「先生」と「企業人材育成担当者」の交流!?

 大学院生W君の研究打ち合わせのため、某大学・A先生のアジト!?(研究室)を、おとずれた。W君は「初任者教師の力量形成を支援するシステムの開発」に取り組んでいる中原研究室修士2年の学生である。

 A先生は非常にお忙しい中我々のお話を聞いてくださり、また、今後の可能性もご提案いただいた。今日はW君の研究にとっても非常に進展が見られた日で、大変喜ばしい日であった(指導教員としては、嬉しいものです)。

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 A先生とはいろいろな話をしたけれど、「初等中等教育の現場の先生と企業人材育成担当者の交流」の話が大変印象的であった。

 A先生は、近年、小学校や中学校の先生を集めて「越境する教師の会」というのを主宰なさっているのだという。
 現場の先生方がいったん学校を離れ、学校の外の社会で何が起こっているかを見つつ、学校や教師が社会的にどのように「見られているか」を意識してもらう場なのだという。この会のコンセプトは「教師の総合学習」だそうだ。

 会では、企業の人材育成担当者に来てもらい、企業での人材教育のこと、企業から見た学校の姿などを語ってもらうこともあるのだそうだ。教師教育を学校にとどめず、社会に開くという意味で、大変オモシロイ試みだと思った。

 A先生によると、教師が教師同士で行う授業研究は、それ自体大変貴重だが、ある意味で「限界」もあるのだという。小学校での教員経験から、そのように思うそうだ。

 問題点のひとつは、社会における学校や教師のポジションを理解しにくい、ということだという。越境する教師の会は、それを乗り越えるための社会的装置とも位置づけることができるだろう。

 また、少し別の話になるけれど、授業研究は貴重であるが、もうひとつの限界があるのだという。それは、授業研究が、「教師の生きる日常の社会的関係」の「中」で営まれることに起因する。

 顔を見知っている先生同士だから、お互いによく状況を理解しあっている先生同士だからこそ、お互いに「ふれていい部分」と「ふれてはいけない部分」がわかる。

 授業を真剣に内省するためには、このコードを時に犯すことも必要なのだが、通常は、それは、なかなか難しい。「ふれてはいけない部分」を巧妙に避けることで、授業研究という場を、何とか「達成」することが・・・・悪い言葉を使うのならば、「やりすごす」ことが求められる。

 もちろん、教育学における教師教育研究においては、授業研究は、理論的にはそのような場としては位置づいていない。
 しかし、短期的に場に関与しかしない研究者がいくら声高に、「お互いに思っていることを言うべきだ」と主張しても、長期間にわたって、「そこ」で生きていかなければならない現場の教師たちには、それがなかなか難しい。理論的にコレクトでも、それは現場としては難しい側面をもつということである。
 故に、せっかくの機会でありつつも、教師の成長に寄与することが難しくなる、という話であった。大変興味深い。

 ちなみに、午後の別の会議で、ある方々にこの話をしたら、

「企業の人材育成担当者も、現在の教育現場をあまり知らないと思いますよ。自分の受けた時代の教育や学校しか頭に浮かばない人が多いと思います。若手の育成などを考える人は、特に、教育現場からいろいろなインスピレーションをもらえるのではないでしょうか」

 という趣旨のコメントを頂いた。

 これ、オモシロイと思わない?

 学校と企業・・・一見、全く、違った組織に勤務している人でも、「人の成長」「人の学び」に関わっているという点では、企業・組織の人材育成担当者も、現場の先生も共通している。

 A先生とは、「越境する教師の会」と、僕が主宰している「Learning bar」の接点や交流を模索しようという話で非常に盛り上がった。

 何か素敵なことが生まれそうだな、と思った。

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追伸.
 A先生はこんなこともおっしゃっていた(ICレコーダはないので一字一句同じではないです)。現場での実践経験に裏打ちされた、非常に含蓄のある言葉であると感動してしまった。やはり現場の経験から生まれる「持論」とはスゴイものですね。

「子どもを叱った後には、一人にしてあげなさい。そこですぐにご機嫌をとっちゃいけないんです。そういうのを、昔は「おもねる」といったんだよね。

 叱られた子どもは、泣くかもしれない。でも、泣いている時間というのは「考えている時間」なのです。それを奪っちゃだめだよなぁ。怒るときは怒る。これが重要。

 「叱ったときには、おもねっちゃダメだよ」、僕がまだ新米教師だったころ、先輩の先生からそう教わりました。泣かせておいた方がいい。むしろ、フォローは、放課後一緒に遊んであげるときなんかに自然とやればいい。

 そう考えると、授業での指導と放課後遊んであげることは、セットなんだよなぁ。昔はそれができたけれど。でも、最近の先生は忙しくて、放課後に子どもと遊んであげる時間はないですよねぇ・・・」
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 ちなみに、A先生は僕が学部時代から大変お世話になっている先生である。当時、A先生は、都内のある小学校教諭として勤務なさっていた。まだ右も左もわからない学部時代の僕が、先生の授業に参与観察をさせてもらった。そのご縁が今も続いている。大変ありがたいことである。

 今日、僕は、大学院生のW君を連れてA先生のもとを訪れた。ちょうど10数年前、当時の指導教官であった佐伯先生が僕を連れて、A先生の学校を訪れたときのように・・・。

 なんだか不思議な気分だった。
 Time pasts so fast...

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 ちなみに、下記の写真は小学校で参与観察をしていた頃の僕です。21歳の頃でした。ノートを抱えて、後ろから授業を見ています。この写真にうつっている子ども達は、もう大学を卒業し、ちょうど社会に出た頃ですね・・・。びっくりですね。

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