4つの異なる「組織開発」:人を集めても、なかなか"組織"としてまとまらない社会に生まれたもの

 先日「ラーニングイノベーション論」の授業の前後で、一橋大学の守島基博先生と、「組織開発(Organizational Develpment)」についてお話しをさせていただきました。

 短い時間でしたが、

「きっと、これから、日本企業でも、組織開発という考え方が大切になりますよね」

 という感じの雑談でした。

  ▼

いわゆる「組織開発」の定義といえば、国内外の文献に腐るほど定義がありますが、一般的にはこんな風に言われています。

「行動科学の知識を利用し、組織過程に計画的に介入することによって、組織の有効性と健全性を増大させようとする、Topによって管理された計画的ならびに、全組織的な努力過程のこと」(Beckard 1969)。

 うーん。。。わかるような、、、わからぬような。
 じゃ、おまけに、ついでに、もひとつ、いきましょう(笑)。

「組織の問題解決過程や、再生過程を改善するための継続的な努力である。その特徴は、とりわけ変革推進者や行動科学のセオリーやテクノロジーのたすけをかりて、組織文化を効率的かつ協働的なものにしていくことによって、所期の目的を達成しようとするところにある」(French & Bell 1973)

 うーん(笑)。。。
 ここは、ざっくりというと(どさくさにまぎれて、ざっくり言うんじゃねー、というご批判をいただくことを覚悟して)、

「組織あるいは組織メンバーを、経営・戦略にそうように、改善・再構成するプロセス」

 のことでしょう。

 具体的には、

 1.人を組織としてまとめたり、動かすための介入プロセス
 2.組織の中のコミュニケーションを円滑にする努力プロセス

 ということでしょうか。

「おまえ、いつも、ざっくりすぎんだよ」というご批判をいただくことを覚悟して、敢えてまとめると(明日の研究会では、もっと突っ込んだ議論をしたいものです)。

 ▼

 よく知られているように「組織開発」は、米国で発展しました。その歴史は古く、1950年代にさかのぼります。

「米国では、多様な社会的背景をもった人々がいる。だから、人を集めたからといって、なかなか組織として動けるわけではない」

 と守島先生はおっしゃっていました。
 まさに、おっしゃるとおりだと思います。

 だからこそ、「人をまとめたり、組織にするためのテクノロジー」が必要だった。「集まっただけでは、成り立たないコミュニケーションを円滑にする技法」が発達したのだと、僕は、思います。
 たぶん、いわゆる「チームビルディング」も、「リーダーシップ」も、おおよそ米国的な概念は、おそらくそういう社会的背景と無縁ではないと僕は思います。もちろん、「仮説ベース」の「思いつき」ですが。

  ▼

 しかし、この「組織開発」、実は、全く「一筋縄」ではいかない概念なのです。非常にわかりにくく、かつ複雑に、恣意的に言説空間がよじれている。
 概念はわかったとしても、実務として「具体的」に、現場で、何が為されているかは、全く「一様」ではないのですね。

 つまり、実務ベースでは「組織開発」という「ひとつのラベル」のもとで、「全く異なること」「異なる実践」が長期間にわたって、取り組まれてきた、ということです。このことが「組織開発」の実態を論じることを、きわめて難しくしてきました。

 事実、今から三十年弱前に、こうした事態を生み出したのは「様々なものを、組織開発というひとつのラベルで包含し、説明しようとさせてきたこと」に理由があるという指摘がなされています(稲葉 1975)。

 こういう事態が発生した理由は長くなるので詳細は省きます。ひとつだけ理由を述べるのだとすると、組織開発がもともとアカデミアに「出自」をもっていたのにもかかわらず、途中、「アカデミア」と「実務」の世界の通行が失われたことあると言われています。
 実務ベースで生まれた「必要だと思われること」を、すべて「組織開発」という「ひとつのラベル」で説明しようとしたことに、この「カオティックな状況」の出現の理由があると言われています。

