人は長くは泣いていられない!?

 昨日は、すっかり書き忘れてしまいましたが、A先生は、子どもが泣くことについて、他にもいろいろとおっしゃっていました。下記も、なるほどな、と思ったことです。

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 叱られて子どもが泣いている時間は、その子のまわりに群がってくる友達の数に比例するんです。

 子どもは、一人では、長くは泣かないものなのです。叱られて、一人でずっと泣いている子どもはいない。ひとしきり泣いたら、自分の力で、正気に戻るものなのです。

 でも、泣いている子のまわりに友達がいて、「ねー、どうしたの?」「なんかあったの?」とかって、聞いているとしますね。こうなると、なかなか泣きやみませんよ。

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 これ、オモシロイですね(何でも面白がってしまうのは悪い癖かもしれない)。深い。

 A先生は、子どもについておっしゃっていたけれども、この一部は、大人にも言えるかもしれないなぁ、と思って聞いていました。

「人は、一人では長く泣いていられない」

 のではないでしょうか。

 そりゃ、こっぴどく異性に振られちゃって心に痛手を受けたり、はたまた、机のかどに足の指を思い切りぶつけたりしたら、「泣ける」わな。泣けるよ、そりゃ。

 でも、もし「一人」だったら、長くは続かない気がするんですね。少なくとも僕は長く続かない。

 「イテーな、コラ!」と誰にぶつけたらいいかわからない怒りと悲しみを抱えつつも、まわりに自分一人しかいなければ、「ちっ、しゃーねーな、ドジふんだぜ」と、比較的早い段階で正気に戻ってしまう(足の指と失恋を一緒にするな、という感じですが)。

 でも、もしまわりに自分の話を聞いてくれる人がたくさんいてくれたら、なんか大げさに悲しんでみせたり、痛がってみせたりするような気がする。

「いてーよ、いてーよ、なんて、可哀想な僕」

 みたいな感じ。てなことないですか? これって、僕だけ?

 ここからは(ここまでも)、完全無欠の根拠レス、学問とは無縁の私見ですが、人が悲しみの淵から立ち直ろうとするとき、かえって声をかけると、そこから這い上がってくるのが遅れることもあるのかもしれませんね。

 人が悲しみや痛さの淵にあるときは、敢えて「一人」にしてあげなければならない。そして、自力で少しでも復活してきたときには、温かく迎え、受け入れる。もちろん、「ずっと一人で」はシンドイと思うのだけれども、あるとき「一人になること」は、プラスの効果をもつ。

 僕は臨床心理とか感情心理とか、そういう領域の知識や専門性は全く、本当に全くないので、もう既に学問的にこういうことが言われているのかもしれませんけれど、なんとなく、そう思いました。

 深いね、人は、深いよ。