2007年を振り返る

 一言でいうと、2007年は僕の仕事にとって、大変「よい年」でした。

 企業・組織の中での「大人の学び」を研究対象にしようと決意したのが、2002年6月。それから5年かけて、ようやく、「研究の土壌」を築くことができた、という感じです。

 思い起こせば、研究をはじめた最初の頃は「悲惨」なものでした・・・。
 人材育成担当者にアポイントメントをとっても、ほとんどのメールはかえってこず・・・・。みんな忙しい中仕事をしているので、アタリマエなのですが、駆け出しの教育研究者に時間を与えてくださる奇特な方は、そうおりませんでした。

 誰かのコネクションを利用できるわけでもなかったし、誰かから紹介を受けられるわけでもありませでした。そんな状況を、何とか打開しようと、当時の僕は、いくつかの突破戦略を立てました。

 一、本を出版すること。
 「教育学の諸理論を伝える」ということが主目的ですが、「教育の観点から何ができるのか」「自分たちが何者であるのか」を伝えることも目的のひとつでした。

 一、コミュニティをつくること。
 東大で開催していた「Learning bar」に、人材育成、大人の学びに関連する方をお呼びして、ご講演をお願いすることにしました。

 これら2つの戦略が、ようやく功を奏してきたのが、今年2007年ということになるでしょうか。研究の土壌をつくるためには、5年弱の時間が必要でした。

 昨年、Learning barには1000名を超える応募がありました。最近では、120名のキャパシティの教室に、200名弱の応募をいただくことが多くなってきました。また、今年秋には「Workplace learning 2007」というシンポジウムを東京大学安田講堂で開催し、400名弱の参加を得ました。
 またダイヤモンド社をはじめとした様々な企業のご協力を得ながら、調査をさせていただいたり、インタビューに出かけたり、本当に忙しい一年をすごすことができました。この場を借りて御礼申し上げます。
 先日数えてみたら、今年1年でお会いしてお話を伺った人材育成担当者の方は、もう少しで3桁に迫る様子でした。今から5年前には考えられなかったことです。

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 ようやく築きかけた研究の土壌。
 そこで何をするのか?
 今までわからなかった「何」を明らかにするのか?
 「何」をデザインするのか?
 そして、何を社会に訴えるのか?

 来年には、今行っている様々な共同研究の成果が出てくる予定です。また、いくつかの出版計画もあります。また、様々な企業から、いくつかの委託研究のオファーもいただいております。もちろん、Learning barは継続しますし、Workplace learning 2008も安田講堂で実施します。

 来年の「今日」、また「今年もよい年だった」と言いたいものです。
 月並みですが、来年もがんばりますので、ご支援のほど宜しくお願いいたします。

 2007年12月31日
 中原 淳

投稿者 jun : 2007年12月31日 09:18


銀座寿司幸、銀座久兵衛

 男中原、修行中。

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 銀座寿司幸

「レモンと粗塩でいただく烏賊」「大きく香ばしい穴子」「富山特産のシロエビ」「ふんわりと口の中でとろける雲丹」などが美味しかった。この店だけの「香ばしい焼き椎茸」も重ねてうまい。

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 銀座久兵衛

「塩漬けにしていない生いくら」などが美味。僕には、ここのお寿司は、少し酸味があるような気がする。これは「好みの問題」だと思うけれど。

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 それにしても、ミシュランが出版されて以来、銀座の寿司屋は急速にインターナショナル化している。欧米人だけでなく、中国、韓国の人も多いように思う。板前さんたちも、魚の名前を英語で教えている。

 今日も、隣にジョンズホプキンス大学大学院の学生さんが座っていた。彼との寿司屋談義が面白かった。なんか寿司屋で英語でトークをするのは不思議だなぁ。

投稿者 jun : 2007年12月30日 12:21


旭山動物園

 今日は旭山動物園にいってきました。旭山動物園は、メディア等でさんざん取り上げられていますので、もう改めて紹介する必要もないですね。

旭山動物園
http://www5.city.asahikawa.hokkaido.jp/asahiyamazoo/

 人口わずか35万人の北海道旭川市にありながら、平成18年度の入園者数は300万人。国内では上野動物園に続く第二位です。ちなみに、全世界レベルでも10位台に入るそうですね。

 いまや旭川を代表する観光施設になった動物園ですが、地元の人から見ると、本当に感慨深いものですね。

 閑古鳥がなき、一時は遊園地施設を増設することで、何とか入場者数を稼いでいた「かつての動物園」を知っている僕などは、正直に、「あの動物園がねー」と思ってしまいます。

 だいたい1996年には、入場者は26万人だったそうです。それが10年で10倍以上。この勢いを何とか維持してほしいです。さらに、願わくば、これが旭川の観光産業によい影響を与えるとよいのですけれども。

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 旭山動物園では、冬はペンギンの行進をやっています。時間は、11時と2時半の一日2回。

penguin.jpg

外の気温はマイナス6度くらいだというのに、ものすごい人です。ふつうに立っていたら、全くペンギンなんて見えない。TAKUZOを肩車して、何とかペンギンを見せることができました。

oyako_doubutsu.jpg

 このほか、もうじゅう館、あざらし館、しろくま館などを散策。喜んでいたようです。

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 おうちでは、「そり」などで遊びました。僕も昔は、時間を忘れて、よく遊んだねー。

sori.jpg

 北海道での時間は、ゆっくりと流れていきます。

投稿者 jun : 2007年12月30日 07:54


長渕カラオケ

 年末、CDを整理していて、急に「長渕カラオケ」に行きたくなりました。

「長渕カラオケ」とは、「長渕剛の曲しか歌うことのできないカラオケ」です。

 長渕カラオケは、下記のような特徴をもっています。

1)歌っている間は、みんなインに入るので、声をかけにくい
2)一曲の分数が長いのでなかなか順番が回ってこない
3)他人がどんな曲が選曲したとしても、結局、全員で熱唱してしまう
4)みんな長渕になりきっているので、言動がいつもより粗暴である