  ▼

 さて、それでは、実際の「組織開発」の現場は、いったい何がなされているのでしょうか?
 大きく分けて4つに分かれているように思います(文献によっては、もっと多様な分かれ方をします。詳細はここでは省きます)。

1.Tグループ系組織開発
2.サーベイフィードバック系組織開発
3.組織デザイン系組織開発
4.ポジティブ系組織開発

 1の「Tグループ系」とは、1950年代に発展したものです。社会心理学のクルト・レヴィン(社会心理学)に祖をもち、National Training Laboratoryで発展しました。

 その特徴は、参加者を「文化的孤島(ラボラトリー)」におき、かつ、多様で未知らぬ人をメンバー(ストレンジャー)としたワークショップを実施し、「今、ここで起こった出来事」を対象として、再帰的に、自らの対人関係性・コミュニケーションを対象とした内省を行わせることにあると思います。

 僕が感じるに、ポイントは、この「コミュニーケーションを手段としながら、コミュニケーションを改善する」という「再帰性(reflexivity)」です。そして、この手法は、それゆえに「臨床的」になる傾向があります。

(1の構成メンバーは"完全なるストレンジャー"だけからなるのではなく、"職場メンバーなどから構成される場合"、"類似性の高い集団間、既知の関係間から構成される場合"もあります。ここでは、話を少し単純化してお話しします)

 具体的な実践としては、マネジャーの対人関係スタイルを改善するための手法として1970年代をピークに普及しました。そのクオリティに疑問が呈される時期、問題化する時期もありました。そのことは、敢えて、ここでは述べません。

 2の「サーベイフィードバック系」とは、ミシガン大学のリッカートらの研究グループに起源をもつ手法ですね。あのリッカートです、リッカート。
彼らの流れをくむ組織開発では、組織の現状を「可視化」するひとつのメディアとして「サーベイ」を利用します。まずは、組織成員に対して「サーベイ」を行い、結果を組織全員に「フィードバック」することで、組織の改善につなげる方法ですね。
 場合によっては、組織を「代表」する人物として、「リーダー」「組織長」を主にとりあげ、彼/彼女に対するフィードバックも、それに含めることがあります。
 この場合は、分析単位が「組織」ではなく「個人」になることになりますね。「組織の変容」を一義的に対象にするのではなく、「リーダー個人の変容」が対象になります。この2つをつなぐロジックが、「組織の変容につながるであろう、リーダー個人に変容をもたらす」ということになります。

 3の「組織デザイン系」とは、おそらく、組織コンサルタントの方々などが実際に組織に対してコンサルティングを提供する際に、「これも組織開発だよねー」と、含みこんでしまったたのではないか、と思われます。
 実務をやっていると、現場のニーズに応じて、様々なものをやらなくてはなります。組織開発をやっているつもりでも、必要に応じて、それをはみ出て、「組織デザイン」をしなければならない局面がでてくる。そうしたかたちで、もともと概念に含みこまれていたものが、すべて含まれてしまった。

 この点は、守島先生とも議論していたのですが、本来は「組織デザイン」と「組織開発」は、おそらく異なると思います。
 戦略ベース、ビジネスベースの思考でトップダウンで行われるものが「組織デザイン」というハードなもの。

 それに対して、「人間性の重視」「民主的な合意」「フラットな関係性」というある種の価値観(この価値観こそが、組織開発の弱点として批判された点でもありました)を背景に、ミドルレベル・ボトムレベルで実施される「ソフト」なものが「組織開発」である、ということです。

 ですので、多くの場合、経営組織論では、「組織開発」は「組織デザイン」と「対称」をなすものとして描かれる場合が多いように思います。
 ですが、組織開発の、やや複雑化した言説空間においては、それが「いっしょくたにされること」は少なくありません。

