「塩漬けキャリア」と「マネジャーとしての力量形成」

 ちょっと前のことになりますが、IT業界の経営者・経営陣の方々の前で、講演をする機会を得ました。

 この講演の中では、小生は「マネジャー / リーダーの育成」の最新研究知見、最新実践事例を、なるべくコンパクトにご紹介差し上げました。
 講演のあとには、ダイアローグの時間がとられ、そのあと、僕と参加者の皆さんで、対話型の質疑を行いました。

 質疑の最中で、多くの経営者・経営陣の方から、いただいた声はこれです。

「マネジャーが圧倒的に不足している。このままでは業務が立ちゆかなくなる」
「マネジャーとしての資質獲得が難しい。マネジャーの資質のないまま、昇進させざるをえない事例が増えている」

 その声はまことに強く、参加していたどの企業にも、共通するかのように感じました。

 僕は、IT業界の常識・業界には全く疎いので、下記に書くことは、その業界の事情を、忠実に踏まえたではないかもしれません。
 しかし、当日、よくよくお話しを伺っておりますと、そこには「IT業界ならではの事情」が横たわっている気がしました。

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 端的に申しますと、IT業界において、力量あるマネジャーが不足する最大の要因のひとつは、

 若手からミドルに至るまでの「キャリアパスの単調さ」

 ではないかと感じました。他にもたくさんの理由があるのでしょうが、先日のお話しからは、少なくとも、そのことを感じました。

 言葉を換えていえば、

「ひとつのシステム」の実務担当者として、キャリアが「塩漬け」にされ、マネジャーとして必要な経験を持ちにくい

 ということです。

 つまり、IT業界においては、異動に際して、「システムと人とのつながり」を常に考えなくてはならない。
 ともうしますのは、業務において「このシステムのことは、あいつにしかわからない」という「システム仕様の属人化」が進んでいた場合、「このシステムを止めては、クライアントに怒られる」「あいつを異動させようとすると、クライアントが口をだしてくる」というパターンが生まれがちなのだそうです。

 クライアントは必死です。「あうん」の呼吸で話ができる、いい担当者を捕まえた場合、それを離してなるものか、という思いが生じるのはやむを得ないことなのかもしれません。

 こうした場合、ラインのマネジャーも、面倒な事態になることを避けるため、人事がいくら異動希望を出しても、異動を拒んできます。

 その際に発せられる殺し文句は、これです

「あいつを異動させたら、システム止まりますよ? それでもいいんですね?

 異動させられる側も、システムが変われば、また新しいことをゼロから、たくさん学習しなければなりません。場合によっては、プログラミング言語すべての再学習ということも可能性はゼロではありません。

 そして、この思いが強くなればなるほど、クライアント - ラインマネジャー - 本人の3者のステークホルダーは、「システム」という媒介項を結節点にして「共犯関係」を結びます。
 かくして「キャリアの塩漬け」は「構造的」に生まれることになります。
 これを解く鍵は、個々のステークホルダーへの働きかけではありません。むしろ、システムを媒介としたステークホルダー間の関係に対して介入を行わなくてはなりません。

(もちろん、ひとつの仕事にどっぷりとかかわることは大切なことです。システムが止まらないために、日夜苦労くださっている方にとっては、利用者として、頭が下がります。今日の話は、中堅以降のキャリアの話。特にマネジャー育成という観点だけから語られていることをご理解ください)

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 マネジャー育成 / リーダー育成の最近の論文を読み解くと、過去の先行研究において共通しているのは、力量あるマネジャーとして成長するために必要なのは、

「マネジャーの役割が埋め込まれている、多種多様な経験を、キャリア早期から、段階的、かつ包括的に積むこと」

 です。

 ポイントは、「経験のヘテロ性」です。その中には、全社で取り組むような業務への従事経験、スタッフの立場からのプロジェクト参加など、なるべく「ヘテロな経験」を踏むことが、それにこしたことはありません。個々のヘテロな経験は、経験の連鎖の中で、時に、相乗作用を引き起こします。この相乗作用こそが、力量形成の鍵だと考えられます。
 こうした経験の連鎖の中には、将来マネジャーになった場合に、十全に発揮するスキルの発達機会が埋め込まれています。


 要するに、「マネジャーとしての熟達」は「塩漬けキャリア」とは対極の世界に開けているのです。どうにかして、「塩漬け」を解かなければ、話は前に進まないことが容易に予想されます。

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 でも、IT業界における事情は、最近になって少しずつ変わってきているともいいます。

 若手の中には、ひとつのシステムに「べったり」と取り組むことが「キャリア形成上のリスク」であるという認識が広まってきている、という言葉も聞かれました。

 あるひとつの「巨大システム」が未来永劫、ひとつの会社で更新され、開発され続けるのなら、ひとつのシステムにどっぷりと取り組むことが、将来の安定を手に入れる方法であります。しかし、昨今は、そのようなシステムは、徐々に、少なくなってきている。ある日突然システムが切り替えられることになったとしたら、「システムへの過剰な熟達と依存」はリスクでしかありません。
 多種多様な経験をもった方が、将来のリスクを軽減できることに気づく若者もでてきているといいます。

(このように専門性やスキルというものは、獲得すれば、必ずメリットを生み出すわけではありません。リチャード・セネットを引用するまでもないことですが、専門性やスキルを過剰に持っていることが、即、雇用不安を生み出すことにもなりうるのです)

 会社によっては、細かく細かく異動条件のKPIを定め、強制的な人事異動を確保しているところもあると思います。マネジャーとしての熟達をとげるための多種多様なプロジェクトへの参加経験を、きちんとモニタリングする企業も出てきている、といいます。

 もちろん、僕は、IT業界の専門家ではないので、こうした動きが、マスなのかマイノリティなのかはわかりません。くどいようですが、このことが、どの程度一般化可能かは、現段階では責任はもてません。
 でも、その業界にも、認識の変化が生まれてきている。そのことだけは、経営者・経営陣の方々との話の中から、ひしひしと伝わってきました。

 中原個人としては、ここ数年「一般的なミドルマネジャーの育成」 / 「グローバルに活躍できるマネジャーの育成」の研究をホソボソと続けています。
 ここに関する結果が、ここ1年以内に、少しずつリリースされていく予定です。研究知見を通じて、何らかのお役に立てればよいと考えています。

 そして人生は続く。

追伸.
 本務を優先するため、講演活動は、現在、なるべく月1回程度におさえていますので、お引き受けできないものがほとんどです。大変心苦しく思うのですが、なにとぞ、ご了承ください。また地方への出講は、共働き子育てをしているため、なるべく控えております。どうかご了承ください。

追伸2.
 本ができるまで、出版プロセスをあなたに。新刊「プレイフルラーニング」(上田信行×中原淳著、三省堂)のカバー印刷の様子です。ものすごい音をたてて、印刷機が回ります。ふだん、こういう場面は裏方で、一般の方々の目に触れません。でも、実際は、こうした多くの方々の仕事を通して、本が書店に並ぶんですね。心より感謝です。

新刊「プレイフルラーニング」、カバー印刷動画
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