「全球対話型講義」が実現する未来!?

 ちょっと前、あるところで、研修を担当させていただいたのですが、その際の、参加者からの研修評価データ(主観評価データ)を、担当者の方からいただきました。

 以前、ブログにも欠かせて頂きましたが、その研修は「東京 - 名古屋 - 大阪の遠隔地3地点をリアルタイムで結んで行われたマネジメント研修」でした。
 東京から一方向的に配信するのではなく、途中、ちょっとしたやりとりがあったり、遠隔地でもグループエクササイズがありました。

 研修担当者の皆様が、3度のテストをへて、苦労して実現した研修で、合計250名の参加者の方々が、同時に、マネジメントについて学びました。
 まずは、担当者の方のご苦労に、またご参加頂いた皆様の主体的な参加に、この場を借りて御礼致します。ありがとうございました。

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 研修は無事終了したのですが、終了後、非常に気になっていたのは、かくして行われた研修に、どのような評価が下されたかでした。

 特に気になっていたのは、東京 - 名古屋 - 大阪の3地点の群間の平均値、すなわち、「遠隔で参加した場合」と「リアルタイムで参加した場合」の評価データの差でした。

 結果を先に申し上げますと、3地点の評価データ差は、小数点第二位の差。すなわち、ゼロコンマいくつの差でした。
 ローデータを持っているわけではないので検定や効果量を確かめたわけないのですが、おそらく、その差は、ほとんど考慮しなくてよい、ということなのかもしれない、と認識しています。

 すなわち、少なくとも今回の研修で得られた主観的評価データに関する限り、「遠隔で参加した場合」と「リアルタイムで参加した場合」の有意な差はなかった、ということです。対面で受け手も、遠隔地で受けても差は少ない、ということになりますね。

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 これは常識とは少し異なる結論です。
 一般には「遠隔で参加した場合」と「リアルタイムで参加した場合」には、後者の方が評価データはよくなると想像できます。しかし、現実にはそうならなかった。それはなぜでしょうか。

 これには、いくつかの要因(仮説)が考えられそうです。検証可能なデータをもっているわけではないので、以下は妄想と位置づけていただければと思いますが、いくつかの理由を考えてみました。

 まず第一に、東京 - 大阪 - 名古屋をむすんだ動画像や音声に、ほとんど遅延や乱れがなかったこと。
 一昔前の技術ですと、やはり遠隔地との通信には、遅延やら音声の乱れなどが存在しますが、最近のネット技術は、そういうことは、非常に少なくなってきています。
 通信システムの中には、ハイビジョン画質(HD)で動画像を送受信できるものもあり、この場合、少なくとも、見た目には、あまり困難を感じません。

 第二に、そもそもの研修内容が、グループワークを含んだものであったため、そもそも、遠隔地の参加者がモニタにうつるテレビ画面を長時間見ていることではなかったこと。

 今回の研修をするにあたり、20分レクチャーをして、エクササイズ、また20分くらいレクチャーをして、エクササイズという感じで、ひとつひとつのコンテンツを、なるべく小さく刻みバイトサイズ(Bite-Size)にしました。
 まぁ、僕のプレゼンスタイルは、いつもそうなのですが、このスタイルが、遠隔地で同時中継の研修にはあっているのかもしれないな、と思います。

 第三に「双方向のやりとり」があったこと。
 これは、十分な時間を確保できたわけではなかったのですが、やはり長い間、語りかけられることがなければ、遠隔地の参加者の方々は、孤立感を深めるのかな、と感じています。

 上記3点、くどいようですが、いずれも仮説的妄想であることは言うまでもありません。どなたかご専門の方には、ぜひ、探究して頂きたいものだと思います。

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 今回の研修は、「問題点」がなかったわけではありません。

 自分としては、いくつかの反省点があるのですが、最も問題だと思っていることのひとつは「プレゼン資料の作り方」です。

 僕のプレゼンのスタイルは、これまでアニメーションや効果などを全く使わず、1枚のスライドをまるまるだして、それを「手持ちのポインター」で指示しながら、解説するというものでした。
  もちろん、東京で受講なさっている方には、これでも大丈夫なのですが、遠隔地で受講なさっている方は、これでは難しいのです。

