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なんか事例はありませんか?:事例の逆機能

 仕事柄、講演などをよく行うけれど、質疑応答などでよく投げかけられる質問にこんなものがある。

「なんか、事例ありますか? あったら教えてください」

 こういう質問には、

「○○大学では・・・・をしました・・・」
「○○株式会社では・・・・・なことをしました」

 と答えることが求められている。

 結局、いろいろなデータや理論を参照しながら話をしても、人はそれだけでは満足しない。データやセオリーから導き出される「実践がどのようなものであるか、そして、どんな出来事を生み出したのか」について興味をもつ。

 データやセオリーのような命題的思考と、事例のような物語的思考から、話された内容を理解するわけである。それ自体、全く悪いことではない。人間の理解の道理にしたがったリクエストである。

 しかし、中には、「事例だけを聞いてすべて理解したと考える人」も、たまに見受けられる。

「データや理論」を話しているときには下を向いておられるのだけれど、「事例」のところだけは熱心にメモをとり、それが終わると、またお眠りになるといった具合である。

「難しいことはいいんです、事例だけ教えてください」

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 そういう場合は、「事例」は命題的思考を補完するというよりは、むしろ、命題的思考を阻害し、思考停止に陥らせるような気もする。

 ある組織が、いつ、どこで、何をやったのか?

 はわかるけれど、それが「なぜ」起こったのか、「どういう結果がでたのか」は不問に付されるからである。これは、いわゆる「事例の逆機能」とよんでもよいかもしれない。こんな理由から、あんまり事例ばかりが求められるのも、いかがなものかと思う。
 
 事例は、どのように生かされるのか?

 意外に大問題である。

  

投稿者 jun : 2007年06月26日 08:53

コメント

その通りだと私も思います。

結局、どうすればいいかという答えだけ求めている人が驚くほど多いのではないでしょうか。

以前、私が教育関連の講演会に多く参加していたころ、あるお母さんもよく来ていました。その方と、お話したところ、「今日もうちの子に役立つ情報はなかった。」と。

でもよく聞いてみると、その日の講演も、前回の講演も、
その内容をよく考えて自分なりにアレンジすれば、その方の役立つ情報になるものでした。ピッタリの事例でないと伝わらないという驚きの事実でした。

もっと、自ら考える力を。子どもも大人もつけるべき。
私論ですが、将棋でそれができると言っております。


投稿者 しげまつたかし : 2007年06月26日 11:37

まさしく、そのとおりだと思います。
企業におけるeラーニングについても、「事例」頼みが結果、現在の状況を招いているような気がします。(根拠はありませんが、感覚的にそう思えます)

最近、ようやくインストラクショナルデザインをはじめとした教育に関する理論が注目をされるようになってきて、良い兆しであるとは思います。

「事例だけに頼る」と思考停止に陥るのもそのとおりだと思います。
物まねがうまくいくとは限りませんし、なぜ、そのやり方がうまくいったのか、理論をベースに考えると事例から学んだやり方に自分なりの工夫を施し、自社に適した施策やモデルを構築できるのだと思います。

企業内研修においても、「理屈よりすぐに使えるテクニック」が求められているように思われますが、結局は薄っぺらな知識にしかならないのではないかと危惧しています。

投稿者 おがさわら : 2007年06月26日 16:39

皆さんの意見に同感です。

結局、事例研究に関しては、松尾芭蕉が言うように「故人の跡を求めず、故人の求めたるところを求めよ」ということではないでしょうか。

>ピッタリの事例でないと伝わらないという驚きの事実でした。

「ピッタリの事例」なんてそうそうあるわけないだろう、と思ってしまいますが。。。
それにもし仮に自分と「ピッタリの事例」があったとして、人の成功事例をそっくりマネてそのままうまくいく、なんてことがあるでしょうか?
世の中そんなに甘くはないと思います。

世間には数え切れないくらい「成功事例の本」が溢れかえっています(「○○合格体験記」とか「私はこうして成功した」の類ですね)。
では、世の中に成功者は一体どれだけいるのでしょうか?
個人の特性もありますし、時代や環境によって「かつては成功した方法が今はうまくいかない」なんて話はいくらでもあります。
それに人の成功事例を真似すればうまくいくというなら「東大の合格体験記を読んで真似した人は全員東大に合格する」という、おかしな話になってしまいます。


ただし、同じ事例研究でも、成功ではなくて「失敗事例」は非常に役に立つと思います。

最近は「失敗学」を中心に「人はいかにして失敗に至るか」「いかにして失敗を防ぐか」という研究が盛んなようです。
かつて成功したことが同じやり方でまた成功するとは限りませんが、かつて失敗したことはその原因を取り除かない限り、同じやり方ではたいていの場合また失敗します。
個人的に今この「失敗学」にハマっているのですが、いずれにしても成功の事例研究はよくよく慎重に吟味してやる必要がありますね。

投稿者 平山 : 2007年06月29日 11:31

事例が重視されるのは、「報告書」のせいではないか、という話を先日ある人としました。

理論などはまとめるのがしんどい。それよりは、「○○は○○して成功しているそうです」の方がまとめやすい。失敗に注目することは重要ですね。でも、きっとそれも報告書にはなかなか書きにくいでしょうね。「○○は○○で失敗したそうです」・・・じゃあ、どうすればいいんだ?と聞かれて、自分で考えなくてはならなくなりますから。

じゅん

投稿者 なかはらじゅん : 2007年06月30日 09:07

もう1つは,相手に伝わるリアリティの問題かもしれませんね.

データ分析とか理論化というプロセスでは,リアリティを表現する上で必要な様々な部分を捨象
してしまう性格があります.そうしたとき,やはり「違う世界」から見る人たちにとっては,
リアリティをうまくとらえきれないのかもしれません.

こうした問題は「論文化」するときにも,読み手にどう伝えるかというところで,工夫が必要な
ところですよね.私は最近気をつけて書くようになりました(まだまだ全然ですが).

投稿者 も●つき : 2007年06月30日 17:40