 これらの理由から、決して、「万人受け」はしません。というか、参加する人を、かなり選びます。つーか、間違って参加すると、かなりの「拷問」かもしれません。

 かくいう僕は、昔は、長渕ファンの友人と、これを楽しんでいました。
 しかし、大学入学のため上京し、はじめて参加した「合コン」で、長渕を熱唱してしまい、「KY(空気読めないやつ)」と言われてから、長渕を人前で披露することを封印しています。

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 いやー、しかし。たまに聞くと、本当に長渕はいいのです。おそらく、僕の世代(今年32歳)は、長渕がもっとも輝いていた頃、彼の音楽を聴いていたのではないでしょうか。

 正確にいうと、僕らが聞いていたのは「後期長渕」ですね。ヴィトゲンシュタインみたいだね、「前期」とか、「後期」とかいうと。

 前期長渕は、「フォークシンガーとしての長渕」の時代です。「夏祭り」「順子」「二人歩記」「といった曲が、ここに入ります。

 後期長渕は、「ヤ●ザものとしての長渕」の時代です。
「ろくなもんじゃねぇ」「とんぼ」「JEEP」「西新宿のオヤジの歌」「東京青春朝焼物語」「ガンジス」などがここに入ります。

 後期長渕は、またの名を「長渕キックの時代」ともいいますね。長渕キック、知っていますか? 蹴りを入れたあと、自分も、よろよろとよろけるキックを「長渕キック」といいます。「とんぼ」「オルゴール」などの映画で、でてきました。あんまり効いている風には見えない、フツーに蹴った方がいいんじゃねーの、と思わないこともないのですが、なんかかっこよい。

長渕キック
http://www.youtube.com/watch?v=VuKg6V06-Qg

 後期長渕以降、彼は「日本」を意識して、国●主義者っぽくなっていきますが、ふつうの人は、ここでついていけなくなります。まぁ、そういう時代もあった、ということだけ覚えておきましょう。

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 年明けには「長渕カラオケ」に行きたいです。しかし、一緒にいってくれる人がいません。だからといって、大学院生A君のように、一人でカラオケボックスに行く勇気は僕にはありません。ヘタレですいません。

 でも、今回は覚悟を決めました。掟破りのライブビデオDVD4枚組セット「桜島」を買いました。一本ずつ見ても、4日かかるというシロモノです。なげー。これを見ながら、おうちで練習しておきます。

 どなたか行きましょう、長渕カラオケ、年明けにでも。

投稿者 jun : 2007年12月29日 07:09


青山のオシャレフォトスタジオ「Life studio」と渋谷コグマカフェ

 TAKUZOの一歳の誕生日を記念して、今、話題のオシャレ・フォトスタジオ、青山の「Life studio」に、写真を撮りに行きました。

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Life studio
http://www.lifestudio.jp/
東京都港区赤坂7-4-16
03-3586-0812

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 Life studioのコンセプトは、「ありのまま」ではないかと思います。
 一般に「写真屋さんで写真をとるどー」ということになると、「人工的な背景、お仕着せの衣装、こわばったポーズ」を想像してしまいますが、ここでは、少し趣が違っています。

 スタッフの方々が手作りでDIYを施したスタジオで、なるべく普段着のまま、自然な表情を撮影することをめざしているのです。

oshare1.jpg

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10115-001.jpg

 撮影は1時間半程度。シーンは4~5程度で、合計300枚の写真をとります。そのうち70枚程度をCD-ROMに入れてもらえます。これで2万9000円。

 もし必要な場合には、パネルやアルバムをつくることができます。結局、小パネル×2、中パネル×1を注文しました。これで合計4万円です。データももらえてこの値段ですので、決して高くないと思います。

 青山スタジオのカメラマンは、全員、韓国の女性の方だそうです。スタッフの方々は日本の方で、通訳をしてくれます。皆さんとても優しく、本当によくしてくれました。子どもの扱いに大変慣れていらっしゃるご様子でした。

 下記が撮影の様子ですね。カメラマンの他に、スタッフの方が一人ついてくださって、子どもを笑わせてくれます。

IMG_4154.jpg

 ちなみに、自分のカメラも持ち込みOKです。好きなだけとることができます。僕もパシャパシャとりました。下記は、お気に入りの一枚です。

IMG_4152.jpg

 TAKUZOが生まれてから、何軒か写真館に行きましたが、ここの写真には、本当に満足しました。うちでは、毎年、ここで家族で写真をとろうか、と話しています。おすすめです、記念日には、ぜひ。

 ちなみに、現在、土曜日・日曜日はかなりはやく埋まってしまうようです。3ヶ月前程度に予約が必要だそうです。平日ならば1ヶ月程度だそうです。人気なのですね、、、人気、でるだろうな、ここは。

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 撮影は11時半からはじまって、1時くらいに終わりました。

 その後は、やはり最近話題になっている、渋谷のコグマカフェへ。ここは、子どもが遊ぶことのできるスペースを備えたオシャレカフェです。

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コグマカフェ
http://www.kuma-kuma.jp/kogumaindex.html
150-0043
東京都渋谷区道玄坂2-20-9-B1F
TEL : 03-3477-5581
土曜日・日曜日・祝祭日休み

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 コグマカフェの場所は、渋谷道玄坂にあります。

 ちょっと「子どもには刺激の強い、大人な空間」を超えて、ずんずんと歩いていきます。カフェは、千代田稲荷神社の横にあるビルの地下にあるのですが、最初はなかなかわかりにくいかもしれません。僕らも少し迷ってしまいました。

