PISA2006に想う:ランキングのもつパワー

 ここ1週間ほど、教育関係者と会議などで会うたびに話題になることに「PISA2006の結果」があります。新聞やテレビなどで、すでに報道されているように、PISA2006の日本の結果は、

 数学的リテラシー 6位→10位へ
 科学的リテラシー 2位→6位へ
 読解力      14位→15位へ

 と軒並みダウンする傾向にありました。

 これに対して、文部科学省は、数学的リテラシーは「平均より高得点グループ」、科学的リテラシーは「上位グループ」、読解力は「OECD平均と同程度」というコメントを発表しているそうです。

 相変わらずマスメディアでは、いろいろな識者が「やれ時間数を多くするべきだ」「ゆとり教育の弊害だ」「フィンランドにならうべきだ」というコメントを発表しています。

 やれやれ・・・ちょうど3年前と同じ感じでしょうか。
 あの当時の光景がフラッシュバックします。

 今、東大の教養学部で、僕は「映像で見る学力論」という授業をやっていますが、そのまま「ここ数日の教育言説空間」を「生きた教材」にしたいくらいです。

 個人的にはもう少し、

1) PISAでは何が測られているのか?
  =リテラシーという概念のもつ意味
  =PISAのいう「学力」の意味

2) 1)が日本の教育に本当に必要なのか、必要でないのか、という議論

 に焦点があたって欲しいと思うのですが、そういう「ややこしいこと」は、専門の授業でやりましょう。

 多くの場合、言説空間を制するのは「正しいこと」を言っている人ではありません。内田樹さんではないですが、モノゴトを「正しい」と「断言」できる人の意見こそが、言説空間を制し、人々を納得させます。だって、難しくてごちゃごちゃしていることを、わかりやすく、「ばばーん!」と示してくれるから。

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 それにしても、ちょっと話はズレますが、ランキングのもつパワーというのはスゴイですね。
 PISAは学術的観点からいっても、「よー、そこまで面倒くさいこと、やるわ、アンタラ」と思えるような「厳密な手続き」で国際比較調査をやっていますが、そこでつくられた「ランキング」のもつインパクトには、驚愕せざるをえません。

 もちろん、「PISAは西欧中心主義的だ」「PISAは非西欧圏の文化に関してあまりに配慮が足りない」という批判があることは知っています。それでも、そういうバイアスがなるべくかからないように、「うそー」というくらい面倒くさい手続きで、問題をつくっていることには、アタマが下がります。

 文部科学省は、PISA発表から一夜あけて、新学習指導要領が理数系のみ前倒しで実行することを決めたそうです。一国の教育政策に対して、一夜のうちに変更を迫るのだから(実際はもっと前から決まっていたと思いますが)、そのもつインパクトには舌を巻いてしまいますね(よいことか悪いことかは別にして)。
 教育学者や識者がいくら研究しても、どんなに発言しても、悲しいかな、ここまでのインパクトはありません。

 中にはこういう現実に対して「ランキング結果が一人歩きするので危険だ」と危惧する識者もいます。

 でも、マーフィーの法則ではないですけれど、僕なんかはこう思います。

 「もれなく一人歩きするものがランキングなのです」

 複雑な事象を目の前にしたとき、人は、その現象を何らかの基準に照らして整序し、わかりやすくしようとします。別の言い方をすれば、認知的負荷を下げるようなメソッドを考案する。
 そうやってつくられた序列は、そこで指し示されている内容を代表する指標として、人々の間で語られていきます。

 そして、あるクリティカルマスを超えてその基準が受け入れられたとき、序列は絶対的なもののように人々の目にうつるようになるのです。

 ですので、「一人歩き」するものがランキングなのです。そして一人歩きしたランキングのもつパワーはすさまじい(クドイけれど、よいことか悪いことかは別にして)。

 ちょっと前に発表された「ミシュラン」でも、そのことはわかるでしょう。各国の複雑な味わいをもつ料理を「星」で代弁する。そして、「星」の数はいつしか絶対的基準のように思われる。先日の日本版ミシュランで三つ星を受けたある店は、2年先まで予約が埋まったんだとか。

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 ちなみに、ここまで「ランキング」にのべながら、僕としては、正直にいうと「総合ランキング」にはあまり興味はありません。重要か、重要でないか、というより興味がないのです。

 一方、たとえば「日本の子どもたちが不得意な問題傾向」とは何か、ということには、結構興味があります。

 僕も精緻に結果を分析したわけではないので無責任に言い放ちますが、たとえばPISA2003では「不確実性」課題というのが、日本人の正答率が低かったのですが、今回はどうだったんでしょうか。

 あるいは、正答率の低い問題というのは、具体的事象から一般的なルールを導く問題だったのでしょうか、それとも、一般的ルールを具体的事象に当てはめる問題だったんでしょうか。

 そのあたりの個別の出来、不出来が - どちらかといえば「ややこしいこと」が気になります。

 もちろん、それをもって、「だから日本の教育は悪い」とか「フィンランドにならうべき」と言いたいわけではありません。純粋に認知的に興味がある、というだけです。

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 ともかく、PISA2006の結果を受けてしばらく教育業界は話題に事欠かないでしょう。そして、今日もランキングは「一人歩き」しています。

 今こそ、PISAを考える人々の間に、PISAを読み解くリテラシー、PISAの提案する読解力や科学的リテラシーが必要になっているのではないか、と思います。