「みてみて!」:自分の発見をお裾分けする!?

 清里高原で保育を続けるかたわら、子どもたちの写真を撮り続けている、小西貴士さんから(以前、東大でも研究会をやりましたね)、小さな冊子(写真絵本)をご恵贈いただきました。この場を借りて感謝いたします。

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みてみて!
http://www.fukuinkan.co.jp/magadetails.php?goods_id=23057

小西貴士さんをお招きした研究会@東大・・・あれから、もう一年か・・・早すぎる
http://www.nakahara-lab.net/blog/2012/07/post_1864.html

小西さんのブログ
http://ameblo.jp/gorilla-tarou/

 本書「みてみて!」は、子どもたちが、面白いものを見つけたとき、つい言葉にしてしまう「みてみて!」という一瞬を、写真で綴ったものです。
 写真には、子どもの顔は明瞭には映っておりません。ほとんどの作品は、手と手に握られた様々なもののアップです。しかし、そこに握られた野草、虫などと、それらを大切につかむ手の様子から、子どもたちの「みてみて!」という言葉が聞こえてくるような気がします。そして、そんな時期が、僕にもあったな、と思うのです。

 子どもの頃、わたしたちは、面白いことを見つけると、誰かれ、かまわず、「みてみて!」を繰り返してきました。こんな面白いことがあったよ、と。ねぇ、「みてみて!」と。

 しかし、いつの日か、そんな「みてみて!」は失われていきます。

 「自分だけの秘密にことにしておこう」
 「黙っておいたほうが得かもしれない」
 「こんなこと、みんな知っていることかもしれない」
 「自慢していると思われたらどうしよう」

 そんな頭の中の検閲官が、大人に生まれた「みてみて!」を阻害します。

 また、そもそも、「そんじゃそこらのこと」では「みてみて!」と思えるような「感動」を覚えることも少なくなってきています。

 「なんだ、そんなことか、くだらない」
 「そんなこと、学校で習ったから知ってるよ」
 「そんなこと、誰でもわかってるよ」

 物事や世間を幅広く知るとは、そういうことなのかもしれません。
 かくして、大人は、子どもほど、無邪気に「みてみて!」を口にすることはありません。

 「みてみて!」と口にできる、発見のある日を過ごしたいものです。
 そして、「みてみて!」と言える、誰かと、ともにありたいものです。
 今日という日が、「発見をお裾分けできる日」でありますように。

 そして人生は続く