 コグマカフェでは、子どもをキッズスペースで遊ばせたまま、大人は食事をとることができます。

koguma.jpg

 子育て中の親の「外食」ということになりますと、どうしても、マクドナルドとか、サブウェイとかのファーストフードになってしまうのですが、たまには「カフェめし」も食べたくなる。そんなときに重宝すると思います。

 僕はレッドカレー、カミサンはハンバーグのボールを食べましたが、とてもおいしゅうございました。

 TAKUZOは、キッズスペースで、他のお客さんの子どもと一緒に遊んでいました。1時間近くいたけど、全然退屈していないようでした。
 スタッフの方は、元保育士さんの女性の方が1名いらっしゃいます。夜は、旦那様がバーをなさっていて、昼は奥様の方が子どもカフェをなさっているそうです。
 はじめての訪問でしたが、TAKUZOに話しかけてくれ、すごくよくしてくれました。よかった、よかった。

 ここはイベントなどで貸し切りになることが多いそうで、出かける前には電話をしていった方がよいと思います(貸し切りにするためには、総額1万5000円を使っていただければ何人でもOKだそうです)。

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 Life studio、コグマカフェ、どちらも実はカミサンが前々からチェックしていて、行きたい行きたいとわめいていた場所でした。アンタ、よー、見つけてくるな、こういうの。ホンマ、感心するわ。

 どちらも、Mixiなどでクチコミで人気になっている場所だそうです。両方のスタッフの方々も、それを認識していらっしゃるようで、そうおっしゃっていました。

 SNSってスゴイですね。というか、クチコミマーケティングのパワーを改めて感じた一日でした。

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 さて、明日から北海道。
 マイナス19度の酷寒の地に出かけます。
 生まれてはじめての雪にどんな反応を見せるかな。

 TAKUZO、パパの生まれたところに行こうね。

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追伸.
 中原は今年度の営業をすべて終了しました。おかげさまで、素敵な1年を過ごすことができました。僕を支えてくださった皆様に感謝いたします。ありがとうございました。

 来年は1月7日から営業開始です。それまで、メールチェックなどは原則行いません。あしからずご了承ください。

 よいお年をお過ごしください。

投稿者 jun : 2007年12月28日 07:00


クリス=アージリスとドナルド=ショーン

 クリス=アージリスという研究者がいる。ハーバードビジネススクール名誉教授にして、「組織学習」という分野を立ち上げるきっかけをつくった人として知られている。

「僕の記憶にある限り、クリス=アージリスは、教育学部と経営学部を行き来した最初の研究者ではないでしょうか」

 ある先生が、先日、こうおっしゃっていた。在りし日のアージリスは、ハーバードのGraduate school of educationとBusiness schoolで教鞭をとっていたのだという。

 その先生曰く、

「ハーバードにつとめていたクリス=アージリスが、マサチューセッツ工科大学のドナルド=ショーン(非常に著名な組織学習の研究者である、教育学にも多大な影響を与えた)とはじめた出会ったとき、数時間にわたって、まさに時を忘れて話し込んだそうです。ハーバードとMITのキャンパスは目と鼻の先。こんな近くに、まさか、自分と同じ興味関心をもった人がいたなんて、と」

 その後、アージリスとショーンは一緒に研究を進めるようになり、有名な「シングルループ学習」「ダブルループ学習」という概念を提唱する。
 この概念は、「学習する組織」「組織学習」をかじったことのある人なら、知らないでいることを許されない概念となっている。

 クリス=アージリスとドナルド=ショーン。「幸せな出会い」のある研究とは、何とも素敵なものだと思う。

投稿者 jun : 2007年12月27日 09:12


子ども美容室

 お正月も近いということで、TAKUZOを「子ども美容室」に連れていきました。そんなのあるんだよね、びっくりだよねー。

 TAKUZOは生まれてこのかた、ほとんど何もせずに髪の毛を伸ばしていたので、後ろ髪が田村正和のように長くなっていたのですね。新年を前に、こりゃ、さっぱりせなな、というわけです。

 子ども美容室といっても、やることは大人と全く同じです。イスに座り、チョキチョキと切られて、シャンプーをする。子どもが暴れないように、イスの前には液晶モニタが置かれていて、アンパンマンとかのDVDを見せてくれます。

biyoushitsu1.jpg

 シャンプーのとき、美容師さんが「かゆいところはないですか?」とTAKUZOに聞いているのが、笑えた。
 気にしてくれてありがとうございます・・・でも、「かゆい」という言葉がわからないかもしれません(笑)。

biyoushitsu2.jpg

 かかった時間は30分、お値段は3000円。オヤヂでも、カット3500円なのに・・・。めちゃめちゃ高いような気もするけれど、ブログのネタになったので、よしとしよう。

投稿者 jun : 2007年12月26日 16:27


キャリア開発と人材育成の関係!?

 先日、「キャリア開発」と「人材育成」の関係について、ある実務家の方と話した。

 前者を仮に「個人がキャリアを構築できるように、組織が支援を行うこと」、後者を「個人が能力開発できるように、組織が学習経験を提供すること」と定義しよう。

 その際、問題になるのは、2つの概念の関係である。

 二つの関係を○であらわすと、

jinzai_career1.jpg

 なんですか?

 それとも、

jinzai_career2.jpg

 なんですか?

 どっちかな?

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 個人のキャリアを構築することを、何よりも重視し、その他の施策はキャリア開発という大義名分のもとに行われるのだとすると、前者になる。

 一方後者は、様々にある人材育成施策の中でのひとつが「キャリア開発」ということになる。

 あなたの組織は、今は、どっちですか?
 この先、どっちをめざしていきますか?
 その際、生じてくる様々な「障害」は?

