「落語家になる」とは「生き方」を選ぶこと!? : 師匠 - 弟子の深すぎる関係

 先日、人事専門誌「人材教育」の小生の連載「学びは現場にあり!」で、落語家の柳家花緑(やなぎや・かろく)さんにインタビューさせて頂く機会を得ました。いつものことながら、この連載のインタビューは、同誌編集部の吉峰女史と、ライターの井上さん、そして小生の「珍道中!?」で、お贈りしています。

 今回は、お相手も、噺のプロフェッショナルの方ということで、少し緊張しておりましたが、そんな緊張は取り越し苦労。さすが相手はプロフェッショナルの方ですね。いつもと同じ時間で、おそらくいつもの3倍以上のお話をいただくことができました。「まるで、落語を聞いているか」のようなインタビューでした。この場を借りて花緑さんには御礼申し上げます。ありがとうございました。

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 花緑さんのお話は、どれも、非常に興味深いものでしたが、個人的に興味をもったことのひとつは、落語の伝承は「口伝」だというお話です。
 花緑さんによりますと、落語を憶えたての頃は、「師匠の落語」を完全にコピーすることから、落語が伝承される、ということでした。
 実際、10代の頃の若い頃の花緑さんは、小さん師匠の話し方を完全にコピーしており、しゃべり方も全く同じだったそうです。当時のインタビュービデオをご覧になると、ご自身が、師匠そのもののしゃべり方でインタビューに答えている様子が見られるそうです。

「これからーですねー
  わたくしもー祖父のようなー
   立派なー落語家にーなりたいと
         ー思っておりますー」

 10代なのに、年齢差が相当ある「師匠のしゃべり方」が、完全に「のりうつっている」というのが興味深いですね。

 もうひとつ興味深かったのは、師匠と弟子との関係は「先生と生徒」ではない、というお話しでした。
 それは、むしろ「親子・家族に近い関係である」と花緑さんはおっしゃっていました。
 そして「落語家になる」というのは、「落語という仕事をすること」ではなく、「落語家という生き方を選ぶ」とおっしゃっていたことが印象的でした。

 これら2点は、異なっていることを行っているようで、同じことを述べているような気がします。
 弟子による師匠からの学びとは「のりうつること」からはじまるということ。そして、それは「家族的な関係」、すなわち「長期にわたる生活」を通して実現されるものであること。そして、師匠と弟子の間でやりとりされているのは、「仕事」ではなく「生き方」であるという点です。

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 よく「人材育成の言説空間」では、ビジネスパーソンの熟達を表現する言葉として「守破離」などという言葉が語られます。しかし、このメタファを耳にするたびに、僕は、どうも違和感を感じてます。伝統芸能における「守破離」とは、いったい何か。それを一般のビジネスにメタファとして応用することは可能なのか。もう一度、捉え直してみるのもよいかもしれません。

 インタビューでは、このような「重厚な社会的関係」の中から様々なものを、模倣・内化し、熟達しはじめた花緑さんが、やがて青年期を迎え自己に目覚め、様々な心理的葛藤を経験していくプロセスが語られています。「のりうつる」までに同化したものと、自己の確立。そこでは、どのような葛藤が生まれるのでしょうか。

 続きはどうぞおたのしみに!
 最後に繰り返しになりますが、お忙しいところインタビューにお応え頂いた、柳屋花緑さんには、この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。
 そして人生は続く!