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どうやって講義すればいいんだろう

 先日、ファカルティディヴェロップメントの「大家」のNIMEの田口さんと(今長崎にいるらしい・・・あとなにやら写真撮影のポーズを決めるのにとっても忙しいようだ)、「僕の授業」について話す機会があって、よいセルフリレクションになったので、下記に記しておく。

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1.話す内容が減った&プレゼンの枚数が減った

 僕はいわゆる初任者である。講義をはじめて数ヶ月たつが、何が自分に変わったことの最大の点といえば、「話す内容が減った」ということにつきる。

 もともと、僕は今回の授業で「ビデオの視聴」と「お隣さん同士での話し合い」を半分はいれるぞ、と明言していたわけだから、僕自身が講義している時間は、ふつの授業に比べて圧倒的にすくないわけだけれども、それでも、話す内容はどんどんと減っている。そのかわり、話し合いや、ワークシートが増えたり、ビデオ視聴が増えたりしている。

 むしろ、今から考えてみると、最初のうちにつくっていたプレゼンテーションは過剰であった気がする。枚数も多いし、内容がしぼりこめてない。

 ひとりの人間が、160名を対象に話す。そのことで伝えられる内容なんて、たかがしれている。講義で話したことは、その多くが忘れ去られる運命にある。それなのに、僕は語りすぎていたような気がする。

 どうして語りすぎるかっていうと、「この話で何分くらいかかるなぁ」っていう見積もりが最初の頃はできないからである。だから、「話すことがなくなる」のは、とっても怖いから、過剰につくりこむ。枚数が増える。だから準備にもとっても時間がかかる。

 でも、慣れてくると、これがだんだんとわかってくる。そうすると、このあたりでたぶん時間になるな、とわかるから、過剰につくりこまなくてもよくなるのだろうと思う。

 あとアドリブがきくようになる。3分話すことのできるようにつくったスライドで、10分話すことも可能になる。これでずいぶん楽にはなる。

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2.しかし同時に...フラストレーションが

 1のように書いたが、これでめでたしめでたし、ではないのだ。1のような授業で、僕は最近フラストレーションがたまっていることを自覚している。「話すことが少なくなっている」のは、一見よいことに見えるのかもしれんが、実は僕は大いに不満だ。

 どんなに一斉講義がつまらなくても、学生に知って欲しいこと、学生が知らなければならないことはあると思う。基礎的な知識という言葉が適当なら、そう言ってもよい。それはどんなにオモシロクなくても、どんなに難しくても、知るべきである。

 人間がより発展的にモノゴトをしったり、見たり出来るようになるためには、時に、基礎的な知識をがっちり詰め込むことも重要なのだ。

 エリクソンだったか、誰かの言葉に「All I can do is to provide a way of looking at things(わたしにできるのは、モノゴトを見方を教えることくらい)」というのがあったと記憶しているが、そういう「a way of looking at things」を獲得するには、土台が必要なのである。

 しかし、ビデオ視聴や、作業、話し合いでは、これがなかなか難しい。つまり、こうした作業を通して、そういう知識を獲得してくれればよいのだけれども、それは絶望的である。話して終わり、やって終わり、見て終わりになりがちだ。いわゆる「はい回る経験主義」そのものになってしまう。

 もちろん、これは僕の責任である。インストラクションが悪いのだろうし、問いかけも悪いのだろう。しかし、このあたり、どうやって教えればいいのだろう。僕は教育学が専門だが、正直に告白する。

 僕はどうやってよいかわからない
 僕は悩んでいる

 また「話すことを少なくする」ということは、意図的に、難しい内容を省いていることでもある。だから、授業の内容は、ほんと教育学のさわりを「撫でる」ところまでしか、教えられない。

 正直に告白するが、僕の授業は浅い。でも、もし、これを深いところまで教えようとすると、ドツボにはまることになる。今、160名の講義で、寝ているのはたぶん5名以下である。これが3分の1になることは容易に予想がつく。

 このところ、マイクを握りながら、いつも思うことがある。

「あー、この部分、オレは1分で説明しちゃったけど、これってウソだよなー。オレ、ウソ教えてるよ。それにしても、浅いよなー。この問題の奥には、本当はもっと深い世界があるんだけどなぁ・・・。」