 キャリアの研究者の方からすれば、「なんだ、そんなもん、決まってるじゃねーか」という感じかもしれないけど、なかなか実務の世界では、大変なようですよ。

 「丸」を二つ書いただけの図なんだけど、なかなか考えさせられますね。

投稿者 jun : 2007年12月25日 10:57


眠りが深い

 愚息TAKUZOは、眠りが深い。
 あんまり長く、そしてぐっすり寝ているので、「生きているのか」心配になり、つい確かめたくなる。

nemuri_hukai.jpg

 目をこじ開けても、屁のカッパである。
 寝る子は育つ、というけれど。

投稿者 jun : 2007年12月24日 21:30


M-1グランプリ

 朝から査読×5本。しかも英語。死ぬかと思った。

 夜、TAKUZOと遊びながら、M-1グランプリを見た。サンドウィッチマンというグループが、敗者復活戦から優勝した。ありし日の島田伸介と、もうひとり(名前を忘れた)を見るようで、懐かしかったし、オモシロかった。

 下記にビデオを見つけたので、もしM-1を見られなかった方がいたらどうぞ。ちなみに一番最初が昨日のネタですね。

サンドウィッチマン1
http://www.youtube.com/watch?v=83AxL06OZ-w

サンドウィッチマン2
http://www.youtube.com/watch?v=eIupCK1yV_M

 サンドウィッチマンは、仙台出身。上京して10年弱、6万円くらいのアパートにふたりで住んでいるらしい。おそらく、年末、新春の番組出演依頼が、今頃飛び込んでいるんだろうな。きっと、これで生活が変わりますね。

 アメリカンドリーム?みたいで、こういうの、いいですね。

投稿者 jun : 2007年12月24日 11:55


クリスマスとテレホンカード

 週末、いかがお過ごしですか?

 我が家は予定が「総崩れ」です、ガラガラ。

 22日には、同じくらいの年齢の子どもをもつ、ベネッセのSさん、同僚のA先生と、子連れでミシュラン星付きのお店にいく予定でした。
 23日は、TAKUZOを連れて「子どもクリスマスコンサート」に銀座に出かけよう、と話をしていたのです。

 ところが・・・
 
 
 
 
 
 
 22日深夜未明、発熱39度(泣)。
 
 
 
 
 
 昨日は、予定をキャンセルし(Sさん、Aさん、本当にすみませんでした)、一日おうちでシンナリとしていました。今日もその予定です。本当に予測不能ですね、子どもの健康状態というのは。

 11月から、大きな発熱はこれで4回目です。保育園に通い始めてから、この2ヶ月は、「元気な日」の方が少なかったのではないかと思います。

 でも、オモシロイものですね・・・親も「成長」するのです。
 最初の発熱のときは、39度の熱にびびって、必死で救急病院に駆け込んでいたのですが、段々と慣れてくる。

「今食べられるかどうか」「どの程度動き回ることができるか」・・・そういう様々な指標から、病院に行くかどうかを判断できるようになります。そして、心に余裕ができるようになる。「嗚呼、しょーがねーな」という感じになります。

 俗に「親も子どもと一緒に成長する」とよく言われますが、僕は、それが、いかにも教育業界的なメタファか何かだと思っていました。でも、違うのですね。

 親は最初から「親」ではない、「親」になっていくのです。

 子どもが病気だと、早朝から病院に並び、夜は何度も起こされる。おまけに、もっとも近くで看病しているため、もれなく風邪を子どもからもらう。

 強くなるよ「親」も。

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 明日はクリスマスイヴです。TAKUZOには、サンタクロースさんから、トミカ「高速道路にぎやかドライブ」というのをプレゼントすることになりました。

 TAKUZOは恐ろしいほどの「車好き」です。ですので、毎日ミニカーを乗り回し、賑やかにドライブしていただこう、ということですね。

 ところで、サンタクロースさんというと、僕は結構長くその存在を信じていました。記憶にはあまりないのですが、おそらく小学校3年生くらいまで?。

 今から考えると、長すぎるよなぁ、と思いますが、その頃は「インターネット」も「2ちゃんねる」もないのです。その存在がウソだと教えてくれるものは、あまりなかった。

 あと、我ながらセコイのですが、どこかで「信じていた方が得だ」と思っていた節もありました。それが「親」であることはうすうす感じつつも、本当のことを指摘してしまうと、「誰もプレゼントをくれなくなる」のではないか、と思っていたわけです。うーん、我ながらセコい。

 ちなみに、なぜ僕がサンタクロースさんの存在を「親」であるとわかったのか。それは、親が僕にプレゼントしたものの中に、親が「仕事場」から買ってきたであろうものが、入っていたからです。

 うちの両親はNTTで働いていました。そして、ある年のサンタクロースさんのメッセージカードには、キャラクター付きのテレホンカードが添えられていた!

 あのね、アホでもわかるよ、そんなの。どこの国のサンタクロースさんが、テレホンカードを電話局で買ってくるのよ!

 というわけで、僕のサンタクロース信仰は、そこで終わりました。
 もしかすると、親はそろそろこの習慣をやめたくて、敢えてテレホンカードをプレゼントに添えたのかもしれません。もし、それがHidden messageだとしたら、なかなかウィットに富んだ伝え方だと思いますけど(たぶん違う)。

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 TAKUZOはいつまでサンタクロースさんの存在を信じるでしょうか。幼稚園くらいまでかな、それとも小学校かな。いつしか、きっと親とクリスマスを過ごすよりも、友達とか、彼女とかと過ごす方がよくなるんだろうねぇ・・・。

 まぁ、間違っても、しばらくの間は、東大グッズとか、テレビ局グッズを彼にプレゼントしないようにしようとは思いますけれど。

 メリークリスマス!

