「精度の高い教室セッティング」のお話:教えやすく、学びやすい環境をつくること

 ご本人はとても謙遜なさる方ですし、敢えて、ここでお名前をお出しすることで、ご迷惑をおかけしてはならないと思いますので、敢えて、本日、みなさんに、ご紹介する方の名前を、Sさんとしておきます。

 Sさんは、ある社会人教育施設で、「研修事業の教室 / 教材等のセッティング」を担当なさっている方です。僕は、その施設で、数年にわたり、授業を行ってきました。

 今日、Sさんを、皆さんにご紹介したいのは、彼の行う「仕事の精度」についてです。その仕事の丁寧さが、半端ではない。そして、僕は、そうした丁寧な仕事に、ずいぶん助けられてきました。心より感謝しています。

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 Sさんの「教室セッティング」は、いわば「名人芸」です。
 それは授業者にとって「教えやすく」、学習者にとっては「学びやすく」配慮されています。

 教室内の可動式の椅子やテーブルは、非常にどっしりと安定的です。ガタつくことはありません。そして、それらは、人が通りやすく、かつ、それでいて、きちんとした放射状の配列で、寸分、違わず置かれています。
 
 PCに利用するケーブル類は、きちんと揃っておかれており、講師が、あれこれ、悩むことがない。いつものように、PCをもって、いつもの場所にあるケーブルをさすだけ。これでセットアップは完了。

 教材、教具、授業に必要な書類等をおく場所は、決められた場所に、決められたように置かれており、これも、授業者や学習者が迷うことはない。

 ホワイドボードは、1点の汚れなく磨かれている。マーカーをひとつ取り出してボードに描いてみると、スッと線が伸びる。インクがかすれて、描けなかったことは1度もない。常に、赤、黒、青を2本ずつ。決まった場所に、あたりまえのようにある。

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「教室のセッティング」は、重い什器の移動も含むため、なかなかの重労働です。
 おそらくは、事務局役のSさん(こちらもSさんですね)、セッティング係のSさんが協働なさって、このような事前準備を行っていると思うのですが(感謝!)、それにしても、授業者として教えていて、こうした、一見、「人目につかないような精度の高い仕事」がいかに助かるか、を本当に思うのです。

 あらゆるものが、そこに、あたりまえのようにある。
 そこで授業者は、何のストレスなく、目の前の学習者に真正面から「正対」し、彼らに対してだけ、目配りを行い、真剣勝負を行うことができる。講師自らが、その前段階の作業を補完したり、学習環境をつくりなおす必要がない。誠にありがたいことです。心より感謝いたします。

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 何? 今日の話は、教室のセッティングの話?

 読者の中には、今日の僕の話を、大げさに思われる方もいらっしゃるかもしれません。
 しかし、そうではないのです。以前、事務局考という内容で記事にしたことがあるのですが、「学びの機会」は、コンテンツエキスパートである授業者や講師だけでつくられているものではないのです。

「事務局」考
http://www.nakahara-lab.net/blog/2010/08/post_1733.html

 むしろ、事務局をつとめてくださる方々、そして、教室をセッティングしてくださる方々が、いかに高度な仕事をしてくださるかで、そのクオリティが決まります。
 彼らが高度な問題解決を行って下さいますと、僕は、受講者に伝えたいコンテンツをいかにデリバリするかに集中することができるようになりますし、受講者とのインタラクションを非常にきめ細かい対応をすることが可能になります。
 逆に、こうした「下準備」が疎かですと、授業者は学習者に「正対」することができません。コンテンツのデリバリも疎かになり、インタラクションも粗くなります。

 授業をなさった方なら、おそらくご経験があるかと思うのですが、

 なかなか、つながらないネットワークケーブル
 インクがかすれているのに、交換されないホワイトボードマーカー
 ガタガタする机や椅子
(どことは言いませんが、インクがでないホワイトボードマーカーしか存在しない、教育施設もありますね・・・僕は自分のものを持参することもあります)

 こうしたものは、いわゆる「学習の衛生要因」です。しかし、これらの「衛生要因」すら満足ではない場所も少なくありません。これらに、悩まされることが、授業者としていかに多いか。その多くはメインテナンスの問題であることが少なくありません。そして、そのたびごとに、授業者の時間は失われていきます。

 1年を単位として、場合によっては複数年にわたって実施されるような学校教育とは異なり、社会人教育の圧倒的な違いは、「学習時間の短さ」です。特に忙しいビジネスパーソンを相手にするときには、「短い学習時間」は授業者と学習者の「真剣勝負」です。

 数時間という「圧倒的な短さ」の中で、伝えるべきところを伝えます。しかし、デリバリするだけでは不足です。その中でも問いかけ、「考える時間」をつくり、さらにはアウトプットを出して、議論していただく必要があります。
 こうした仕事は、本気の本気の本気の真剣勝負です。多くの場合は、授業者ひとりでは、準備からデリバリまで完走することはできません。学習者と「正対」し、真剣勝負を行うために、事務局をつとめてくださる方々、そして、教室をセッティングしてくださる方と連携する必要があります。

 そして、こうした方々の仕事は、もはやロジスティクスや裏方ではありません。ラーニングエクスペリエンス(学習経験)を講師とともに共同創造する存在なのです。人によって考え方は異なりますが、僕は、そう思って仕事をしています。

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 今日のお話は、研修、セミナー、授業などの、いわゆる社会人教育を支える裏側の方々の奮闘でした。
 社会人ふくめて、よく教育施設が話題にのぼるといいますと、よくハードの立派さ、ハコモノのゴージャスさ、空間デザインのかっこよさ、などが話題にのぼりますが、そういうソフト面での、きめ細かく、ホスピタリティあふれる、精度の高い仕事が、いかに大切かを僕は痛感しています。

 そういう方々のご努力に、今日も支えられて、仕事をしています。
 心より感謝しています。

 そして人生は続く