不夜城、霞ヶ関 : 城山三郎著「官僚たちの夏」

 経済小説の古典と言われる城山三郎著「官僚たちの夏」(新潮文庫)を読んだ。「小説」を読んだのは、ほぼ数年ぶりのことではないかと思う。

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 「官僚たちの夏が上梓されたのは、僕が生まれた昭和50年。主人公である異色官僚「風越信吾」が、人事を操りながら、事務次官にまで昇進し、退官するまでを描いている。

 聞くところによると、風越は、当時、「通産天皇」と言われた佐橋滋氏をモデルにしていたそうだ。この小説は、モデル小説ということになる。

 高度経済成長のとげる日本に対して、海外から高まる貿易自由化の波。ようやくテイクオフをとげた日本産業を、いかにして、外資から守っていくか。そして、そのために「官」がすべきことは何か。

 爆発的に成長しているとはいえ、もしここで、この国の産業を守らなければ、壊滅的な打撃は国民にまで及ぶ。脆弱な日本企業をいかにして守るかが、ある年の「官僚たちの夏」のテーマだった。

 その「夏」の結末は・・・

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 僕個人は、おそらく最も「官僚」には似合わない人間である。
 しかし、僕の友人の中には、今もそこで深夜遅くまで「無定量、無際限」に働き続けるものもいる。そんな彼らの奮闘の様子とは、こんなものなのだろうか、と勝手に推察しつつ、本書を読んだ。

 官僚叩けば人気がでるため、選挙が近くなったり、支持率が低くなると、官僚叩きが横行する。官僚がどんなに奮闘しようと、それとは無関係に批判にさらされる。そういう不条理は、何となくやりきれない。

 もちろん、腑に落ちないところ、読んでいて嫌悪感をもつべき部分も少なくない。風越の傍若無人な物言いも鼻につくところもある。同期一斉退職を前提とした官僚制度も是正されるべき部分はあるのかもしれない。

 まぁいい。
 いずれにしても、今夜も、霞ヶ関には、灯りがともる。
 それだけは間違いのない事実である。