投稿者 jun : 2007年12月23日 09:28


明石家さんま方式

 先日、ある人と話していたら、「明石家さんま方式」という言葉がでてきた。

「さんまの笑いの取り方」は、基本的に「誰かが何かをしゃべったことをおもしろおかしくアレンジしたり、ツッコミを入れること」にある。彼自らが、何か長いネタをくりだすことは滅多にない。

 教育の理想もこれと同じだそうだ。

 教師が一方向的に情報提供するのではなく、生徒が何か情報を発信したあとで、適切なコメントやフィードバックをかえすことに徹する。
 生徒に主導させるかといって、決して、関わらないわけではない。生徒の発信した内容が、生きて、場をわかせるような絶妙の介入を行わなければならない。

 たとえて妙。
 なるほどなぁ、と思った。

投稿者 jun : 2007年12月22日 09:14


「コミュニティ・オブ・プラクティス」のコミュニティ:バーチャルハリウッド

 ここ1週間、来年度の共同研究や委託研究が打ち合わせが続いている。自分にどのような貢献が可能か、ひとつひとつ内容とスケジュールを吟味しようと思う。

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 ところで、3月11日、日本経済新聞社が主催となって、企業人材育成に関する産官学シンポジウムを開催することになった。その打ち合わせの席上、下記が話題になった。

バーチャルハリウッド協議会設立
http://www.fujixerox.co.jp/release/2006/0706_vt_hlwd.html

バーチャルハリウッド協議会
http://www.vhcouncil.org/topics.html

 部門の枠を越えたバーチャルな組織、いわゆるコミュニティ・オブ・プラクティスを志す、企業のコミュニティ(コンソーシアム)である。
 1999年の設立以来、どのような活動を行い、どのような成果をあげたのか、そこでは、どのようなストーリーが生まれたのか、とても興味深いと思った。今度、できればLearning barなどにお招きすることができたら、オモシロイだろうな、と思う。

 おー、そうそう。Learning barといえば、1月のLearning barは募集開始から数日で130名の満員御礼。数十名のキャンセル待ちが生じた状況でした。昨日で募集停止。
 今日、講演者の早川さんと打ち合わせがありましたが、かなり興味深い内容になると確信しました。

できるMRを育てる:Off-JTとOJTの連動の仕組み
http://www.nakahara-lab.net/blog/2007/12/mroffjtojt1learning_bar.html

 ぜひお楽しみに!

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 それでは皆さんよい週末を!

投稿者 jun : 2007年12月21日 23:32


大学院ゼミ終了

 今年最後の大学院ゼミが終わった。ゼミ終了後に、後楽園で「忘年会」。一年本当に早かった、何とか乗り切った。

 今年も「激動」だった。詳細なリフレクションは、大晦日にゆずることにしよう。

 2008年まで、残り11日。
 そろそろ年賀状「年刊中原」のデザインをFixしなくては。

投稿者 jun : 2007年12月20日 23:49


最強の読解力

 朝から8つの会議をこなす。最後は、息も絶え絶えで、本学知財部の方々と打ち合わせ。最近は、大学も、契約・知的財産にセンシティブなのです。

 それにしても、知財部の方々は、どうして、契約書の微細な変更箇所を一字一句にわたって読み取ることができるのでしょうか。「最強の読解力」ですね。フィンランドも真っ青、心から尊敬します。もしかして、僕が「おおざっぱ」「適当」すぎるのですか?

shibou.jpg

行き倒れ@本郷・研究室にて

投稿者 jun : 2007年12月19日 18:22


学力No.1秋田県の秘密!?

 12月19日朝日新聞、全国学力調査で小学6年生の全科目が1位だった秋田県には、下記のような「秘密」があるのだという。

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1.ティームティーチングを44年前から実施していた学校があった。
 ティームティーチングはほとんどの県が取り入れているので、いまや秋田だけの特徴ではない。

2.秋田県県教育委員会は2001年から少人数学習を推進
 少人数教育も、いまや秋田だけの特徴ではない。

3.小学校の教員採用試験の倍率が全国トップレベル
 2008年は36.9倍だそうだ。これが教員の質につながっている!?。ちなみに東京の教員採用試験の倍率は、2.9倍。大阪府は2.8倍。

4.県教委には算数・数学学力向上推進班がいる
 ネットで全小学校に問題を配信し、その結果を集計。各学校にフィードバックを行う。

5.2006年度から授業の進め方を助言する「教育専門監」を8名任命し、各学校をまわる。

6.小学校では「家庭学習ノート」が使われており、「家で授業の復習をする生徒」が全国平均より多い。

7.遅刻や朝食抜きの子どもがあまりおらず、基本的な生活習慣ができている。
「復習をする生徒」は全国平均が40.1%、秋田は74.5%。「ふだん午前7時より前におきる生徒」は全国平均が74.5%、秋田は91.1%。「家の人とふだん朝食を食べている生徒」は全国平均が60.7%、秋田は66.9%。

 かくして、そんな秋田の「秘密」をさぐろうと、全国から視察や問い合わせが殺到しているのだという。

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 教養学部授業「映像で見る学力論」は、いよいよ最終課題にはいった。
 
 各グループがそれぞれ

 ●学力と格差
  格差問題と学力の関係

 ●学力と評価方法
  目に見える学力と目に見えない学力を測定する
  方法には、どのようなものがあるか?

 ●学力と授業形式
  学力を高める授業形式の秘密とは何か?

