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現場と学問、そして希望

「教育研究は、最後の最後には、"明るい未来"を提案しなければならない」

 僕の恩師がよく口にしていた言葉である。一字一句正確ではないが、おそらく、下記のような趣旨のことを、かつて、学部生の僕におっしゃっていた。

「暴くだけ現場の矛盾や現実を暴き、あとは知らん現場で勝手にやってね、ではいかん。論文として採録されるかもしれんが、それでは教育研究の大切なポイントを果たしていない。

かといって、現実のすさまじさから目をそらして、「今、ここで役に立ってるんだからいいでしょ」的な態度を決め込むのもいかん。それは学問の責務を果たしていない。

現場の現実を無視せず、学問としての鋭さを失わない。そして、その状況下で、教育研究は、最後の最後には、現場に"未来"を提案しなくてはならない。これは本当に難しいのだよ、おぬし」

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 今、僕は、いろいろな研究プロジェクトで、企業人材育成の「現場」にかかわりながら、社会調査を行ったり、教育体系づくりにかかわらせてもらっている。大変ありがたいことである。

 ひとつひとつの案件ごとに、現場が抱えている問題は個別具体的。そして、その根っこはめちゃくちゃ深い。たいていの場合、そこには、とても「人間くさい問題」が横たわっている。

 そして、そのたびに思う。

 学問としてコレクトであっても、「現場で起こっている出来事」とは距離のある提案に、人は納得しない。
 理論的には正しくデザインされてはいるものの、そこに「希望」を感じられないシステムを人は選択しない。

 学問の立場からは稚拙に見えたり、理論的不純を抱えるものであっても、現場の感覚がそこに反映されており、かつ、そこに「未来の希望」を感じることのできるシステムを、人は選ぶ。

 しかし、だからといって、学問や理論が全く役に立たないわけではない。現実を前にして何から手をつけてよいかわからないとき、現実に起こっている出来事の解釈を行うとき、それは非常にパワフルな枠組みとして機能することがある。

 現場と学問、そして希望
 この3つが融合する瞬間を、いつも夢見ている。 

 教育学者は、学会誌に論文を投稿することが仕事ではない。
 教育現場に「希望」をもたらすこと、世界を変えることが仕事である。

  

投稿者 jun : 2008年04月21日 23:13