このメッセージの「宛先」は誰?
今度、講義で使おうと思って、「情報教育の実践を収録したビデオ」を、ざーっと見ていた。
「子どもが何かを調べる - 発信する」というかたちの授業が多かった。「発信する」の部分では、子どもにニュース番組をつくらせたり、Webをつくらせたりしている(つくっているのは教師である・・・)。
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しばらく見ていて、なんだか違和感を感じてきた。
「発信する」の部分でつくられるWebや番組が、いったい「誰」に向かって発信しているのか、わからなくなってきた、からだ。
通常、わたしたちが何かのメディアで何かを発信するときには、「発信された情報」を受け取るターゲットが想定される。Webサイトでもそうだし、テレビ番組だったら、なおさらだろう。
「発信」という活動において、「メッセージの宛先性」はもっとも基本的なものである。
でも、僕が見た実践は、どちらかというと、「Webサイトをつくること」「テレビ番組をつくること」が自己目的化しているように見受けられた(あくまで僕が見た授業に関する、僕個人の感想である。情報教育の授業全般に私見をあてはめる気は毛頭ない)。
見ていて、何となくこちらが気恥ずかしくなってしまうというのか、どこか「内輪ウケ」っぽく見えてしまうのは、そのせいではないかな、と思った。
メッセージには「宛先」が必要だ。「自分の言葉を受け取る人」のことをいったん意識すれば、発信の目的、メッセージの構成、そこで使われる言葉・表現が、よりシャープになるのではないかな、と思った。
単に「伝えて・まとめよう」だけではなく、たとえば「低学年の子どもにわかるように伝えよう」とするだけで、目的や内容がよりくっきりするのではないか、と思う。
「宛先」の想定されていないメッセージは、口に出した途端、目の前に、すっと虚ろに落ちてしまう。
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ここまで考えて、ふっと我に返った。
僕は、「誰」に向けて、このblogを書いているのだろう?
「誰」に向けて???
投稿者 jun : 2007年01月19日 17:23
コメント
中原さんの発信、たしかに受け取りました。
僕の場合、「双方向コミュニケーション」という言葉に欺瞞を感じて仕事をしています。これは「こちらは発信しているんだ。だからアンタもこちらに何か返すべきだ」的な態度を感じてしまいます。そんな中で仕事に還元したいことは自身の「受信力」でしょうか。あるいは「受容力」。そう考えるとメディアを抜いても状況は実は変わらないのかもしれませんね。
投稿者 迷迷執事 : 2007年01月19日 20:47
「僕は、誰に向けて、このblogを書いているのだろう?」という言葉に衝撃を受けました。
私もブログをやっていますから、自問自答してみると、
(1)特定の友人や私を知ってくれている人に向けて
(2)不特定の私を知って欲しい人に向けて
そして、
(3)今日を生きている私自身のために
(4)そして未来の私のために
というところでしょうか。特に一番役立っているのは、(4)です。いろいろな情報がカテゴリーごとに整理されていることが嬉しいです。
投稿者 関@そよ風 : 2007年01月20日 05:18
僕は、ある記事を書くとき、必ず、その記事を読んで欲しい「ひとり」を思い浮かべています。あるいは「ひとつの集団」ですかね。誰も、ターゲットにされた本人は、気にしていないとは思いますが。
なかはらじゅん
投稿者 なかはらじゅん : 2007年01月22日 12:37





















