このメッセージの「宛先」は誰?

 今度、講義で使おうと思って、「情報教育の実践を収録したビデオ」を、ざーっと見ていた。

「子どもが何かを調べる - 発信する」というかたちの授業が多かった。「発信する」の部分では、子どもにニュース番組をつくらせたり、Webをつくらせたりしている(つくっているのは教師である・・・)。

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 しばらく見ていて、なんだか違和感を感じてきた。

 「発信する」の部分でつくられるWebや番組が、いったい「誰」に向かって発信しているのか、わからなくなってきた、からだ。

 通常、わたしたちが何かのメディアで何かを発信するときには、「発信された情報」を受け取るターゲットが想定される。Webサイトでもそうだし、テレビ番組だったら、なおさらだろう。

 「発信」という活動において、「メッセージの宛先性」はもっとも基本的なものである。

 でも、僕が見た実践は、どちらかというと、「Webサイトをつくること」「テレビ番組をつくること」が自己目的化しているように見受けられた(あくまで僕が見た授業に関する、僕個人の感想である。情報教育の授業全般に私見をあてはめる気は毛頭ない)。

 見ていて、何となくこちらが気恥ずかしくなってしまうというのか、どこか「内輪ウケ」っぽく見えてしまうのは、そのせいではないかな、と思った。

 メッセージには「宛先」が必要だ。「自分の言葉を受け取る人」のことをいったん意識すれば、発信の目的、メッセージの構成、そこで使われる言葉・表現が、よりシャープになるのではないかな、と思った。

 単に「伝えて・まとめよう」だけではなく、たとえば「低学年の子どもにわかるように伝えよう」とするだけで、目的や内容がよりくっきりするのではないか、と思う。

「宛先」の想定されていないメッセージは、口に出した途端、目の前に、すっと虚ろに落ちてしまう。

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 ここまで考えて、ふっと我に返った。

 僕は、「誰」に向けて、このblogを書いているのだろう?
 「誰」に向けて???