アメリカは蜃気楼:松尾弌之著「不思議の国アメリカ」(

 松尾弌之著「不思議の国アメリカ」(講談社学術文庫)を読んだ。

 前半は、アメリカを7つの文化圏にわけて、その諸特徴を述べる。後半では、連邦と州の間の緊張関係、チェックアンドバランスのシステムについて述べている。

 冒頭、松尾氏は言う。

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 私たちは、つい自分が見聞きしたアメリカの一面だけを材料にしてアメリカを論じてしまいがちだ。一年中太陽が照り輝くカリフォルニア。人々はエネルギーに満ちて、人生をせいいっぱい楽しんで生きているように見受けられる。

 しかし、それがアメリカの全体像なのだろうか。あるいは万事にひかえめで、落ち着いていて、人間的ぬくもりのある東部。それもまたアメリカの顔であろう。

 こうしたアメリカをめぐる様々なイメージはすべて正しい。それぞれに真実をついているからである。その意味では、アメリカはそれを見た者の数だけ、この世に存在することになる。

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 比喩的に言うならば、アメリカとは、50の州が集まっているのではない。50の「国」が寄り集まっている想像の共同体である、ということになるだろうか。

 数年前、僕もアメリカに留学していたことがある。短い期間であったので当然といえば当然なのだけれども、僕は、アメリカを知るにつれて、アメリカがわからなくなっていく、という逆説的な経験をした。

 アメリカで暮らすにつれて、日本の知識人の常套句である「アメリカでは・・・」「アメリカの教育は・・・」「アメリカの学校は・・・」という一般化された言い回しが、鼻につくようになった(無反省にこの常套句を頻発する知識人を一切信用するべきではないと思う)。故に、上記の松尾の指摘には、とても共感できる。

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 本書で紹介されている7つの文化圏のうち、個人的には、かつて留学していたニューイングランド(ボストン地区)の章が、やはり興味深かった。

 ニューイングランドは、「知識人的指導者=宗教的人格者」を生み出し、新天地に彼らを派遣する場所として機能していた。指導者を養成する機関として1630年代に設立されたのが、ハーバードカレッジである。

 この地域からは、公立学校、タウンミーティングなど、民主主義の様々な道具立てが生み出されることになるのだという。その意味では、この地域こそが、アメリカの礎を築く原動力になったのだろう、と思われる。

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 松尾が述べるように、「アメリカはそれを見た者の数だけ存在する」。本書で提示されたアメリカも、また、アメリカのひとつの姿なのだろう。アメリカとは、つかんでは消える蜃気楼のようなものである。

 アメリカを知る、ということは、そういう「個別のアメリカ」を多層的に組み合わせ、透かしてみるしかないのかもしれない。

 あなたの見たアメリカは、どんなアメリカですか?