越境する教師の会

 大学院入試が始まる。
 最近少しずつ涼しくなってきたけれど、大学院にとっては、一年で最も熱い「二週間」のはじまりだ。

 「志ある人」に出会いたい。
 ただ、それだけである。

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 入試業務のあいだ、ソシオメディア論がご専門の水越伸先生とランチをする。お互いが、今やっている研究、実践についてお話しした。

 水越先生は、「メディアが変わる、世の中が変わる」というマーシャル=マクルーハン以来の命題に違和感を覚え、「ソシオメディア論」という分野を立ち上げたそうである。

 水越先生と僕では「月とスッポン」だけれど、つい先日、僕もブログで「○○授業が、学校を変える」というスローガンに対する違和感を自戒をこめて書いていた。奇妙な「シンクロニシティ」である。

 違う分野の先生と話すのは、とても多くの「発見」があって面白い。こうした対話が実現することが、僕が、大学院教育に参加するひとつの「意義」かもしれない。

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 このところ、青山学院大学・教授の苅宿俊文先生と、お話しする機会が多い。

 苅宿先生の主催なさる「越境する教師の会」の企画に賛同し、その企画づくりに少しだけご協力させていただいている。

「越境する教師の会」は、現場の先生と「学校外の人々」を出会わせ、そこでの対話を通じて、「成長」や「気づき」を促そうという会である。

 今回はシンポジウム開催のため「企業などで勤務する学校外の人々で、曇りのない目で学校を見つめることのできる方々」をご紹介させていただいた。

 これまで、学校の先生と学校外の人々が出会うと、下記のような責任のなすりつけ合いが起こり、必ずしも生産的な議論にならなかった。

こうなったのは、学校のせいだ。
  学校が変わり~しなければならない

こうなる原因は、企業にある
  会社が変わり~しなければならない

 僕も、これまで何度か企業主催のセミナーに、あたかも「大学」を代表する人間であるかのように招かれ(もっとエライ人に言え!)、下記のようなディスコースに巻き込まれ、何度か厭な思いをしたことがある。

 大切なのは、「○○が~しなければならない」とったようなディスコースを超え、「○○を実現するためには、あなたに何ができるか、そして、わたしには何ができるか」というディスコースをつくりだすことであると思う。

 「が」の応酬に「未来」はない。
 どんなに論理的で合理的に「がの応酬」を繰り広げようとも、お互いがお互いにとって都合のよいデータや根拠を持ち出すだろうから、それは平行線をたどるだけである。

 必要なことは、「学校」も「学校外の組織」も、対話を通じてお互いを理解し合い、お互いが「変わること」を決意し、その「関係」をリデザインすることである。

 今回ご紹介させていただいた方々は、必ずや、現場の先生と素晴らしい対話の機会をつくりあげられる方々であると思う。

 僕自身、次回の「越境する教師の会」には、学会のため、参加できない。でも、おいおい参加させていただけることを楽しみにしている。

 そして人生は続く。