若者のメディア感覚、ケータイ小説のこと

 昨日の会議で、同僚の西森先生がこんなことを言っていたことが、とても気になった。

 高校生とか大学生のメディアに対する感覚は、もう、それを支援しようとする我々のそれとはズレている。PCや携帯電話に関する彼らの感覚やとらえ方とは、どんなものかを、もう一度考えなおさなくてはならない。その感覚のズレを何とか埋めないと、彼らが使う情報環境のあり方を議論できない。

 なるほど、さすが西森先生は深い、全くの同感である。

 僕も大学で彼らのことを垣間見ているけれど、学部のレベルでは彼らのリアリティはPCよりもケータイにある。一方、僕にとって携帯電話は、あくまでもPCのオマケのようなものである。ノートPCの電源が一日15時間から16時間ONの状態にあるのに比較すると、携帯電話の利用は圧倒的に少ない。

携帯電話が常に傍らにあり、それが日常を構成する大きなリソースとなっている彼らのリアリティが、僕には正直見えなくなることがある。

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 そういえば、先日、ある大学の先生から「ケータイ小説」のことを教えてもらった。
 僕自身は読んだことはないけれど、ケータイの中で執筆された小説が支持を受けているのだという。

 ケータイ小説は、改行が多用され、文章のほとんどが台詞から構成されているので、従来の小説のジャンルとは、少し違うようだ。聞くところによると、100万タイトルをこえ、そのうち数十冊が本になり、累計で600万部を打っているのだから驚きである。

魔法の図書館
http://ip.tosp.co.jp/Portal/c.asp?i=BOK00MIL99

 自分も「まだまだ若いから大丈夫」と思っていたけれど、そろそろ危なくなってきているようだ。若い人たちがどういうメディア感覚をもっているか、少し考え直す契機をつくらなくてはと思った。

 ちなみに、今年のTREEシンポジウムは7月27日(金)。「大学生とメディアの"今"をさぐる」というタイトルで開催することになりそうである。