 なぜなら、どんなに動画像がよくなったといっても「現地で指示された赤のポインターの小さな赤点」を、遠隔地においても鮮明に投射することは、難しいからです。
 結果として、「東京でポインターで指示しながら話している内容を、遠隔地では、リアルタイムでは追い切れない」という事態が発生したと伺っています。参加者の方々には、本当に悪いことをしてしまいました。申し訳なく思っています。
 これを防止するためには、パワーポイントや教材の構成の仕方を変える必要がありそうです。

 もうひとつは、東京で撮影するカメラの都合で、僕の壇上での動きには制約が存在することに、最後まで、僕自身が、なかなか慣れなかったことです。

 僕の講演をお聞き頂いたことのある方はご存じだと思いますが、僕は、プレゼンの間中、動き回ります。
 しかし、遠隔地での中継では、カメラを含む技術的制約から、壇上での動きに制約が加わりました。壇上で、僕は、おおよそ3メートル四方の枠の中で動くことになったのです。もちろん、このこと事態や制約が悪いといっているわけではありません。担当者の方は、本当に熱心に、今回の試みを実現してくださいました。心より感謝いたします。

 むしろ、自分としては、自分が行っているプレゼンの身体性を実感しました。プレゼンと身体の動きは、一見関係ないように思いますが、発信する内容に強い影響を与えることがわかりました。大きな収穫、よい勉強をさせていただきました。

 いずれの問題も、これまでの自分のプレゼンのあり方やスタイルを変える必要のあることで、一朝一夕には、変更はできません。でも、今回の経験を糧にできれば、また新しいスタイルが確立できるのかな、と感じています。

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 話が長くなりました。

 要するに、いろいろな問題はあるにせよ、今回の機会は、僕の認識を新たにするものでした。それまでの僕は、遠隔講義というのは、どこかクオリティに自信が持てないメディアと感じるところがあったのですが、準備を周到に行えば、「目を覆いたくなるような差」がでるとは限らない、ということを感じることができたからです。

 そして、もし、それが継続的に観察できる事実であるのだとしたら、「遠隔同時双方向研修」というのは、コストの面から、今よりも、十分に普及する可能性があるように思います。

 名阪2地点の150名の方々に東京におこしいただくコスト、インストラクターが他2地点に別々の日程で訪問するコストを考えてみていただくと、もし繰り返し、それが利用されるのなら、十分に設備投資をカバーするだけのメリットがありそうです。

 そして、今後は、インストラクターやファシリテーターに、遠隔同時双方向研修を可能にするような、プレゼンテーション技術、インストラクション技術、ファシリテーションスキルが求められてくるようになるのかな、と妄想します。
 また、そういう研修が増えてくれば、事務局、ロジスティクスのスキルも新しいものが求められます。テクノロジーに関するスキル、調整スキルは、さらに高度なものを求められるのではないでしょうか。

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 思い起こせば、数年前のちょうど今頃。夏の暑い頃でしょうか。東大-NHK-早川書房のコラボレーションで、ハーバード大学のマイケル・サンデル先生を、東京大学にお迎えして、「白熱教室 in 安田講堂」を実施させていただいたとき(当時、中原は、このイベントの総括責任者でした)、サンデル先生が、おっしゃっていたひと言が忘れられません。

「自分は、全世界の多様で、志あふれる学生を、同時に遠隔で結び、対話型の哲学の授業をしてみたい」

 一字一句同じではないですが、サンデル先生は、当時、そんなことをおっしゃっていました。僕も、きっと、そのような日は、実現するだろうな、と思いました。

 技術の革新に従い、学習のあり方も変化します。
 対話型講義は、さらに深化した「全球対話型講義」(グローバルに展開する対話型の講義)に進化する日は、近いのかもしれません。
 そして、そうなれば、様々な「知の生態系」が、変化を被るでしょう。それに連動して、「知の生態系」の背景にある経済モデル、ビジネスモデル、そこに居合わせる「知の保持者」たちの経済モデルなどが、相当の修正を迫られるのだろうな、と思います。

 最後になりますが、このような機会を与えて下さった研究企画チームのみなさまに、心より感謝いたします。「実験マインド」をともにし、様々なトライアルを繰り返してくださいましたことも嬉しいことでした。ありがとうございました。
 
 そして人生は続く。