夏学期のゼミが終わった!:カール=ベライターの夢

 昨日、前期の大学院ゼミが終わりました。「納涼会」ということで、本郷で一献。非常に楽しい時間でした。

 それにしても、早いよね、1学期がたつのって。さぁ、はじまったと思ったら、すぐにゴールデンウィーク。それが終わって、そろそろ油がのってきたな、と思ったら、もう終わりです。「ブレーキのないジェットコースター」に乗らされているような感覚でしょうか。

 夏学期のゼミでは、トロント大学の研究者カール=ベライタのEducation and Mind in Knowledge ageという本を、みんなで読みました。

 カール=ベライタといえば、教育心理をやっている人ならば、文章産出の研究者として有名ですし、僕のような領域だと、「ネットを使った協調学習」の草分けであるCSILEの開発者として有名な方です。「ザ・大御所」「御大」という感じですか。

 で、この本なのですが、緻密な議論をするというより、カールが、教育界のいろんな人、いろんな言説に「吠えてまくっている」本です。

 ベライタさんが今までやってきたことを背景にして、ポパーのワールド1、ワールド2、ワールド3の議論を参照しながら、デューイにかみつき、エングストロムにかみつく。で、「学校がどうなるべきか」を論じている。

 通読した感想としては、正直にいうと、僕個人としてはついていけない部分も多い。教育工学の悲しい性なのかもしれませんが、どうしても「そうはいうけど、実現可能性を考えるとなぁ」という感覚を最後まで棄てきれませんでした。

「べき論」と同時に、「どうやって既存言説、対抗言説、既存組織の関係を組み替えたり、編み直したりして、それを実現するか」というところがやはり気になりました。「一本釣り」もいいけど、どう「寝技」で落とすか考えようよ、ということでしょうか・・・余計わからんな。

 もちろん、ベライタの今の学者としての立ち位置と、この本を出した意味を考えると、「それを言っちゃおしまい」なのかもしれませんけれど。

 でも、この人が実は背後に持っている感情は、何となくわかるような気がしました。深読みしすぎなのかもしれませんが(だから、僕は、国語が苦手だった)、それは、

「知識社会における学校の役割には期待しつつも、それを変革するプロセスが、学校や教育の内部論理によって進むことは期待できない」

 という感覚なのかもしれないなと思いました。「期待しつつも、期待しない」というこのアンビバレンツな感情が、印象的です。ベライタさん、複雑だね、乙女だね。

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 来学期は、ガラッと変わって、「熟達化」の論文をガシガシと読みます。

 なぜこの本を選んだかというと、本当にコンパクトにまとまっているんですよね、熟達化研究の知見が。

 最初は、熟達化の有名な論文を30編くらい選んで、それをみんなで読もうと思った。「嗚呼、図書館いって集めなアカンな」、と思っていたら、もうハンドブックになって、まとまっていたんですね。で、これを選びました。

 熟達化研究って、内容も僕はオモシロイと思うんだけど、方法論も学べると思うんですよね。質的にも迫るし、量的にも迫る。それがいいんでないの、と思った。内容だけでなく、そうした形式も学べるのではないか、と。

 来学期のゼミは10月です。それまでどうやって、ゼミの皆さんに購読してもらうか、少し考えてみます。

 今のところ、前期とのバランスを考えると「多読・要約読み」かな、と思っているのですけれど。レジュメのページ数を4pとかに決めて、全訳はしない。で、要点をまとめて報告し、最後にインプリケーションをまとめるみたいな感じかな。できれば1日2本くらい読みたいと思うのですけど、、、。

 しばらく悩みます、、、モンモン。