 という3つの観点からプレゼンテーションをつくる。プレゼンテーションの最後には、「日本の教育への提言」を含めるよう指示してある。

 この記事は、学力問題を批判的に読み解く上で、非常によい教材になると思った。これまで培った!?批判的読解のスキルをもって、プレゼンを創って欲しいと思う。

投稿者 jun : 2007年12月19日 08:18


神戸での講演

 昨日は、神戸大学大学院経営学研究科の金井壽宏先生が主宰する人事研究会で講演を行わせていただいた。
 この研究会は、神戸製鋼ヒューマンクリエイトさん(神戸製鋼の教育子会社)が事務局をつとめており、関西近郊の多くの企業の人事・教育担当者が参加している。
 
 僕の講演タイトルは「教育学者が覗いた企業人材育成」。妹尾河童の「河童の覗いたインド」に、ちょっとひっかけてみた。

神戸製鋼ヒューマンクリエイト
http://www.shc-creo.co.jp/

 講演では、

1.学習とは何か?
  (知識獲得、知識統合、転移などの諸概念)
2.教育学的な観点から見ると企業人材育成の現場はどう見えるか?
3.どうすれば、人が育ち、学ぶ環境をつくることができるのか?
4.そのためにはどのようにHRDの人々はどのように振る舞うとよいのか?

 について2時間話した。

 要領を得ない拙い講演だったと思うが、例のごとく、皆さんのご協力のもと(ディスカッションやエクササイズをしてもらった)、何とか終了。ご参加いただいた皆さん、ありがとうございました。

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 その後は、研究会のコアメンバーが別室に集まり、研究会がスタートした。こちらの方は、金井先生と中原で、研究会の方々の質問に答えたり、各テーブルを回ってディスカッションに参加したりした。

 研究会の冒頭で、金井先生から僕に対して、いくつかのコメントと質問が投げかけられた。質問は、下記のようなものだった。

1.学部時代、院生時代、どういう研究をしたか。
2.自分が好きだと思う学者をあげて、なぜ好きなのかを説明して欲しい
3.なぜ中原は企業人材育成の領域で研究をしはじめたのか?
4.企業の研究をはじめた頃はどうだったのか? 企業の方とは、いつ頃からコンタクトをとれるようになったのか? それにはどのような工夫が必要だったか?

 今から考えてみれば、金井先生は僕に、自分自身をNarrativeさせる(物語らせる)ことで、研究会参加者に僕を理解してもらう機会をつくってくれたのだと思う。

 金井先生に問われた「僕の歴史」は、自分としては、あまりふだんは考えたことのないことであったが、よい「振り返り」になってよかった。そうだ、僕の「原点」は「あそこ」にあった。そのことを再確認した。

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 研究会では、研究会メンバーがいくつかのテーブルに別れて、ディスカッションをする。そこに金井先生と中原で10分程度ずつ参加した。

 ディスカッションでは、なかなかすぐには答えることのできない問いも含まれていて、かなり考えさせられた。

 たとえば、

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 リーダーは「自分を物語ることのできる存在」だと思う。しかし、現在、自分の会社では「若き経営者を早期に選抜し、育成すること」をめざしている。その際には、若き経営者候補のストーリーは、どうしてもプアになる。これをどうしたらいいのか?

 教育をするほうにも、教育を受ける方にも「時間」がない。でも、分かって欲しいことはたくさんある。余剰時間がとれない場合、どのように分かって欲しいことを獲得してもらえばいいのか?

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 などのような問いがでていた。
 いずれも、僕は直接の答えを持たない。「アポリア」である。

 本当はゆっくり会社の状況などをお聞きしながら、ひとつひとつ問題の本質を解きほぐしていきたい。が、少しのコメントをするのが精いっぱいでタイムアップ。残念。

 けだし、教育や学習は、すべて「個別具体的」である。
 技術的合理性(Technical rationality)に基づいて「一般的原則」をそのまま「処方箋」として「現場」に適用できるのであればいいのかもしれないけど、残念ながら、そのようにして利用できるルールはかなり限られている。

(本当のことをいうと、これは教育だけに限られた話ではない。おおよそ人間を相手にする限りにおいて医療でも福祉でも、同じことは言えると僕は思う。それは人間を相手にすることによっておこる宿命でもあるし、同時にオモシロサでもある)

 よりよい教育や学習をめざすためには、どうしても、それを支援しようとする人の側に、ローカル、かつアドホックに起こっている「出来事」や「経験」の意味を、具体的に聞き取る姿勢が必要である。

 たとえば、ある人の業務を本当に支援したいのであれば、

 その人が
 いつ
 どこで
 どんなタスクに従事していて、
 それはタスクにはどの程度無理があって、
 誰とともに問題解決をしていたか?

 を子細に調べる他はない。研究会では、教育学、学習科学、経営学、成人教育学の歴史をひもときながら、このようなことの難しさを共有した。

 ---

 僕に対しては、参加者の方々からも、いろいろな質問を受けた。

 一番考えさせられたのが、ある方に「将来的に、企業組織の人材育成に関しては、どのような研究をしていくべきなのか?」と問われたことであった。

 僕の答えは下記である。

 人の賢さ、そして、それを支援する技術は、単一のディシプリンに還元されないし、そうするべきでもない。
 教育学、経営学、心理学、社会学、人類学、様々なアプローチが許容されるべきだし、お互いに知見をリスペクトしあうべきである。そして、これらの人々の間に、もっと行き来や情報交換がなされるべきではないかと思う。
 そして、企業・組織における人材育成の研究に関しては、今後、より重要になることはあっても、意義がなくなることはない。
 多くの学部生、大学院生にもぜひ参加して欲しい。この領域はニーズに比べて決定的にヒューマンリソースが足りてない。
 僕はそう思う。

