MBAが会社を滅ぼす!?:アート、クラフト、サイエンス

 ミンツバーグ著「Managers not MBAs」を邦訳で読み直しました。やはり日本語の方が頭にスルスルはいるわな。横から見ても、下から見ても、アイ・アム・日本人。そりゃ、そうだ、アタリマエダのクラッカー。

 本著の趣旨は、「既存のMBA教育がいかに"マネージャの育成に失敗してきたか"、その原因を探ること、と新しいマネージャ教育はいかにあるべきか考える」ことでしょう。

 ここで展開されている議論は、別に、MBAだけじゃなくて、結構、いろんな専門職学位についていえるかもしれない。M.Edとかなんかは、ある意味、ほとんど当てはまるのではないかと思いました。

 ところで、本書で印象的だったのは、下記の記述。

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 マネジメントとは、本来、「クラフト(=経験)」「アート(=直感)」「サイエンス(=分析)」の3つを適度にブレンドしたものでなくてはならない。

 サイエンスに偏りすぎたマネジメント教育は、官僚的な「計算型」のマネジメントスタイルを育みがちだ。一方、ビジネススクールで教育を受けた人間がアーティスト気取りでいると、「ヒーロー型」のマネジメントを行う傾向がある。

 どちらも、もうたくさんだ。責任ある地位には、ヒーローもいらないし、官僚もいらない。

(同書p12より引用)

※ちなみに、アートに偏りすぎると「ナルシスト型」になる・・・。

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 ミンツバーグは、現在のビジネススクールのカリキュラムは、ハードサイエンスを志向したカーネギーメロン大学のMBAプログラムに非常に強い影響を受けている、と言います。そして、そのあまり、教育がサイエンスに偏りすぎる結果になった、としています。

 要するに高度な分析ツールを利用して現状把握、マーケティング調査したりすることが、「マネジメント」を意味してしまう、ということですね。一言でいえば「分析=マネジメント」になっちゃってる。

 これは非常に興味深い指摘ですね。そういう教育は、構造的に生み出されているのです。
 当初、カーネギーメロン大学は、ビジネススクールのアカデミズム性を向上させようとして、卓越した研究ができる教員を集めた。その結果、「研究=分析」を教える教員が増えて、いわゆる、カリキュラムがサイエンス志向、分析志向になってしまった。

 こういう問題は、別にビジネススクールだけで起こっているわけじゃないよね。多かれ少なかれ、大学ならどこでも、こうした問題はある。研究者の評価基準が、「研究の卓越性」にある以上、ある意味、構造的にどこでもおこりうる問題です。

 じゃあ、サイエンスなんかいらない、分析なんかいらない、というのは早計です。そういうのを、「反知性主義」といいますね。
 ミンツバーグが述べているように「クラフト(=経験)」「アート(=直感)」「サイエンス(=分析)」が調和しなければならない。そういうバランスのある教育を提供できる人を、大学全体で集める必要があるということでしょうか。

 こういう話をすると、必ず、「じゃあ、実務家が足りてないな。実務家から教員をどんどん採用しよう」という話になるのですが、それはちょっと短絡的かなとも思います。

「実務を長い間こなしていても、それを言葉で伝えられない実務家」は多い。もうバーンアウトしてしまっている人も少なくない。そもそも、よーく考えてみれば、「実務家を入れたぐらいで、教育が機能的に変容するわけはない」のです。

 話はそんなに簡単ではない。「マネージャとは何か」をもう一度考え、カリキュラムや教育の手法、ビジネススクールそのものの学習環境を見直す必要があるのでしょう。

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 えー、どっから何したらいいの?・・・とおっしゃるあなた・・・つーか、このまま放置されたら、「袋小路きみまろ」だよねぇ(意味不明)。

 でも、ここから先は、本書をお読みいただければと思います。ミンツバーグが熱い語りを展開してくれる。一番盛り上がってくるところ、ネタバレはいけません。ついでに、ミンツバーグの古典を味わうのもいいですね。

    

 うーん、それにしても、バランス感覚のある人を育てるのは本当に難しいよねぇ。キャラってのもあるしねぇ。教育には「できること」と「できないこと」がある。なんか、限りなく「不可能」に近いことのように感じてしまうのです・・・ため息でちゃうね。