研究者はどこで学ぶ!?

 今、大学で先生をやっている人に、下記のような問いを投げかけたら、どのような回答がかえってくるのでしょうか。昨日、ある大学の先生とこんな話題について話し合いました。

 あなたが、どのような場で、現在仕事をしていく上で必要な知識や技能を学びましたか?

 僕の場合はこうです。

 確かに「formalな学習機会」・・・つまりは「授業」や「ゼミ」も非常に重要でしたが、圧倒的な割合を占めるのは、研究室で気の合う大学院生同士で「共同研究」をやったり、「勉強会」をやったことです。

 僕は、そこから研究者としての資質の8割を学んだといっても過言ではありません。そして、さらに「現在の仕事」を下支えしている様々なリソースの7割は、その時に培われた人的コネクションから派生したものであるように感じます。

 もちろん、これは人によって違うんでしょう。コースワークや授業が決定的影響をもっていた人もいるんでしょうし、僕と同じような人もいるのだと思います。

 でも、自分が「教える立場」になってみて、はじめて思うのは、フォーマルな「ゼミ」や「授業」の時間の少なさであり、限界です。それらが、キチンと運営され、実施されなければならないことは言うまでもありません。また、そのように努力しています。が、そこには、どうしても限界があります。

 たとえば、僕の研究室の学生さんの場合、一人の大学院生に発表順番がまわってくるのは年間で7回から8回でしょう。

 もし仮に1年間で修士論文に必要な研究計画を書き上げなければならないとすれば、わずか7回か8回でRQをフォーカスし、緻密な実験計画をつくらなければならないのです。一回一回が貴重な機会であることは言うまでもありませんが、やはりそれだけでは不足します。

 少なくとも僕の感覚に関する限り、やはり研究者の能力開発も、その多くが「現場」の変数で説明がつくように思います。つまり、節目節目のFormalな学習機会をいかしつつも、いかにふだんの研究室生活の中で、大学院生同士がお互いに学習機会をつくるか、ということです。

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 昔話になって恐縮ですが、僕が大学院生の頃、本当に多くの共同研究をしました。みんなで「あーでもない、こーでもない」と議論をして、ソフトウェアを設計し、コーディングをして、評価実験計画を書いて、実験をして、結果を論文にまとめました。

 また、金曜日の午後には、informalに、それぞれ自分の研究を発表する機会をつくりました。発表会は、ガストなどのファミリーレストランでやりました。みんなお金がないので数百円のドリンクバーで、4時間から5時間粘っていたのだから、今から考えて、ものすごく迷惑な客だったと思います。

 そのほか、公開研究会をたくさん開きました。海外で大きな学会がひらかれるたびに、そのproceedingsの中からオモシロイ発表を選んでみんなで読んだりしました。研究方法論に関するゼミもやりました。「うーん、この論文のこの方法はつかえるねー」なんて言いながら、方法を身につけていきました。

 それから8年・・・当時、僕が一緒に学んでいた人たちは、一人残らず、研究職につきました。日本全国の大学、あるいは、民間の研究所で働いています。あれから7年、8年たった今でも、たまに逢うことがあれば、スッとあの時と同じ雰囲気に戻ることができます。ガストのドリンクバーで数時間粘っていたあの頃と同じようなノリに。

 これらは「シラバスには掲載されていない学習機会」です。今となっては、本当に「あったこと」なのかどうか、それすら全く証拠はありません。しかし、僕にとって、その機会は本当に大きなものでした。