 ---

 今回の神戸での講演、研究会参加は、僕にとって、様々な「収穫」があった。

 卑近なところでは、今、共同研究として東大のみんなで取り組んでいる調査や本の執筆、そしてこれから僕自身が取り組もうとしているいくつかの本の執筆の方向性が間違ってはいなかったと、金井先生、他皆さんのご意見の中から確信できたことだ。

 方向性が間違っていないのであれば、あとは猛進することである。振り返る必要はない。来年はこれに精いっぱい取り組もう。

 ---

 ちなみに、金井壽宏先生は、僕が学生の頃からずっと憧れてきた研究者であり、尊敬する研究者のひとりである。気鋭の経営学研究者であるにもかかわらず、先生の著作には「学ぶ人に対する配慮やまなざし」が感じられ、これまで勝手に親近感を覚えていた。

 

 今回、機会を得て、ようやく実際にお逢いできたことを嬉しく思う。そして、何より、先生の口から、「10年かけて企業での大人の教育研究を行なう価値がある」と言っていただけたのが、嬉しかった。

 ---

 最後になりますが、このような機会を与えてくださった、金井先生、神戸製鋼ヒューマンクリエイトの寺本さん、足立さん、富田さん、水口さん、神戸製鋼の宋さんに感謝いたします。ありがとうございました。
 また神戸大学大学院生の伊達さんには、いろいろなコメントをいただきました。ありがとうございました。

 さぁ、東京に帰ろう。
 授業が待っている。
 はやく家族に会いたい。
 ---

補足:自分メモ
 神戸大学の金井先生のゼミの方が、クランボルツの「Planned happenstance」を「いきあたりバッチリ」と訳したそうだ。なるほど、名訳だと思った。

投稿者 jun : 2007年12月18日 11:47


お前は意味だけで生きてんのか?

 手帳大賞の大賞作品が興味深かった。

■お前は意味だけで生きてんのか?■

岸本芳貴さん54歳 公務員
 若い頃「生きてる意味がわからない」「生きてる意味がない」と落ち込んだときに、年配の方から言われました。そう、意味がなくともちゃんとこうして生きています。飯や酒がうまいことや好きになったりすることに、そもそも意味なんてないですよね。

手帳大賞
http://www.takahashishoten.co.jp/techotaisyo/meigen.html

 ---

 これに似た「意味」肥大化を揶揄した名言!?には、下記のようなものが記憶に残っている。

■自分探しだと?オマエはここにいるだろうが!■

 意味: それとも変身できるようになりたいのか?

炎の宅配便
http://www.success-corp.co.jp/software/ps2/takuhaibin/kotodama.html

 ---

 人間、若い頃は、「意味」に苦しみ、「意味」に励まされる。おそらく、多くの人は、時に「意味」に煩悶する一方で、時にはそれををやり過ごし、流され生きている。「意味」と「自分」との間に、適当な「距離感」をとるのだと思う。

 しかし、中には、意味が眼前に立ちはだかる「巨壁」のようになってしまう人もいる。意味に絡め取られ、一歩も前に進めなくなってしまう場合もあるのかもしれない。

 「意味」を考えることには意味がない、とは全く思わない。
 でも、時には、その「意味」を相対化し、笑いとばしてみることも、自分の生きる「意味」を考える上で、<意味>のあることであるように思う。

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追伸.
 TAKUZO、未だ39度中盤をいったりきたり。昨日の夜は1時間おき?くらいに起こされて、かなりしんどかった。

 朝病院にならぶ。月曜日だから満員を予想していたが、なぜか2人しかいなかった。なんで? 寒い思いして、缶コーヒー飲みながら、並んだのに。

 診察の結果、幸い、インフルエンザではなかった。でも、診察室にいたカミサンの話によると、まわりにはインフルの子がたくさんいたらしい。くわばら、くわばら。

 今、朝食中。うーん、ガツガツ食っている。この調子で、回復してくれるといいのだけれども。

 僕も、そろそろ仕事に行かなくては。TAKUZOが熱をだすときは、きまって、なぜか僕が出張だったりする・・・。すまん、かたじけない。カミサン、あとは頼んだ。

 そして人生は続く。 

 ---

追伸2.
 ちなみに子どもというのは、「一寸先は闇」である。めちゃめちゃ元気だと思っていても、数時間後には40度の熱がでていたりする。下記をごらんあれ。

 使用前(めちゃめちゃ元気)

dramatic1.jpg
 
 
 
 
 
 
 ・・・・その数時間後・・・・
 
 
 
 
 
 
 ハナタレ小僧、発熱40度。

dramatic2.jpg

 子育ては甘ぐねーど。

投稿者 jun : 2007年12月17日 09:26


発熱

 一難去って、また一難である。TAKUZOが夕方あたりから発熱。39.5度あたりの体温をあがったり下がったりしている。

 昨日あたりから夜泣きをしたり、急に甘えてきたり、なんか変だなぁと思っていたけど、あれが「予兆」だったとは。可哀想に・・・。

 明日は、僕は神戸で講演なので、カミサンがお休みをとることになった。朝は一緒に病院に連れていけると思う。

 早く治るとよいのだけれども。
 試練は続く。

投稿者 jun : 2007年12月16日 20:03


記録はおまかせして、記憶に残るプレーをします

 元プロ野球選手の新庄選手は、かつてこう言ったという。

 記録はイチロー君におまかせして
 私は記憶に残るプレーをします

 これを僕の研究領域の研究者風に言い直すと、こうなるのだろうか。

 論文数は○○先生におまかせして
 私は記憶に残る研究をします

 ---

 アタリマエのことであるが、「論文業績を残すこと」も「記憶に残る研究をすること」もどちらも難しい。どちらも中途半端で終わりそうな感じがして、つい挫けそうになる。そもそも、これらはトレードオフなのか、それとも両立できるものなのか?

