「子育て」にとってスマホは「プラス」か「マイナス」か? : どうにも歯切れの悪い「育児におけるスマホ利用論」

「子育て」にとって、スマホは「よいもの」なのでしょうか、それとも「悪いもの」なのでしょうか? つまり、「子育て」にとってスマホは「プラス」でしょうか?「マイナス」でしょうか?

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 のっけから、結論を言ってしまうと、決まってるんです。

 「そんなもの、使い方による(笑)」
 「ケースバイケース」
 「そんな問い自体がナンセンス!」 

 もちろん、それはおっしゃるとおり! そのとおりなのだけれども、それだと「これで「話は終わっちゃうのよ」(笑)。
 なので、もう少しだけ、結論を急ぐのを我慢するとして、もし興味がございましたら、おつきあいください。
 僕は、最近、この問いを考えることが少なくありません。

 今日の話は、1ミリも学問的も理論的でもでなく、単なる「わたしの子育て論 / 子育てお悩み論」ですが、もし、それでよろしければ、どうかお読み下さい。

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「子育て」にとって、スマホは「よいもの」なのでしょうか、それとも「悪いもの」なのでしょうか?

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 そのことに、最近、僕がモンモンといたしますのは、今現在、僕自身が、この問いに「アンビバレントな態度」をもっているからです。
 つまり、「そうだよな、ポジティブに使えるよ」と思うときと、「このままだとうちの場合、ちょっとヤバイよな」と思うときがあり、時に、どっちつかずの態度に自分がイヤになるのです。

 まず、ポジティブな側面から。

 最初に申し上げますと、「僕は、自分自身が、たぶんスマホなどがなければ、子育てを今のようなかたちではできなかったろうな」、と思っています。そういう意味では、僕は「スマホありがとう」といいたいですし、その「テクノロジーの恩恵」を一方で受けています。

 まだまだ子どもが「赤ちゃん」のときのお話しですけれども、たとえば、子どもに高熱が出ることがたくさんありました(愚息TAKUZOは、今でこそ、風邪を引きませんけど、幼い頃は、本当にヨワヨワキャラだったのです)。
 時には、僕が一人で子どもを見ているに高熱をだすことも多く、そんなときには、どうしていいかわからず、右往左往している。
 ベッドサイドで子どもが「ひーひー」と言っているのを背中をさすりながら、スマホでサイトで対処法を検索したり、Twitterで教えてもらったり、時にはスカイプしながら、何とか、「その場の対処」を行うことができる。そんなとき、とてもスマホは役に立ちました。「モビリティのある情報端末」を携帯できることは、本当に便利でした。

 あるいは、あるとき、子どもと「外出」したりする。
 そのときの様子を記録にしたり、文章を綴ったりして、実家の両親におくったり、ネットにアップロードする。それを見た人から、いろんなコメントやらフィードバックがもらえる。
 スマホは、僕にとって、「子育ての記録とシェアのためのメディア」でもありました。

 子どもの面倒を見ていると、なかなか、うまくいかないこともあったり、ぐずぐずされたりで、そりゃ、愉しいことばかりじゃない。ときには「煮詰まってくる」こともあります。時には、その「煮詰まり」が「怒り」や「やりきれなさ」に変わるときもあります。

 でも、そういうとき、「あ、一人じゃないんだな」「みんな同じような思いをしているんだな」「みんな同じ経験で悩んでいるんだな」と思えることは、僕にとっては、とても勇気づけられることでしたし、そんなとき、「今の時代に子育てをしていてよかったな」と思いました。

 また「仕事と子育ての両立」という点でも、スマホは大変役に立ちました。外出先でも、PDFやワードファイルをひらくことができる。書類のチェックができる。子どもの相手をしながら、何とかかんとか、差し迫った仕事をスマホでこなしたことは、一度や二度ではありません。

 煎じ詰めてみると、上記の話は、「スマホがあるからうけられた恩恵」だけの話ではないのですが、高度にソーシャルメディアが発達し、ネットへのアクセスがどこでも可能になったことが、僕にとっては、「子育て」をするうえで、大変助かりました。

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 一方で、子どもが大きくなるにつれ「ネガティブな側面」も、最近、感じるようになりました。これは子どもに責任があることではなく、僕自身に責任があることです。

