教育は未完

 こんな言葉をよく聞きます。

 教育者や教育学者は、いつまでたっても理想的な教育を実現できない。

 でも、そんなとき、よく思うんです。

 教育は後にも先にも、決して「完成すること」はないのです。
 別に格好つけて言っているのではなく、それは常に「未完」であるべきなのです。さらに言うならば、それは、様々な価値が対立しあう葛藤の場でなければなりません。Developmental work researchの知見をあらためて参照するまでもなく、その葛藤こそが発展の源になりえるような気がします。

 否、ここでは「あるべきなのです」「なければならない」と敢えて当為学風に言いましたが、正確に言いますと、「未完なのです」「葛藤の場なのです」ということになるのかもしれません。

 そして、

 教育者や教育学者は、いつまでたっても理想的な教育を実現できない

 そういう中立めいた批判の中に、僕は、その言葉を発する人自身の「理想」を見ます。ここでいう、「理想的な教育」は「わたしの考えるよい教育」という意味と同義であることが非常に多いのですから。

 教育は常に未完であり、葛藤の中にあります
 だから、教育者・教育学者は、今日も「果てないあやとり」を続けるのです。

 教育のことを考えるとき、あなたはいつも「未完のプロジェクト」の登場人物なのかもしれません。