できる講師と、そうでない講師の分かれ道:現場の人に「刺さる言葉」をつむぐ

「できる講師」と、「そうでない講師」の「差」とは何か?

 この「問い」に関しては、たくさんの答えがでてくることが予想されます。
 話がオモロイ、教材がわかりやすい、絶妙なファシリテーション、イケメン!?、などなど。どれもが「正解」でありえますし、「唯一絶対の答え」を決めることが、このブログで展開したいことではありません。 
 中には、「どんな人でも、1日で、できる講師になれちゃいます」みたいな意味不明なキャッチが踊る業界もあるようですが、僕には、まったく興味もありませんし、そういう即物的なお話をこの場でしたいわけでは1ミリもありません。

「できる講師」の「差」とは何か?

 もし仮に、もっとも大切だと感じるものを選んでよ、そうでなきゃと、すねちゃうもんねー、と言われたら、僕は、やむなく、これを選ぶでしょう。これまでの経験と観察を通して、これを選ぶと思うのです。

 それは、

「発言を記録しながら、教えることができるかどうか」

 です。

 もう少し具体的にいうと、

「誰が、どういう発言をしたかを記録しておいて、それを学習内容にいかに織り込んでいけるかどうか」

 です。
 いやはや、めちゃくちゃ地味な作業でしょう。でも、僕は、きっとこれが、特に大人を対象にした講義・ワークショップ等については、とても大切な要素になると思っています。

 つまり、ひと言でいうと「できる講師」の方とは「場の中からでてきた発言をリアルタイムに記録し、それをコンテンツ化すること」に長けている。「名前つきの発言内容」をしっかりと憶え、それを、学習内容の差し込むべきところで織り込んでいくことができる(Tayloring)。

「中原さん、先ほどは・・・と発言なさっていましたよね。この問題って・・・・・のことに関連しないですか」

「三浦さんの先ほどのご意見は・・・・三上さんのご意見と似たところがありますよね。それじゃ、この二つのご意見に関係する・・・・・を、これから学んでおくことにしましょう」

 研究柄、僕が観察させていただいたり、お話を伺ったりのは、企業で社内講師、社内ファシリテーションをなさっている方が主なので(いつもお世話になっております!情報感謝です!)、どの程度、一般化できることかわかりませんが、お話を伺っていても、本当にそう思います。

 ちょっとバタ臭く述べるとするならば

 リアルタイムドキュメンテーション(記録)
  そして、それに裏打ちされた
 リアルタイムコンテンツジェネレーション(内容構成)

 これこそが、僕ならば、「できる講師」とそうではない講師の分かれ道のように感じます。そして、これは一朝一夕で身につくものではありません。

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 それでは、これらが、なぜ、大切なのか。
 それは「ひとつの理由」があるからです。

 それは

 現場の人には、"現場の人の発した、名前つきの言葉"が、一番刺さる

 からです。
 どんなに「エレガントでワンダホーな概念」であっても、他者のつくりだした「他人の概念」「よその概念」は、仕事をしている人、現場の人には、なかなか刺さらない(エレガントでワンダホーな概念が無意味だといっているわけではありません。そうした言説には、また別の役割があるのです。その話は、またこんど)

 一方、「自分の組織の、一目置かれている人の意見」「自分の組織の本当に困っている人の意見」「自分の組織の、アクチュアリティあふれる意見」は、現場の人々に「刺さり」ます。そして、その「現場の人の素朴な言葉」は、心理的安全の確保されているような学ぶ現場、教える現場でこそ、発せされる。一般性はどの程度あるのかわかりませんが、多くの方が口にするのは、この言葉です。

 そして、現場の人の発した素朴な言葉は、そのまま、様々な議論や学習内容の「呼び水」になります。

 たとえば、あなたが、ある会社で研修をしている。
 そのとき、何グループかにわけて、同じ内容を講義しているとします。その最初の会で、あなたはあるテーマを皆になげかけ、いろいろな意見を得た。AさんはA"といい、BさんはB"といい、CさんはC"という。議論は、この3つに分かれて、一応の落としどころを得た。
 次の会では、あなたは、前の会ででた「AさんのA"という意見」「BさんはB"という意見」「CさんのC"という意見」を適宜、必要に応じて紹介し、さらに意見を深く掘り下げることができる。そのことで、以前の会にはでなかった、「DさんのD"という新たな視点」、「EさんのE"という新たな視点」がでてくる。
 最後の会では、AさんからEさんの様々な意見を用い、全員で議論をした。

