蛇口から勢いよく注ぎ続けていれば、バスタブには、水が少したまります。しかし、悲しいかな、このバスタブには、栓はありません。せっかく勢いよく注ぎ込んだ水も、すぐに失われてしまいます。要するに、大切なことは、水を注ぎ続けなければならない、ということです。それを一生止めない、ということに似ているな、ということです。

(このメタファは、もともとは、留学中、ある外国人の方から、教えてもらったものです。Jun、Non-Nativeが英語を学ぶことなんて、栓のないバスタブに上から水を注ぐようなものだ、と。素晴らしいメタファですね)

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 というわけで、最近の僕にも、そろそろ「強制インプット」の時間が迫っているようです。勢いよく水を注がなくてはなりません。40近くなっても、そんなことの繰り返しです。

 そして人生は続く。

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追伸.
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