教育を語ること

 ずっと昔の話になりますが、確か、NHKで、作家の村上龍さんが司会になり、「日本の教育の将来やあり方」について、教育学者、教育評論家をたくさん招いて、議論するという番組があったと記憶しています。
 
 番組のあいだ中、様々な教育学者、教育評論家が

「日本の教育とは○○べきだ」
「日本の教育現場は~なべきだ」
「日本の教師は~であるべきだ」

 という当為(べき論)を闘わせていました。ロジカルに、かつ、雄弁に、それぞれの立場から、「日本の教育は~すべき」を闘わせていました。
 それはそれで面白かったのですけれども、この番組の「最高の瞬間」は、一番最後に仕組まれていました。

 村上龍さんが、一番最後にこういう問いかけをしたのですね。

「いろいろ議論をしましたが、最後の質問です。皆さん自身は、自分のお子さんにどのように育って欲しいですか?」

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 場が一瞬凍りました。話し合いのモードが、「日本の○○」が主語の会話から、「わたし」に変わったのです。「~するべき」から「~したい」という風に語尾が変わったのです。

 そして、参加者のどなたかが、ぼつりとこう言ったのですね。これまで、雄弁にロジカルに「日本の教育」を語っていた人々が、最後につぶやいた一言が、僕は忘れられません。

「やっぱり、明るく楽しくかな・・・」

 続く人々も、同じようなことを述べていました。

「健康で元気にすくすくと育って欲しいですね」

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 僕は、ここに「教育を語ること」の難しさと希望を見ました。
 同時に、こういう「問いかけ」のできる村上龍さんの機転に、深く感銘を覚えました。