 そういう内なる声がいつも聞こえてきて、とってもフラストレーションがたまっている。

 なんか授業自体は結構、作業あったり、話し合いあったりで、盛りだくさんなのだけれども、生徒に何が残っているのだろうか、いささか心許ない。こんな「心許ない」教師に教えられる生徒さんが、一番、心許ないのだろうけど。

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 ということで、悩みは続く。
 あと2回で前期は終わるけど、後期、どうしようかなぁ・・・。
 アタマが痛いよ。

  

投稿者 jun : 2005年06月18日 10:44

コメント

もうっ!また人をネタに使って~。アナタのHPは影響力が大きいんだからねっ。頼むよっ。
えっと、これだけじゃなんなんで、コメントを。今しがた、寺嶋くん@長崎大学のインタビューを終えたところなんですが、彼も似たような話をしていましたね。学生参加型の授業について。同じ悩みから派生しつつも、お二人が真逆のアプローチをとっているのが面白いです。お二人とも、まだ授業初めて3ヶ月だよね。またどんどん変わっていく気がするので、定期的に追わせて欲しいな、と思いました。それにしても、学生として授業を受けていたときには、授業者のコンナ悩みやアンナ悩みって知るよしもなかったなあ。

投稿者 mana : 2005年06月16日 15:49

田口さん、どうも。

>学生参加型の授業について
>同じ悩みから派生しつつも
>お二人が真逆のアプローチを
>とっているのが面白いです。

寺嶋くんはどんな悩みをもっていて、どう解決
しているのでしょうね。とても興味深く、お聴きして
みたいですね。

じゅん

投稿者 なかはらじゅん : 2005年06月16日 23:18

(1)面白いですねえ。教官手引書を執筆中ですが、教官をどう手引するか、いろいろ書き込んでは、ほくそえんでいます。雑学から奥の深いことまで。(2)昨晩はSEA/SIGEDUという研究会をやりました。発表者がシラバスの書き方を披露したので、研究会仲間がボロクソに批判しました。最後に「いい話題を発表してくれた」と発表者へ感謝しました。変な研究会です。(3)JICAの沖縄のセンターで発展途上国の役人に自衛隊のマルチメディアの作り方を紹介してきました。スライド準備も楽しんだけれど、発表者として面白いのは第一に即興の質疑応答、第二がぶっつけ本番(私の場合)のしゃべりですね。お互いに英語が下手なので半分しか通じなかったのですが。受講者がつまらなそうにしていた時期も結構ありましが。
 

投稿者 君島浩 : 2005年06月17日 13:26

思ったのですが,多分教育工学の研究者だから,きっとおふたり(中原さんと寺嶋さん)はとってもまじめに授業に向き合っていらっしゃるのだと思いますよ.
別の分野の研究者だと,授業やだなぁ…,とか,授業するために勤めているんじゃない,とか,コマ数が…,とか言われる方,結構いると思います.もちろん,残念なことですが,若い人でもです….

投稿者 もちづき : 2005年06月18日 01:00

>>別の分野の研究者だと,授業やだ
>>なぁ…,とか,授業するために勤
>>めているんじゃない,とか,コマ
>>数が…,とか言われる方,結構い
>>ると思います.
>>
>>もちろん,残念なことですが,若
>>い人でもです….

どうなんですかね・・・そのあたりは、僕はそういう境遇に
おかれていないので、確信をもってわかりませんねぇ。

ただ、授業がたくさんあって研究ができなくなるのだしたら
僕も、授業イヤだなぁと思うでしょうし、コマ数だって、少なけ
れば少ないほどよいと思うんじゃないかな、と思います。

別にさぼりたいってわけじゃなくて。自分の専門に関係して
自分が自信をもってしゃべることのできる科目だったらいいの
ですが、それが必ずしもそうではないわけでしょ。

大学によっては、僕が「教育史」をもったり、「経営情報論」
をもったりしなければならないようなこともたくさんあるわけ
ですよね。全然違う科目をもたされるっていうね。
そういうのは変だなぁと思うし、わかんないことは、自信をもっ
て教えられないからね。できれば避けたい。

海外大学の場合、ひとつの授業で1週間に2回授業があります
よね。あと授業時間も長いはずでし。
だからものすごく授業が濃い。そして、学生も日本の大
学ほど、授業の数をとらなくてもよい。ひとつの授業をじっく
り学ぶことができる。