 ここで行われていることは、「名前付きの発言」をしっかりと記録しておき、それを「コンテンツ化」したり、「議論の呼び水」にしたりすることです。そして、こういうことのすべての基盤は「記録をつけながら、教えることができるかどうか」ということに尽きます。

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 ですから、できる「教え手」の皆さんは、教えながら、発言した内容を「速記」する手法を、皆、それなりにお持ちであることの方が多いように思います。それなりのトレーニングをつんで、そうした自分なりのテクニックを、自分なりに工夫して、身につけておられる方が多いように思います。
 中には、「暗記できるわい」という方もいらっしゃいますが、多くの方々は、簡易ノートなどに座席表などを下記、名前と発言内容をメモなさっている方が、少なくないように感じます。

 これには、ある程度の時間をかけた練習と、それなりの能力が必要です。なぜなら、「目の前の数十人を前に剣をふるい、後ではしんがりをつとめるようなこと」ですので。いわば「ひとり合戦」状態ですので(笑)。

 そして、たまにご意見をうかがうのは、

 できれば、この作業を事務局の人には手伝って欲しい

 ということです。まぁ、なかなか口にだせないのでしょうけど。
 事務局の方で「うしろで内職をしているくらい」なら、どうか、ひとりひとりの発言に耳を傾け、それを記録しておいてほしい。それは、コンテンツにもなりえますし、評価やレポートを作成するときにも用いることができますし、次年度の計画をつくるときにも参考になる、ということをおっしゃいます。

 真偽のほどは、事務局をつとめていらっしゃる方のご判断におまかせします。

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 今日は、主にドキュメンテーションの話をしました。

 医者でも、看護師でも、教員でもそうなのですが、専門職にとって、ドキュメンテーションとは、多くの場合、仕事の中核に埋め込まれている作業です。
 それは「地味で面倒で骨の折れる作業」ではありますが、それは、提供するサービスのクオリティを、かなり大きく左右する内容だ、とも思います。
 その重要性は、これらの職業において「ドキュメンテーションがない介入行為」は存在しないことからも、おわかりか、と思います。だってね、あなたが患者だったら、カルテを書かない医者のところで、診察受けたいと思わないでしょ。
 程度の差こそはあれば、それは「学び」に携わる職業においても、同じことです。「華麗なファシリテーションテクニック」「わかりやすい教材作成のテクニック」「南極の氷すら溶かしてしまうようなアイスブレークテクニック」の前に、本来、問われるべき事は、ひとりひとりの声に耳を傾けているのか。そして、名前込みで、ひとつひとつの発言をつむぎとっているのか、ということです。

 何かを為す前に、見ること、聴くこと、そして記録すること
 地道な作業ではありますが、大切なことだと僕は思います。

 できるならば、現場の人に「刺さる言葉」を紡ぎ出したいものです。
 そして人生は続く

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■追伸1
 次回、次々回の経営学習研究所、中原主催のイベントは「社内講師を育てる」と「ネオOJT宣言」を現在企画中です。かなりエキサィティングでいて、ガチ、実務直結の内容です。3月、5月あたりに続きます。どうぞお楽しみに!ご登壇いただける企業の方々には、心より感謝いたします!

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■追伸2.
7月6日(土)開催の「対話の生まれる場をつくる:子どもの対話 × 大人の対話」の企画が進展しています。「子どもの対話パート」を担当いただける菊池省三先生に加え、「大人の対話パート」は、数々の組織で対話の実践をなさっている加藤雅則さんをお招きすることになりました!

「対話が生まれる場をつくる: 子どもの対話 × 大人の対話」 菊池省三先生をお招きして:7月6日(土)午後・東京大学本郷キャンパス
http://www.nakahara-lab.net/blog/2013/02/_76.html

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■追伸3.
2/16(今週土曜日)「みんなで"プレイフルラーニング"を語ろう」UST中継をいたします。上田信行 × 中原淳 × 突撃愉快な仲間たちです。近刊「プレイフルラーニング」(三省堂)を小ネタに、ラーニングフルなトークセッションをします!どうぞお楽しみに21:30の予定です。

視聴はこちらから:NAKAHARA-LAB on UST
http://www.ustream.tv/channel/nakaharalab