 最も自分として「危機的」だな、と思っていることは、「子どもと一緒にいるときに、ついついスマホの画面をのぞき込んでしまい、子どものことが見えなくなったり、コミュニケーションがうまくいかなくなったりしている自分を発見するとき」です。

「いつでもどこでもコミュニケーションをとれる、つながれるメディア」というのは、言い換えますと、「利用者の時間を無限に奪ってしまうメディア」でもあるのです。
 いつでも「仕事」ができますし、いつでも人とつながれます。そうしますと、つい、「子育て」をし「ながら」、何かをやることになる。つまり、子育て自体が、"ながら化"するのです。

 もちろん、だからこそ、「子育てと仕事が両立に寄与できる可能性」がありますし、「本当に困ったときに、その場でリアルタイムに、教えてくれる人がいる」といったようなポジティブな要因も、生まれるのです。ひと言でいえば、それは「諸刃の剣」です。スマホは、先ほど述べたポジティブな側面の裏で、同時に「負の側面」もあわせもっているような気がします。

 自分としては、子どもと一緒にいるときには、なるべく「子どもと離れたとき」にスマホは使おう。子どもと何かをしているときには、「ながら」でスマホを使うことをやめよう、と思っていますが、本当にそれができているかはわかりません。ただし、かなり意識して、やめようと思っていることは事実です。
 
 といいますのは、このことは「長期的な危機」を招くだろうな、とも思うのです。

 人とあっているとき、話しているとき、相互作用をしているときに、スマホを「ながら」で利用している親の「様子」を、子どもは常に観察しています。そして、それが「よいこと」であると、「学習」して育ってしまうからです。
 別の言葉でいいかえまえますと、「スマホをながら利用している親の様子」を、子どもは「観察学習」しているからです。

 長期的には、子どもはそれを「マネ」してしまうでしょう。
 そして、もう少し大人になったとき、子どもも、自分自身のスマホをもつようになったら、同じ事をすると思うのです。
 
 誰かと話しているときに、誰かと一緒にいるときに、スマホの画面に虜になっている我が息子を思うと、すこし、親としては切なくなってきます。それを阻止しようと、反省しているところです。

 よくレストランなので、「親はスマホの画面、子どもはDSの画面を見て、会話がない家庭」を見ますね。このままいけば、それにつながる光景をゆくゆくは生み出してしまうような気がしています。まぁ、「身からでた錆」なのかもしれませんが。そこに危機感をもち、自分としては、反省しています。

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 今日の話は、ほんとうにとりとめもない話になりました。ごめんなさい。でも、自分の子育てについて述べられることなんて、この程度のことなのです。単なる「オヤジの与太話」だと思ってきいていただいて結構です。

 スマホは、子育てにとってプラスか、マイナスか?
 
 この問いが、あまり意味をもたないほど、今現在、スマホは、僕自身の生活にも、仕事にも、不可分なものになりつつあります。
 そして、この「割り切れなさ」に、なんか、モンモンとしています。

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追伸.
今日の話には敢えて書きませんでしたが、高度に発達したソーシャルメディア上では、育児情報(というより、早期教育に関する情報)が反乱しています。そして「ネット上の育児情報」は、必ずしも、手放しでプラスとは言えない側面もあります。先ほどの話では、「ネットにアクセスできて助かった」と書きましたが、それは手放しで称揚できるものではありません。ネット上の情報は、一概に語ることがとても難しいですね。

 特に、「早期教育」に関する情報に関しては、かなりシリアスだな、と思います。僕は、ほとんどそういうサイトを見ませんが、本当にたまにチラチラ見ていたりすると、「もう、TAKUZO、ダメだわ・・・手遅れだ」くらいに思うときがあります(笑・・・もちろん、そんなことは1ミリもない)。
 それほど、「早期教育」に関する情報が反乱して、親同士が子育てを急いでいる。急かされて、囲まれている。

 こういう、高度に情報が発達する世の中では、育児情報・早期教育に関する親同士のやりとりは、一方で大変助かるのですけれども、一方で、それを批判的に読み解くリテラシーといったものも必要だな、と思います。時には、「自分を不要に駆り立てようとする情報」を「あまり真に受けないこと」も大切なことなのかな、と思います。
 そうでないと、「自分が追われ」、ひいては「子どもを追い立ててしまいがち」になるのかな、と。ま、これはまた別の機会に、論じることにいたしましょう。

 ダイジョブ、手遅れなんてこと、ないよ。
 まだ始まったばかりだよ!