そうすると、開講される講義数を増やさなくてよいから、
教員も、自分に関係する講義を教えられる。
コマ数はかわらなくても自信をもって教えられると思うんです。
これはいいと思いますけど。

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あとね、「授業するために勤めているんじゃない」とは僕は思
いません。教育と研究は大学教員のジョブディスクリプション
の中にどちらも含まれているわけですよね。

ちなみに、もう法人化されたけど、官職だって、教育職(1)
だったでしょ。それをやりたくないって言われてもねぇ。
何とも言いようがないです。

だけど、「授業をするため「だけ」に勤めてるんじゃない」っ
てことになると、僕もそう思うだろうと思う。
やはり研究者だったら、研究がしたい。
研究したくて大学に残ったわけですから、まずはね。
だから、僕もそう思うと思うんです。

今僕はそういう立場にいないので、上記はすべて予想だけど、
心の中に浮かんだ「予想」を正直に告白しました。

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うーん、どうなんだろう。
他の分野の方がどうなのかはわからないけどね。

まぁ、他の分野の方が、敢えて「自分の授業の話を公衆の
面前でblogに書くこと」はないだろうとは思う。でも、それは
僕の専門が教育工学だからってのも少しはあるけれど、
教育学者がみんなそういうことをしているわけではないので、
結局、僕のキャラか?

うーん、わからなくなってきた。

でもね、これは何となくなんだけど、他の分野の人でもさ、自
分の授業に関しては、口にはださないにしても、気にしてる
んじゃないかな、と思います。

少なくとも、僕が知っている学内の先生たちは、授業に誇り
をもっている先生が多い気がするけどね。
専門は化学、物理、量子力学、医学だったりするわけですが。
別に教育学が専門じゃなくても、授業の話になると結構
盛り上がります。逆に、ゼミの話や研究室内部の話は、あんまり
話題にならない気がします。

まぁ、最近はあまりお逢いしないけど、そうじゃない人もいますよね。
あるいは、誇りはもっていても、あんまり工夫をしない人もいるんじゃ
ないかなとは思います。実際、そういう授業もたくさん受けてきました。

結局、人それぞれだよねぇ。

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最終的にはね、僕はイヤなのかねぇ。

「教育学やってるオマエの授業が、一番ショボかった」

といわれるのがね(笑)。

あと耐え難いんだよね。「つまんなさそうに聞いてる学生
の前で授業をするってこと」が、僕には耐え難い。
まずは、なんせかんせ、一番には学生がかわいそうですよね。
教師と学生のあいだに明確に権力関係がある以上、
異議申し立てはできないですから。

ただね、教師にとっても不幸ですよね、そういう時間は。
結構傷つくんじゃないかな、、、きっと。
と思うんですが。
もちろん、そうじゃないひともいるかもしれないけど。
僕は傷つく。

これは疑いもない真実。

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なかはらじゅん

投稿者 なかはらじゅん : 2005年06月18日 10:42

(こちらにコメントするのは初めてなので)はじめまして。安武と申します。「(教育工学や教育学じゃない)他の分野」をやってます。中原さんとは一昨日も JSiSE のシンポでお会いしました。バタバタしていてちゃんとご挨拶できなくて、すみません。

望月さんのおっしゃるように、教育学や教育工学を専門とはしない大学の「教員」の多くが、名目上あるいは給与体系上「教員」といいつつも「研究者」という位置づけに自らを置いているのは、まぁ、事実に近いと思います。多分僕自身もそうです。

# ちゃんとしたデータをもっていないので、単なる印象ですけど。。。。

なにしろ、実質的な業績評価が研究にのみ重点を置かれている現状では、どんなに面白くワクワクするような授業をやったとしても、昨今流行りの「学生によるアンケート評価」で「こういう授業がもっと多くなるといいと思いました」という回答が増える**だけ**で、それが教員の実際の業績評価に反映されることもなく、給料やポジションが上がるわけでもなく、結局は「ボランティアをやってます」ぐらいでしかないわけです。

