溶解するe-learning : ASTD2007の傾向!?

 今年のASTD2007の傾向は?

 何人かの方から、メールをいただきました。

 うーん・・・「傾向」ねぇ・・・。

 「傾向」と言われると、困りましたね。僕は全部のセッションを見ているわけではないし、僕の出たセッションは全体を代表するサンプルになっているわけではないので、何と答えてよいやら。

 でも、敢えて、自分の出席したセッション・ワークショップの情報と、毎夜、様々な方々と情報交換したことを総合すると、いくつかの「傾向」はありそうな気がします。

 全部語るのも面倒なので、ひとつだけ、これは結構確度高いかも、と思えるものを、お話しします。

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■溶解するe-learning

 これは予想したとおりのことでした。「e-learningという発表が減った」ということのみならず、「e-learningというカテゴリーが消えかかっている」というのが実感です。

 かつての大会では、e-learning関連のセッションが、全セッションの9割を占めたこともあるそうですね。毎年ASTDに行っている方からお聞きしました。

 僕も3年前に行きましたが、そのときは、まだまだたくさんの発表がありました。でも、今年は減りました。また、セッションとしてはあっても、あまり人は入っていないように感じました。

 ここには、3つくらいの仮説がたてられそうです。

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1.e-learningと取り立てていわなくても、何らかのかたちで育成にITを活用するのはアタリマエになってきている。

2.「IDを使ってコンテンツを作り込むかたちのe-learning」というよりもむしろ、ITを活用した職場での知識共有、知識コミュニティ形成が、e-learningと考えようという動きがでてきている。そこまで概念拡張してしまうと、それを敢えて「e-learning」とは呼ぶ理屈がなくなってしまっている

3.上記2点から「e-learning」という概念が溶解している。「知識コミュニティの形成」とか「インフォーマルラーニング」といった内容のセッションの中で、自然にそれが触れられている。

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 これは、別に嘆かわしいことではなくて、テクノロジがたどるアタリマエの普及のプロセスだと思います。僕が4年前に編集した本で、同僚の西森さんはこんな風に語っています。

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 eラーニングという言葉はどうも怪しい。

 eラーニング白書(ALIC編著 オーム社2001)によれば、eラーニングとは「何らかの形でネットワークを使う学習形態の総称」だという。ということは、何か調べものがあった時に、ちょっとインターネットで検索すれば、それはもう「eラーニングしている」といっていいのかもしれない。

 家庭へのブロードバンド環境の浸透や、インターネットに接続できる携帯電話の普及が進み、現在、インターネットの利用は日常化している。こうした日常の中では、学習にどこかでネットワークが関わることは不可避的とも言える。学習に限らず、人間の活動のあらゆる側面がそうであろう。

 こう考えると、eラーニングは特定のシステムや作り込まれた教材という範囲を超えて、日常に偏在することになる。eラーニングとは、何のことはない、現在に生きる我々の日常の特徴の一つだという訳である。

(西森 2003)

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 ちょうどこの本の執筆を行っていたのが2002年。当時は、e-learningは「儲かる話」であり「システムの話」でした。
 e-learningが溶解する日 - 現在に生きる我々の日常の特徴のひとつとなる日を迎えるまでには、それから5年かかったのかもしれません。

 もちろん、既存のe-learning教材のすべてがなくなり、「知識コミュニティ」などの他カテゴリーの中で語られるものに変容をとげるわけではないでしょう。ネットで利用できる教材の重要性や必要性は、今後、増えることはあっても、減ることはないと思います。

 しかし、「e-learning」という「スペシャルなカテゴリー」の中で、それはもはや語られるものではない、ということは、どうも間違いがなさそうです。それはもう日常なのです。

 e-learningは、もはやlearningである