 4の「ポジティブ系」とは、ポジティブ心理学やポジティブ組織論を背景にしつつ、1990年代以降発展した手法ですね。皆さんがよくご存じの、AI、Future Searchなどもここに位置づくのかもしれませんね。
 その特徴は「ホールシステムズアプローチ」「ラージスケールインターベンション」というところにあると思います。これを説明するだけでも一冊本が描けそうなので、それについて詳しく述べません。

 ちなみに、守島先生は、これらに加えて、

「組織のコアコンピタンス / 中核能力 / 強みを維持しつつ、強化するような介入プロセスも大切なのではないだろうか」

 というご指摘をなさっていました。
 通常、コアコンピタンスの議論は、組織開発の言説空間において語られることは少ないと思いますが、まことにおっしゃるとおりだと思います。

 特に、日本企業の中核をなす「職場の強化」「ミドルクラスの強化」は、「組織開発」の対象としてもっとも重視することなのか、と思います。このように考えると、「リーダー育成」が、その中核にすえられることになりますね。

(ちなみに、ここでは話を単純化するために述べませんでしたが、経営研究のみならず、さらに枠を広げると、この4つのアプローチでは切り取れない様々な取り組みがあると思います。たとえば、ヘルシンキ大学のエンゲストロームらの活動システム理論に基づく変革・発達ワーク研究を、どのようにとらえるのか、という問題だってあるのです。嗚呼、この類型論だけで1冊以上の本がかけそうですね)

 ▼

 さて、上記では、4つの代表的な手法を書いてきました。それぞれ、異なる理論的出自、発展の社会的出自があります。まず言えることは、これらの手法の「優劣」を論じることは、あまり意味がない、ということです。それは異なったニーズに基づく、異なる目的をもった実践です。それが「ひとつのラベル」で説明されているだけで。

 また、もはや、これほどまでの多様な実践を含みこんでしまった「組織開発」という「ラベル」は、それ自体で、あまり「意味」をもたないということもいえるかもしれません。「組織開発が意味がない」といっているわけでではないですよ。「組織開発というラベルの有効性が失われているのではないか」と言っているのです。

 ただでさえ、これだけ多種多様な活動なのです。さらには「組織の健全性の維持」につながる「ロジック」が多様である以上、それを「組織開発」というひとつのラベルでまとめることは困難であると感じます。また、「組織開発」という言葉を耳になさったならば、「それが具体的に何を指し示す」のか考察する必要があるでしょう。

 敢えてラディカルに言うのならば、もしかすると、「組織開発」という概念それ自体を「再構築」するべきときに来ているのかもしれません。
 1980年代、多種多様なものを含み混み「Catch All化した組織開発という概念」は危機に瀕しました。人によっては「組織開発は死んだ!」という議論を展開をする方もいらっしゃいました。組織開発にかわって、当時は「組織変革」という言葉が使われましたが、この概念は、さらに曖昧であるように僕は感じます。
 そろそろ「組織開発」という概念自体を再構築する必要があると、僕は感じています。

(介入対象が「誰」であり(つまりは個人レベルなのか、職場レベルなのか、組織レベルなのか)、その結果として「誰」が変容するか、について合意がとられていないのに、「組織開発」というひとつのラベルで、介入・現象を説明することを今後も続けようとするのは、個人的には、やや無理があるような気がします)

 ▼

 さて、最後に最後に、さらに、このように「個々の手法」の諸特徴を概観してきて、それと「矛盾」するようでまことに恐縮なのですけれど、ひと言だけ述べるのだとするならば、
 
 おそらく、組織開発にあたって、実務家の方が留意するポイントは、

1.「手法」のバラエティ(多様性)を前に、「思考停止しないこと」
2.「ある手法を提案された」としても、それに「目くらまし」にあわないようにすること

 が大切なのだと思います。

 上記では「手法を紹介」してきましたが、「手法」を前にして「考えることを放棄しない」ということでしょうか。そうなると、困った事態が生じると思うのです。

 どんな組織にも生まれうる、どのような問題でも、解決できる「Catch Allの手法」は、僕は存在しないと思います。
 逆にいえば、自らの組織に生じている問題を同定して、自分で介入のあり方を考えることが重要なのだと思いました。
 皆さんの組織にとって必要な手法は、上記4つのどれかにあるのかしれないし、そうでないのかもしれない。もしかすると、4つのうちの任意の組み合わせかもしれないし、そのすべてかもしれない。さらには、もしかすると、自分の組織にあった「組織開発手法」を、考えて、つくりあげる必要があるのかもしれない、ということです。