# 学生の場合学外のボランティア活動が単位認定に結び付いたりすることもあるので、それよりもむしろ教員のボランティアは実利がないと言えるかも。。。

「研究業績」のみが評価の対象とされ「教育業績」は参考記録という名の空欄穴埋め程度(しかも評価の対象ではない)の価値しかないとすれば、まぁ、研究を重視し教育を軽視するような方がいるのも当たり前と言えば当たり前ですね。

ただ、僕自身は、面白くなさそうな顔をした学生を前にして黙々と授業をするなんて、とてもじゃないけれど耐えられない!特に経済学をやっていると、受講者数が100名を越えるなんてことは当たり前のことなので(出身学部が経済学部ではない僕にはこの「当たり前」が驚異に思えました。。。)、100名のうち半分以上の「退屈そうな顔」を前にして自己を貫き授業を淡々と進めることができるような、そんな強靭な自我は修行不足なのか持っていません。

そんなこんなでeラーニングに飛び付いたのですが、eラーニングなんてことをやっていると、ますます自分のボランティア精神を鼓舞する必要があり、このことが、教育実践としてeラーニングがなかなか日本の高等教育の世界に広がらない一つの要因になっているような気がします。

なので、中原さんが JSiSE シンポジウムで、e ラーニング高等教育を広く展開するためには(1)戦略立案と支援センターの確立が重要(2)でも日本の大学の情報基盤センターじゃ圧倒的にマンパワー不足(3)ITと教育の専門家のコラボレーションが不可欠(4)「出版モデル」によるコース開発を!などとお話なさったことを、「そうだ!そうだ!」と強い共感をもって聞いていました。

なんか、長々としたコメントになってしまいましたが、教育工学者・教育学者もそうでない僕のような端くれも、中原さんがおっしゃっていたように、small start, but grow gradually で一緒にワイワイガヤガヤと協調していくような輪が広がっていくといいなぁと思っています。

投稿者 や@広島 : 2005年06月19日 13:32

ちょっと留守中に,安武先生と中原さんとから,長文が返されていてびびりましたが(^_^;,僕の私見を述べます.
(1)「学生がつまらない授業はしたくない」というのには全くもって賛成です.告白すれば,現在,いろいろな制約上仕方ないこととはいえ,数名以上の「学生さんが寝ている授業」をやっている自分がいます.これは結構悲しい.多分それらの学生さんがコミットできない状況に(カリキュラムとかが)あるのも問題なのですが,様々な制約上それをカバーしきれない自分がいます.それはすごく悲しい.学生さんの時間を奪っているのも悲しいし,上記「制約」を言い訳にして責任回避したり現状黙認しようとしている自分が自分の中にいるのも悲しい.
(2) 中原さんのおっしゃるとおり,全くオカド違いの授業を持たされるのは微妙だし,コマ数を過剰に割り当てられるのも問題だと思います.「研究ができない云々」よりも,授業のクオリティが確保できないのが問題だと思います.僕は10コマとか12コマとか同時に受けもたされて,お互い納得のいく授業ができる自信は正直言ってありません.10コマ12コマしょぼい授業をしなければならないのだとしたら,学生も教師も悲惨ですよね(これは,単に無力だからクリアできないだけだろと言われればそれまでですが).
(3) 安武先生からは実はメールで,研究拠点型大学と自負しているところにそういう傾向(「授業はキライ」とか)があるんじゃないか,というお話しをいただきましたが(こんなところで出してすみません),僕もそれは半分真だと思います.ただ,研究拠点大学といっても,安武先生みたいな方もいらっしゃるし,たぶんウチにもきっと名物先生はいるでしょう.中原さんの周辺の東大の先生方もいろいろと自負してやっていらっしゃると思う.でも,せっかくご自分の専門の科目をもっているのに,授業に対してネガティブなイメージでやっていらっしゃる先生は,私学や地方国公立よりも多いかも知れませんね….
(4) 僕は情報処理科目しかもっていないので,専門性に関してはあまり言えないのですが,僕の考えでは,大学教員に「授業は負担」と思っちゃう文化がどっかにあるからいけないのかな,という気がします.僕は不勉強ですが,従来のFDってこの枠組みから抜け出ていないですよね.
 そうじゃなくて,自分の仲間を増やしたい,と思ったらどうか? ウチらのやっていることはこういうバックグラウンドがあるけど,それが発展してこうオモシロクなっているんだよ!,こんなことができるんだよ!っていうことを伝えて,一緒に学べる仲間が増やせたらいいのではないか?というふうに思ったりします.仲間/味方を増やすためにはどーしたらいいか?というようなノリで考えられれば.もう少し授業をすることに対して,ポジティブな考えを持てるんじゃないかなぁという気がするわけです.
 もちろん,これはご自分の専門性が活かされる授業科目であることが前提になりますが.
 なので(話は変わりますが),中原さんがご自分の授業を教育学としては「表層的だ」とおっしゃいましたが,多分学部の15回ポッキリの授業で伝えられるのは,とても限られていて,学部生の,しかも2回生~くらいの受講者だったら,「イザナイ」をすることができればいいのではないか?というふうに(最初にこの話を読んだときに)思いました.誘われた学習者が今度は自分でどんどん学習したり,これがきっかけであたらしい授業を履修してもらったり,自分の教育実習の体験とかをリフレクションできる何かのフレームができてくれれば,十分成功なんじゃないかなぁと思ったりします.それは,紛れもなく教育学を志向してくれているということだと思いますので.
(5) 最後に「教育学やってるオマエの授業が、一番ショボかった」といわれるのは,僕はコワイです(苦笑).極めて恐怖の事態ですね.実際そうなのかは,分かりませんが….これは僕自身がもともと教育学出身じゃないのに,今教育工学をやっていることも,あると思います.

