それって、課長の問題ですか?

 先日、ある人材育成関係者から「笑えない話」を聞いた。

 最近、企業人材育成の現場では、

「それって課長が問題ですか?」

 と思わずツッコミを入れたくなる事態が進行しているのだという。
 会社や職場の中で生じた、あらゆる問題の対処を行うのが「課長」とみなされ、彼らに対して「教育」という「短期的処方箋」が提供することで、Catch all(問題はすべて解決)だよね、というような「安易な風潮」が生まれつつあるのだという。

「いやー、課長研修お願いしたいんですよ。最近、うちの会社って元気がなくって。そこで、課長。バーンと、彼らに対してよい研修がないでしょうか」

 はたまた

「実はですね、課長向けの教育をうちたいんですよ。なんか、うちの会社って、Yesマンばかりが多くてね。そういう雰囲気を変えたい。で、まずは課長から。そういう雰囲気を変えられるのは課長でしょう」

 という感じ。

 ここで重要なことは、会社や職場に生じた問題が、どんな問題であっても、既に「課長向けの教育」という風に、担当者の中で「手法」が決まっていることである。

 おそらくは、担当者の中で、その「原因」が「課長」ではなく、組織や風土の問題であったり、役員やトップマネジメントの問題であることはわかっていたとしても、その対処を行うのは「課長」とされる傾向がある。
 だって、前者だとすれば、いわゆる「人材育成」の仕事ではないと考えがちだし、後者だとすれば「役員を対象に研修」なんて、勇気をもって企画できないだろうから。もちろん、そうであるならばまだいい方で、何も思慮なくターゲットが「課長」と設定されている場合も少なくない。

 かくして「課長」は、ただでさえ「クソ忙しい」中で、「会社を元気にするための研修」「会社のYesマンを減らす研修」を受講することになる。そもそも彼が「原因」ではないし、そもそも「彼ひとり」の力で対処できる問題ではないのにもかかわらず。

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 それにしても、こういう事態が進行すること自体が、僕からすると、不思議で不思議で仕方がない。ある意味で「新鮮」ですらある。

 だって、問題の原因も、その対処の仕方も「未知」であるにもかかわらず、それを調べたりすることなく、もう既に「教育的介入の中身」がきまっているのだから。それがどんなに大きな問題であっても、個人で対応することが求められるのだから。

 会社に元気がないこと・・・
 会社にYesマンが多いこと・・・

 それって、課長の問題ですか?