中高年男性は対話下手!?:北川達夫×平田オリザ「ニッポンには対話がない」

 北川達夫×平田オリザ「ニッポンには対話がない」を読んだ。「学びとコミュニケーションの再生」という副題が、興味をそそった。

 特に「中高年の男性が対話ができない」「経験の絶対化は危ない」という指摘が印象的だった。

 長くなるが、下記に北川さんと平田さんの対談部分を記す。

 ▼

 相手が自分より立場が弱かったり、経験が少なかったりするような場合に、その宛の意見を押さえつけるような発言をしたり、意見をまったく聞かなかったりという、コミュニケーション能力の乏しさでいえば、日本では、いまの子どもよりも、中高年の男性たちに問題があると思いますね。

 彼らは、人の意見によって、他者と出会って、自分が変わると言うことを全く想定していませんから。

 今、大阪大学では鷲田さんを先頭に「哲学カフェ」というオープンな話し合いの場を企画してやっているんですが、そこでの40歳以上の男性、50代、60代と、そういう男性の態度がひどいんですね。

(中略)

 本当にダメなのが、中高年の男性たちです。これが一番対話下手。今流行している言葉でいうと、「上から目線」で「そんなことはないだろう」とか、「君は若いからわからないかもしれないが」と言ってしまう。若い人たちの意見を押さえつけるためだけの発言をするんです。

(中略)

 ちょっと単純化しすぎかもしれないですけど、そういう部分って、非常に大きいんですね。今の中高年の方というのも、その知識とか、経験の優位の中で意見が言えるんだって思ってしまっている。どうしても、自分の知識と経験というのは、絶対化しやすいので、「自分はこれだけの経験をしてきているんだから、その経験をしてきていないおまえにはわからん」という態度になってしまって。

 特に経験というのはやっかいですね。その人にとっては、まちがいなく事実であり、絶対的な真実と思いこみやすいですから。でも、自分の経験だけを意見の根拠にするのは危ないのです。

 その経験がすべてにあてはまるはずはないし、他人には、その人の経験を評価しようもない。だから「自分の経験では・・・」と得々と語る人はいますけれど、そういう人とでは議論が成り立たないのです。

(中略)

 経験も知識もない人間は社会でものを言ってはいけないという雰囲気になってしまう。

(同書 p59-60より引用)

 ▼

 中高年の男性の「対話下手」が一般化できるかどうかはさておき、僕が思ったことは下記の4点。

1.「経験がある人」から「経験のない人」へ経験が伝達されるのなら、そうしたコミュニケーションは「導管モデル」に基づくものであり、「対話的」ではない。

2.経験のリフレクションは他者との対話に開かれるべきである。つまりは協調学習として成立しなければ、経験の絶対化と過剰一般化が起こりやすい。(経験学習は協調学習的でなければならない)

3.経験から導き出された「Folk Theory(持論)」は決して固定的なものになってはいけない。それは常に他者と環境に開かれ、「ゆらぎ」を経験しなければならない。つまり「持論はいつまでたっても未完であるべき」

4.ゆえに「持論」は「棄論(Unlearn)」といつもセットであるべき。持論と棄論の「果てないあやとり」こそが、大人にとって、最も重要なことではないだろうか。

 詳細は、秋出版予定の著書「リフレクティブマネジャー」で述べます。
 明日からお休みにはいります。
 皆様、よい休日を!

---

「伝えた」はずなのに、伝わっていない。
「伝えた」はずなのに、相手の行動は変わらない。
「伝えた」はずなのに、組織も変わらない。

中原淳・長岡健著「ダイアローグ 対話する組織」発売中!

様々なブログに、読後の感想が掲載されています! ありがとうございます!