投稿者 もちづき : 2005年06月21日 01:50

私が某大学のシラバス記述集を調べたら、シラバス設計や日本語が洗練されているのは理学部でした。最悪だったのが国文学教授による作文講座だったのが、あまりにもでき過ぎですが真実です。教育学部のシラバス設計や日本語はどちらかと言えば下位グループだったかな。

投稿者 君島浩 : 2005年06月21日 12:44

ソフトウエア技術者協会の研究会で、ブルームの能力水準に対応して私が教育設計種類を当てはめた指針を紹介しました。初級の方から水準1が項目個別型、水準2が上昇型(ISM)、水準3が順不同型及び対象指向型、水準4が作業指向及び作業集会、水準5が下降型及びゼミ、水準6が事例研究・試合・討論、水準7が創作研究です。「大学1年は水準2や3、学年が進むほど上級の設計を使っている」「体育会の部活は毎日水準1から水準6まで進める」「米国の大学や日本の医学部で1年生にいきなり事例研究をさせる試みは、こういう系統的な教育学を承知した上でやっているのだろう」などと議論がはずみました。

投稿者 君島浩 : 2005年06月21日 12:57

 私は青山学院大学教育学科に所属しており、毎週水曜日に中原先生の講義を受けていますが、毎週楽しく出席させていただいています。先生は悩んでいらっしゃるようですが、ある、特定の日に、ガーっと覚えるべきことの説明をしてしまったりするのはどうでしょうか?教育学を学ぼうとしている人(私たちですね)は覚えなきゃいけないことがたくさんあるということは分かっていると思うので、毎回毎回でなければ、集中して学べると思うんです。むしろ、知らなかった事を知れるということは楽しいと感じれる人も多くいるような気が…。
 また、学生たちに「どんな風にすればいいか?」ということを聞いちゃってもいいと思うのですが、それは教育者としてのプライドかなんかが許さないもんなのでしょうか?そうでなければ、それもありかな、と思いました。でしゃばったようで申し訳ないんですが。

投稿者 鈴木(仮名) : 2005年06月25日 00:17

鈴木(仮名)さん、こんにちは。

>>また、学生たちに「どんな風にすればいいか?」
>>ということを聞いちゃってもいいと思うのですが、
>>それは教育者としてのプライドかなんかが許さな
>>いもんなのでしょうか?そうでなければ、それも
>>ありかな、と思いました。でしゃばったようで申
>>し訳ないんですが。

僕には、教育に携わるものとしてのプライド、あります。

だけれども、学生たちを含め、いろいろな人に自分の授業に
ついて語ること、何かを聞くことは、そのプライドを
低下させるものでは、全くありません。
事実、blogでここまで赤裸々に語っていますし。

最後の授業で(テストの回)、ちょっと案を練っています。
そのときに、いろいろ教えて下さいね。

なかはらじゅん

投稿者 なかはらじゅん : 2005年06月25日 12:19