聴衆をもれなく!?ガッカリさせるプレゼンの秘訣:いたら怖い「へりくだるスティーブ・ジョブズ」!?

「えー、わたしのようなものが、人前でお話させていただくなど、誠におこがましいと思うのですが、このたび、縁あって、ご登壇の機会をいただきました。ですので、本来、わたしは、人前でお話できる身分ではないのですが、そういうことでございますので、これから、ひとつ至らないところがありましても、ご容赦いただきまして・・・」

 僕は、仕事柄、様々なプレゼンを伺うことが多いのですが、中には、こんな「枕?」から、プレゼンをはじめる方がいらっしゃいます。
 プレゼンをどうやろうと、個人の勝手ですから、好きにやればよろしいと思うのですけれども、少なくとも、僕が指導する学生さんには、こういう「枕」をやめるように言うことがあります。

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 先の言葉、要するに、講演の冒頭、「形式上へりくだる」ことで「予防線を張っている」といえると解釈可能でしょう。

 つまり、先の言葉を翻訳いたしますと、

 わたしのようなペーペーが、これから、しょーもないお話をします、デヘ。中には、クソの役にも立たないことや間違ったことを言うかもしれませんが、でも、お許し下さいね、なんせ、かんせ、ペーペーですから、、ペロ。

 ということですね(笑)。
 ひと言でいえば「デヘ、ペロ」です。

 しかし、壇の下で聴いている聴衆の方が、このメッセージの意味するところを、額面通り「真に受けること」はありうるのでしょうか。

 先ほどのメッセージを聴いて、壇の下で聴いているオーディエンスは、

 そうかそうか、壇上にいるチミは、ペーペーか、かわいいやつよ。じゃあ、しょーもないことを言っても、ゆるちてやろうか、よしよし、かわいげのある奴よ・・・

 と本当に思うのか、ということです。

 へそ曲がりなのかもしれませんが、少なくとも僕は、上記のようには、1ミリも思いません。

 僕ならば、むしろ、

 あなたの話をぜひ聴きたいと思って、せっかく、この場にきたのに、「オレはペーペー、話はしょーもない」としょっぱなから言われると、調子が狂っちまうんだよな。時間に都合をつけて、あなたの話を聴きたいと思った僕自身の判断は、間違っていたのだろうか。

 と、少し切なく思ってしまいます。

 あるいは、僕はへそ曲がりですので、「ひとつ至らないところがありましても、ご容赦いただいて」というメッセージを、さらに深読みして、「脅迫的コミュニケーション」として、読み替えてしまうことも、ないわけではありません。

「ひとつ至らないところがありましても、ご容赦いただいて」といっているけど、本当は、こう言いたいのかなぁ・・・お気にめさないことがあっても、許してね。ていうか、許せよ。おい、許せ、聴衆!。最初に、オレはペーペーだと断っておいたじゃねーか。最初に謝っておいてんだから、いやなら、そこで聴くの、止めろ、ヴォケ。

 と言いたいのかな、と少しうがった見方をしてしまいます。
 ま、そんなつもりで、謙遜の言葉を口にしている方は、いないとは思いますが。ごめんね、「深読み戦死」じゃなかった「深読み戦士」で(笑)。

 ま、最後の方は冗談にしても、いずれにしても、先の言葉は、「講演者 - 聴衆」の間に「境界」をつくる行為であることには変わりがないようです。そして、この「境界」をもって、自分を守ろうとする。先ほど「予防線」という言葉を使ったのは、そういう理由からです。それは「境界をつくり、自分を安全なところにおく」行為です。

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 畢竟、プレゼンとは「表現」です。

「表現」とは「自己を晒す行為」でありますし、「自己をヴァルネラブル(脆弱)にする行為」でもあります。
 しかし、舞台にのぼり、自己を他者の眼前にさらし、自らをヴァルネラブルにしてまでも行いたかった「表現」だからこそ、他者に「刺さる」こともあります。ラッキーな場合は、そこに「新たな機会」が生まれることもあります。

 ですので、学生の皆さんには、

 人前で話すこと、すなわち「表現すること」を、いったん許諾したのなら、腹をくくりなさい。「表現」とは「自己を他者に晒し、機会をつくること」。だから、堂々と、自分を舞台で晒しなさい。

 時に、そのようなことを言う場合があります。
 まことに暑苦しい教員ですみません。

 そして人生は続く

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追伸.

「へりくだるジョブズ」って、存在していたとしたら、怖いですね。想像してしまった(笑)。

「えー、わたしのようなものが、人前でお話させていただくなど、誠におこがましいと思うのですが。おっ、そういえば、申し遅れました、わたくし、スティーブ・ジョブズと申しまして、まだまだ、若輩者でございます。ここはひとつお手柔らかに御願いいたします」

 笑。