ヴィジョンとは「憧憬」である!?

 昨夜、元・リクルートWorks編集長で、現在、ジェイフィール・執行役員を勤めていらっしゃる高津尚志さんに、授業でご出講いただた。組織理念に関する内容である。

 高津さんのお話しは、いつもInsightfulであり、Informativeである。その中でも印象に残ったのは、

 ヴィジョンとは「憧憬」と訳するのがよいかもしれない

 ということであった。

「組織のヴィジョン」というと、どこか、「他人事」のような気がする。誰かがつくって、それをいかに落とすか(浸透させるか)という話になる。

 そうではなくて、ヴィジョンとは「自分が仕事を通じて抱く憧れ」であり、「職場で働く他者が仕事を通じて抱く憧れ」である。

 高津さんがおっしゃりたかったことは、おそらく、そこに共通点やつながりを見いだせたとき、つまりは「組織が事業を通じて抱く憧れ」が存在したとき、はじめてヴィジョンはヴィジョンとして機能するのではないか、ということではないか、と思う。

 慧眼である。全く共感する。そして、これが既存のミッションマネジメントの議論にすっかり抜け落ちていることであると僕は思う(先行研究ではいくつか指摘は存在するが、実証的ではない)。

 この考え方は、センスメイキングを重視したカール=ワイクや、社会構成主義の考え方に近い。次々週では、そちらに関しても、長岡健先生にご講義いただく予定である。こちらも楽しみだ。

 最後に。
 高津さんが、プレゼンの中でヴィクトール=フランクルの言葉を引用なさっていた。

 人間の主な関心事とは
 喜びを得ることでも
 痛みを避けることでもなく
 自分の人生に意義を見いだすこと

 フランクルの言葉に触れるのは、そういえば、十数年前、そういえば、学生の教養学部以来である。僕の人生の意義とは何だろう。思わず、考えさせられた。

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追伸.

 今日は午前8時青山集合。ダイヤモンドさんとのお仕事である。

 今週、東京は暑い。そんな週に限って、スーツ+Yシャツの日が多い。こんなことを言うと怒られるかもしれないが、ふだん着慣れないだけに(いつもTシャツ+短パン+サンダル)、むちゃくちゃ疲労を感じてしまう。

 はやく、「大人」にならなければ。