失われる学校内コミュニケーション

 先日、某小学校の教員の方とお話しする機会を得ました。
 最近、その方が勤務する小学校では、教員に対する「上」からの締め付けが厳しくなっており、ついには、

1.休み時間に職員室に戻ってくることの禁止
2.休憩室でお茶を飲むことの禁止

 に至っているそうです。

 このような中で、急速に失われているのは、「教員同士の横のつながり、コミュニケーション、連携」といったもの。

 実際、職員室に誰も戻ってこなくなり、誰も話をしなくなりました。社会学者ローティが、かつて指摘したような「学級」という「Egg structure(タマゴの殻)」に閉じこもる先生方が増えたそうです。

 そんな中、最も困ったのは「新任の先生方」だそうです。ベテランの教員にアドバイスを受けたくても受けられない。そもそも何か問題を抱えても、他の教員からは見えにくい。

 問題はすべて自分の学級に閉じてしまう。学級運営的にも、教員のメンタル的にも、「非常に危険な状態」に見えるそうです。

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 今、企業の方は、組織内のコミュニケーションを見直したり、ナレッジの環流を促したり、対話(ダイアローグ)の場づくりに取り組もうとしているところも少なくありません。

 上記で述べた学校の状況が、どの程度、一般的なことかどうかはわかりませんが、もしそうだとすると、世の中の流れとは、どう考えても「逆行」しているように見えます(そもそも休憩とか、お茶とかを、教員一律に制限するっていう発想が疑問)。

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 内田樹さんが近著「街場の教育論」の中で、おっしゃっていることですが、結局、教育現場をよくするためには、教育現場のフロントエンドにたつ教員の方々にいかに創意工夫をもって授業をしてもらえるか。現場の先生方をエンパワーメントして、いかに元気になってもらうか、にかかっています。

 僕は、上述した小学校をフィールドワークしたわけではないので、その詳細はうかがい知ることはできません。が、もし事実だとすると、少し「危ないもの」を感じてしまいます。

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 最近の読書で出会った名言たち。

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「わたしは、人間の自由というものは、その欲するところを行うことにあるなどとは考えたことは決してない。それは、欲しないことは決して行わないことにある。」

ルソー「孤独な散歩者の夢想」

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「思い切り悪いことのできる奴は思い切りいいこともできる。思い切りバカなことのできる奴は思い切り真面目なこともできる」

ビートたけし

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 一人の石工は不機嫌な表情で「忌々しい石を切っているんだよ」とぼやいた。
 別の石工は満足そうな表情で「大聖堂を建てる仕事をしているんだよ」と誇らしげに答えた。

ヤン・カールソン「真実の瞬間」