「ドラマ教育入門」を読んだ!

 学部時代の友人の高尾隆君(現・東京学芸大学准教授)から、「ドラマ教育入門」というご著書を献本いただいた。「ドラマ教育入門」は、教育における演劇やドラマの役割を、初心者にもわかるように懇切丁寧に解説した本である。ズブのド素人の僕にも、この領域の実践や研究を、よく理解することができた。

ドラマ教育入門
http://www.toshobunka.co.jp/books/detail.php?isbn=ISBN978-4-8100-0558-5

 人によっては、「ドラマ」と聞くと、「民放月9かい?、、、最近、視聴率厳しいんだってねー」という風に、全く違ったイメージをもたれる方が多いと思う。かくいう僕もそのひとりである(スイマセン)。
 しかし、本書で扱われているドラマは、いわゆるわたしたちが持っている「ドラマ」のイメージよりも、ずっと広い。おおざっぱなイメージとしては「演劇(ドラマ)やコミュニケーションゲームなどを含んだ、参加型学習機会」くらいに捉えておくと、とりあえずはよいかもしれない。いわゆるワークショップで行われているような、いくつかのアクティビティも、この中に含まれる場合があると思う。

 いわゆるドラマ教育の目的は、数限りなくある。

 全人的教育をめざす(Ward, W.)
 子どもの創造性の育成(Ward, W.)
 グループの社会性を高める(O'Neill et al)
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 本書を通読した、あくまで僕の理解によれば、それは下記のような特徴をもっているな、と感じた。

1)全人的発達をめざしていること
2)その中でも特に、創造性・批判的思考力・社会性・コミュニケーションといった、いわゆる伝統的で軽視されてきた能力の育成をめざしていること
3)参加型の学習機会を学習者に保証していること

 本書では、米国のクリエィティブドラマ、イギリスのDrama in Education(DIE)などの運動を紹介しつつ、ウィニフレッド=ウォード、キース=ジョンストンなどのドラマ教育の推進を担ってきた様々な研究者、実践者を紹介している。いくつかの代表的なアクティビティも紹介されているから、実践者や実務家の方々にとっても、非常に有益な書籍だと思う。

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 高尾君によれば、今年あたり、国内で「ドラマと教育」「演劇と教育」に関するムーブメントがおこりそうとのことである。僕個人はズブのド素人だけれども、このムーブメントには協力したいと思った。

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追伸.
 上記の本を読んでいたら、ドラマ教育は識字の運動とも関係がありそうだ、と感じた。ドラマ教育の実践家として取り上げられている人々の経歴が、それを彷彿とさせたのかもしれない。
 識字運動といえば、パウロ=フレイレ。彼の名前が久しぶりに脳裏に浮かぶ。
 フレイレは、1921年、ブラジルのレシフェに生まれた。幼い頃に貧困を経験し、民衆の主体的解放(人間化)をめざすべく、成人の識字教育に携わる。20世紀で最も影響を与えた教育学者のひとりであろう。
 フレイレが、生涯をかけて徹底的にあがなったものは「伝達」であり、「注入」である。そうした教育は、抑圧者が自己の権力を維持するために実施されるものだとして、彼は「銀行型教育」という言葉を使って批判している。
 というわけで、フレイレをぱらぱらと読み直してみると、僕はやはり彼に多くの影響を受けていることがわかった。もしかすると、ドラマ教育入門と一緒に読むと、新たな発見があるかもしれない。

人間にふさわしく生きるというのは、世界に名前をつける、命名することである(name the world)。(そうすれば)それが新たな課題として、名づけた者の前に現れる。
(Freire, P.)

学ぶとは、取り戻すこと、再創造すること、書き直すということである
(Freire, P.)