企業内大学の「分かれ道」

 「企業内大学」というコンセプトがあります。「企業・組織に設置された教育機関やカリキュラム」の総称です。

 敢えて企業内大学を「コンセプト」と書き、さらに「総称」などという具合に「ゆるゆるの定義」をしたのは、ちゃんと理由があります。この言葉の指し示すところが、企業・組織によってバラバラだからです。いろいろな企業の担当者にヒアリングする中で、そう思うようになりました。

1.後継者養成を行うための場
2.新規事業を立ち上げる人たちに、スペースや場所を提供する場
3.若手養成の場
4.組織のバリューを伝える場
5.マネージャ育成のための場

 まー、いろいろあるのよ。同じ「大学」という言葉を名乗っているけれど。リアルな大学とは違って、「大学設置審議会」や「マルゴウ審査」があるわけではないからね。

 施設をもっている「大学」もあれば、そうでない大学もあります。カリキュラムをもっているところもあれば、そうでないところも。要するに、企業内大学とは「コンセプト」であり「ブランド」なのです。

 こう書くと、

「企業内大学とは本来かくかくしかじかのものである、ゆるゆる定義とはケシカラン!」

 なんて具合に口角泡を飛ばして怒り狂う人もいるかもしれません。でも、申し訳ないのですが、僕は、企業内大学の「本質」や「定義」をさぐることには、あまり興味がありません。僕は「企業内大学で食っている人間」ではないので。

 でも、一方で重要だな、と思うことはあります。定義は「ゆるゆる」でもいいのでしょうけれど、

 大学が何を目的に設置され
 どのような連携のもと
 どんな人材を育てるのか

 については、組織の様々なステークホルダーを全員巻き込みつつ、合意をとっておく必要があるように思います。少なくとも、教育担当者、トップマネジメント層、事業部の長、人事担当者のあいだで、そこだけは時間をかけて合意したほうがいいのではないか、と思いました。

 そうでないと、いつも言っているように、ほおっておけば、「教育はもれなくコエダメ化」します。「失敗する可能性のあるものは失敗する」の「マーフィーの法則」じゃないけれど、「もれなく」です。特に教育がサービスと把握されるようになり始めた昨今では。すぐに「教育にできないこと」までが、「教育の範疇」に含められ、「やれ、教育のせいだ」「やれ、教育が悪い」ということになる。

 いろいろ話を聞いていると、結局、これができている組織と、そうでない組織があるように思いました。なんか、そのあたりに「成功への分かれ道」があるような。なんの科学的データもない、あくまで感想ですけれども。

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追伸.
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