皿を落として、皿を回す

 先日、ある方とお話ししていたときに(小生、月に2度程度、コーチングを受けているのです)、思わず僕は、こんなことを口にした。

「僕らの仕事を、皿回しに喩えてみましょう。僕らは、両手、時には、片足をも使って、たくさんのお皿を同時に回していますよね。

でも、結局、新しいことを立ち上げるためには、両手を一度、自由にする必要があるのかもしれませんね。右手も左手も自由にして、新しく自分が回そうとする皿をしっかりと一度は持たなければならないんですよ。

今回っている皿を意図的に一度落とさなければ、新しい皿は回せないのかもしれません。

そして、回っている皿は誰もとめてくれない。止めるのは、自分なのかもしれません」

 ▼

「皿回し」の寓話は、先日、ある出版社の対談で、カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社 最高執行責任者の柴田励司さんとお話をしたときにでてきたもの(この対談は出版される予定です)。

 柴田さんとのお話では、「両手を自由にする」いうメタファはでてきていないと思うのだけれども、コーチの方の「機転あふれる問いかけ」によって、先日の話と自分の課題が結びついて、こういう言葉がでてきたんだろう、と思う。

 自分としても、非常に意外な「発見」であったが、同時にしっくりときた。

 ▼

 僕の仕事は「新しいもの」を生み出すことだ。「やりたいこと」は、とめどもなくあふれて出てくる。しかし、何かをはじめることは、何かをやめることとセットでなければならない。

 何をはじめ、何をやめるか。

---

伝えたはずなのに、相手の腹におちない
伝えたはずなのに、相手の行動は変わらない
伝えたはずなのに、組織のあり方も変わらない・・・

あなたの職場のコミュニケーションを見直してみませんか?

中原淳・長岡健著「ダイアローグ 対話する組織」発売中!
中国語版出版予定