「除却」にならない人生を:坪井信行著「100億円はゴミ同然」

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 100億円を「ゴミのようなサイズ」と感じたり、「ゴミ」と言ってしまったりすることが、ある局面では実際におこります。

(下記書籍より引用)

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 100億円を「ゴミ」と感じる男たちが働く場所が、トレーディングの世界です。そこでは、日々、「途方もない巨額のマネー」が国境をへだてて、飛び交っている。

 一日の取引額は、2004年現在で225兆円に達しているようです。昨今のネット取引やヘッジファンドの拡大によって、今ではさらに多くのマネーが世界を行き来していると言われます。

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 坪井信行著「100億円はゴミ同然」を読みました。証券取引の世界で活躍する専門職「アナリスト」がどのような生活をしているのか、その仕事の実態を、軽い筆致で述べた本です。

「アナリスト」は、企業情報を調べ、実際に企業のIR担当者や経営者にインタビューを行い、集めた膨大なデータをもとに、企業の将来予想に関するレポートを書く仕事に従事しています。要するに、専門的知識と膨大な情報から、証券取引に関する「アドバイス」を提供するのが、その仕事です。

 この本が教えてくれる、アナリストの世界はオモシロイものでした。証券取引から「最も遠いところ」にいる僕には、「へー、そういう世界もあるんかねー」という感じ。

 アナリストの仕事の実態とはあんまり関係ないんだけど、ひとつ興味深いことが書かれていたので、ここで紹介。

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 アウトプット過多が続くと、アナリストの蓄積してきた知識やノウハウといったものは減少・劣化していきます。これを揶揄して、「アナリストの減価償却」ということもあります。

 減価償却というのは、企業の固定資産を費用化する処理のことです。工場の生産設備などの固定資産は、使うことで徐々に劣化していきます。簡単にいえば、時間の経過によって古くなり、使ったことで摩耗していくわけです。

(省略)

 アナリストの場合は、カタチのあるものではありませんが、ノウハウや知識といったものも、放っておけば時間の経過とともに陳腐化していきます。

 その価値の減少する感覚が減価償却に似ているということでしょう。行き着くところは廃棄処分ということになります。会計的にいうと、除却(企業の資産から取り除くこと)といいます。これは、人としてちょっと悲しい感じがしまいます。

 たとえ話だとはいえ、減価償却されて最後は除却というのは、あまりに悲惨な人生ですが、常に自覚をもって対処していないと本当になってしまいます。

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 なるほど、そうだよねぇ・・・。

 でも、これはアナリストだけに言えることではなくて、「ナレッジワーカー」、最近流行の言い方をすれば、「クリエイティブクラス」と呼ばれる人ならば、すべて当てはまるのではないかな、と思います。

 仕事をすれば、自分のもっていた知識、ノウハウ、スキルが消費される。で、仕事をバリバリするにしたがって、どんどん自分がバカになっていく感覚というのでしょうか・・・しばらくして、ふと立ち止まった瞬間に、「このままじゃ、ヤバイ」と思う。

 こういう人たちは、自分を「バージョンアップ」するリフレッシュの機会、リフレクションの機会を、デイリーなオペレーションの中に確保することが必要なんでしょうね。

 
「そんなことわかっているよ、でも、忙しくて、忙しくて、そもそも、そんなことをしている暇がない!」

 とおっしゃる方がいそうです。

 でも、申し訳ないけど、ナレッジワーカー、クリエィティブクラスであるならば、それが「実力」なのではないか、と思います。

 本当に優秀なアナリスト、本当に優秀なクリエイティヴクラスの人たちは、どんなに忙しくても、リフレッシュの機会、リフレクションの機会を確保するような仕事の仕方をするのではないでしょうか。

 リフレッシュの機会、リフレクションの機会を、いかに確保するか、それも「実力のうち」ということです。

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 経験学習理論で有名なコルブは、経験学習のサイクルとして、「業務」「経験」「反省」「概念化」の4つをあげています。要するに、「業務をへて、多様な経験をして、時には仕事をはなれて、いったん振り返り、仕事の中から教訓を自らつむぎだす」ということです。

 僕は、この4つの中で一番重要なのは「反省」だと思うんですね。なぜか? 

「業務」は、求めなくても勝手に増えるでしょう。「業務」があれば「経験」もすることになる。でも、一番ありがちなのは、「多忙」を理由に「反省」がなかなか確保できない。「反省」ができなければ「抽象化」はありえない。だから、キーになるのは「反省」だと思うのです。

 なんでもそうなんですが、「活動」には「反省」がセットに存在しなければあまりよろしくないのですね。「活動」をしたら、「いったんそこから離れて、自分の活動の意味を問う機会」をもうけた方がよいでしょう。

 このことは、波多野先生もかつて指摘していました。適応的熟達をはたすためには、「いったん現場を離れて振り返る」ことが重要だ、と。

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 減価償却して、除却にならない人生を歩みたいものです。
 それはあまりに悲しすぎる。

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