 それが、「実務の現場で求められる組織開発」をなすことにつながるのだと思います。

 ▼

 組織開発という概念は、起源は1950年代、1960年代にまでさかのぼります。

 それは、

「人を集めても、組織になかなかならない社会」

 において発展しました。
 組織開発は、一時的な停滞期を1980年代に経験し、また脚光をあびはじめてきています。実際、このような流れを背景にして、米国企業の中には、組織開発部門が設置されているところが、少なくありません。少なくとも日本よりは、組織開発という言葉が流通しています。

 日本は米国とは全く社会的背景が異なるので、それがそのまま必要になるわけではありません。また、その組織メンバーは、かつては「同質性が高く」で、「社会関係資本」も有していると思います(この特徴が、日本組織の強みでもあり、弱みでもあると思いますが、その話は、また別ところで)。

 しかし、一方で、現在の日本企業が、

「人を集めても、組織になかなかならない状態」

 になりかけているのだとしたら、米国流ではない、「日本にあったかたちでの組織開発」が模索されてもよいのかな、と思います。

 ▼

 明日から、東京大学・中原研究室では「組織開発研究会」がはじまります。
 
  ---

■2011/6/04 nakahara Twitter

  • 23:59  高校時代にやってたギターを、再び最近弾いてるせいか。高校時代に通ったカレー屋とラーメン屋を思い出した。「エコノミーカレー大大」「ラーメンどんぶりでくる中華丼」は青春の思い出。あの量をなぜ食えたのかは不明。http://ow.ly/5a5is http://ow.ly/5a5jK
  • 21:29  宮本直美(著)「宝塚ファンの社会学:スターは劇場の外でつくられる」読了。一見非合理な宝塚ファンの行動の「秩序」を描く。チケットの確保、配布、拍手・盛り上げなど、宝塚の「舞台」に果たすファンの役割が興味深かった。 http://ow.ly/5a2aw
  • 16:07  笑。このドラムセットは、音質よく、コンパクトなのが、魅力的ですね。RT @rock69gogo: @nakaharajun あ、メーカーの者です。いかがでしたでしょうか?笑
  • 15:29  TAKUZO、試打。 http://lockerz.com/s/107533062
  • 14:19  建築家・馬場正尊さんの著書読了。房総に家をたてるまでのプロセスをつづった「新しい郊外の家」、東京で一番面白い不動産屋さん「東京R不動産」。建いずれも、都市で、今後、どのように生きるかを考えさせられます。http://ow.ly/59Xfo http://ow.ly/59XhM
  • 08:06  このセンテンスが印象深いですね。若手のキュレータの皆さんたちの本、なぜか読んでいて勇気がわいてきました >「(キュレータの)仕事とは、アートを通して公共圏をつくること」住友文彦・保坂健二朗 「キュレーターになる」(フィルムアート社)http://ow.ly/59RhF
  • 08:02  高尾先生、とても愉しみにしております!感謝です!@takaoyoshiaki 学部ゼミ生だけでなく、職場で学んでいるゼミOBやビジネススクールOBなども巻き込んで、色々な立場からの解釈やコメントを聞いていきたいと思っています。RT 「職場学習論」ゼミで購読  [in reply to takaoyoshiaki]
  • 08:01  大学生研究フォーラム2011「現代大学生の学びとキャリアをデータと実践を架橋して理解する」8/1(月)・京都大学にて開催。京都大×東京大×電通育英会共催。データから見る大学生の実像です。 http://ow.ly/59Raz
Powered by twtr2src.