コンテンツって言うな!

 先日、京都出張に行っていた際、ある人とこんな話をしていました。「コンテンツという言葉のもつ功罪」についてです。僕らの結論としては、「教育関係者はコンテンツって言うな!」の一言です。

 なぜそんなことを言うかっていうと、「コンテンツという言葉は、思考を停止させる」可能性を秘めているからです。

 たとえば、いわゆる「eラーニング」の業界で、よくこんな会話がなされるのを耳にします。

A「ここをクリックすれば、コンテンツがでてきます。コンテンツは、いつでも、どこでも見られることができます」
B「どんなコンテンツなんですか?」
A「経営学のコンテンツです」
B「そうですか」
(次の話題へ)

 上記のAとBの会話は成立しているのですが、僕としてはやや不満が残ります。こういうぼんやりとした会話だけで、教育のこと、学習のことが語られきってしまうことには抵抗感があります。

 こうした会話では、経営学を教えるための「何か」を開発したことはわかるのですが、その「何か」でどのようなことを教えるのか、学習目標は何か、どのような素材が準備されていて、どのような教えるための工夫がなされているのか、といったことが全くわからないのです。

 たとえば、「経営学のコンテンツ」というもので、実際は「文字がひたすら並んでいる」かもしれない。はたまた、「経営者へのインタビュー動画」かもしれない。それは初学者向けかもしれないし、大学院生向けかもしれない。

 そういったディテールが、すべて「コンテンツ」という言葉に回収されてしまう。「コンテンツ」という言葉の背後には、様々な学習の諸条件が存在しているのにもかかわらず、そういう条件がすべてふっとばされてしまう(実はここにはポリティクスも働いているよねぇ)。で、何となくわかった気になる。

 コンテンツという言葉を聞いた瞬間に、「あー、なるほど、コンテンツね」という感じで、安心してしまうんですね。もちろん、現代社会に生きる人は時間がないですから、コンテンツの詳細にまで、いつも気を払って生きていけない。でも、少なくともコンテンツを議論したりする場所、それが問題になる場所では、コンテンツという言葉でモノゴトを済ませてしまってはいけないのではないかと思います。

 そもそも、コンテンツという言葉の背後には、「Interoperability(相互運用性)」とか「Universal use」の思想が見え隠れしていますが、「いつでも、どこでも、どこでも、使えるようにコンテンツ」なんてそうそう存在しないんです。

 どんな学習者をターゲットにして、どんな場面で、いつ使われることを想定して、何を、どのように提示するか・・・すべてコンテンツが開発されるときには、そういう諸条件というか前提があるのだと思います。僕の言葉でいうならば、「Learning Designの5W1H」なんですけれども。で、コンテンツを売り買いする人たちは、コンテンツについて議論する人たちは、そういうものに敏感になる必要がある。

 少なくとも、「コンテンツという言葉を聞いて、あーそうですか」ってわかったような感じになってはいけないと思うのですね。

 とにかく、教育に関するリッチな会話、実のある議論をしたかったら、そして「ド○ュンコンテンツ」をひきたくなかったら、つまりは「ババ」をひきたくなかったら、「コンテンツ」という言葉を使うのをやめたほうがいいと思います。

 その場合、きっと多くを冗長に語らなければならなくなる。でも、その冗長さから、よりよい理解が生まれるはずです。

 コンテンツって言うな!

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