 もし仮に自分に残された時間があまりないのだとする。
 結局、僕は何がやりたいのだろう?
 結構マジメに考えさせられる。

投稿者 jun : 2007年12月15日 07:00


誰も行きたくないカラオケ:新入社員とミドルの切ない物語

 今日、研究室にいらっしゃったG社のK社長、Sさんから「誰も行きたくないカラオケというのが、このところ、いろいろな会社で蔓延している」という話を伺った。

「誰も行きたくないカラオケ」は、現在35歳~40歳くらいの中堅社員が、「久しぶりに採用した新入社員の面倒を見てほしい」と上司から命じられたときに起こる。

 この世代の中堅社員は、上の世代が「仕事はオレの背中を見て育て」という世代であったので「教えられた経験」があまり少ない。また、氷河期があったので、「教えた経験」も少ない。

 上司には、「若いものには、飲みにつれていって、カラオケでも一緒に行けばいい」と軽く言われた。

 中堅社員としては、ここ数年カラオケなんて行ったことがなく、最近の歌は知っている歌も少ないので、あまり行きたくはない。でも、上司の手前、断るわけにもいかない。

 しょうがない。

 「今夜、カラオケでもいかないか」

 新入社員を誘う。

 一方、新入社員には、「会社の人とアフターファイブにまで飲みに行く」という慣習はない。「面倒なことになったな」と思いつつも、断るわけにもいかない。

 かくして、ただひたすら曲を入れて歌い続けるものの、今ひとつ盛り上がりにかける「誰も行きたくないカラオケ」状況が生まれることになる。

 両者ともに知っている歌がほとんどない状況なので、口ずさめるわけでもない。はたまた、相手の人が会社の人なので、あんまりハメをはずすわけにもいかない。
 そこに居合わせる誰一人として、「歌いたい」と思っているものはいない。全員が、ただ時間が過ぎるのを待っている。

 もちろん、2時間の時間が終われば、時間延長されることはない。「凍てつくような雰囲気」のまま、みんな家路につくだけだ。

 今日は金曜日。
 誰も行きたくないカラオケが、今日も、どこかで繰り返されている。

投稿者 jun : 2007年12月14日 12:41


鼻の穴小さすぎるんですけど:内視鏡検査室にて想う

 嫌な予感はしていたのである・・・目の前に現れた「お医者さん」の顔を一目見たときから。
 どことなく不安げで、どことなくそわそわしていて。こういうのを第六感というのだろうか。「いやぁまいったなぁ、できるなら、別の日にしたいなぁ」と感じたのである。

 ---

 昨日、胃の内視鏡検査を受けた。
 僕は、もともと持病があり、人間ドックのときには、バリウムではなく、すすんで内視鏡を受けることにしている。ともかく昨日はその日であった。

 内視鏡は、鼻からのものを選ぶ。ここ1年~2年、鼻から挿管する内視鏡ができて、ずいぶん患者の負担は楽になった。

 僕の場合、口からの内視鏡で検査する場合には、あんまり苦しいので鎮静剤を打ってもらい、意識レベルを下げてもらう。しかし、鼻からの内視鏡では、それも必要ないくらい楽になった。ここ数回は、鼻からのもので検査している。

 ---

 所定の準備を終え、検査室に入る。

 「それでは始めます」

 オドオドしたお医者さん - オドオド君がそう言って、内視鏡を鼻に入れはじめる。が、これが、なかなか入らない。

「おかしいなぁ・・・」

 僕の目の前のモニタには、10倍くらいに拡大された僕の鼻毛が、「ひょんなところでお会いしますねー」という感じで、ゆらゆら揺れている。

 何度やっても内視鏡は入らない。あんまり入らないので、看護婦さんがフォローしはじめる。

「もともと、鼻の中の穴が小さい人の場合は、鼻内視鏡は無理な場合もあります。その場合は、口からの内視鏡で検査になりますけれども」

「おかしいですね・・・残念ですが、中原さんは鼻の穴が小さいみたいで内視鏡が入りません。口からにしてもらってもよろしいでしょうか」

 アホか! 内視鏡が入らないのを人の「鼻の穴」のせいにするんじゃない。これまでだって、他の病院で3回も鼻から検査を行っている。

「悪いのは、オマエの腕だ!」

 そう言いたくなるのをグッと押さえて、我慢する。しかし、ホントウの「地獄」はここからはじまった。

 なにせ、このオドオド君は、そもそも内視鏡が「へたくそ」なのである。一年に何度かは検査をしているので、お医者さんのテクニックの違いは、すぐにわかる。オドオド君は、口からであろうが、鼻からであろうが、内視鏡の検査そのもののテクニックがない。

 手ににぎっている操作グリップを右によじっては「あれっ、ここが見えないなぁ」と言い、左によじっては「あれ、行きすぎた」と言っている。不安であることこの上ない。
 おまけに、僕はいつものように鎮静剤を使っていないので、意識は明瞭だ。オエッ、オエッという吐き気が、何度も何度もおそってくる。苦しいことこの上ない。

 結局、検査は15分以上もかかってしまった。いつもの3倍くらいである。

 帰り際、オドオド君に「すみませんね、研修医なのです。あまり慣れていないもので、ご迷惑をおかけしました」と言われた。「はい、先生も頑張って勉強してください」とだけ声をかけた。

 ---

 いやー、それにしても、「惨い目」にあった。

 まぁ、でもそれでも・・・・一方で「それも仕方ないかな」と思う。誰もが最初から「熟達者」であるわけではない。最初から内視鏡をスルスルと操作できる人はいないし、鼻から挿管できるわけではない。誰もが最初は「へたくそ」なのである。

 結局、医者が「一人前」になるためには、それとつきあわざるをえない「患者」がどうしたって必要である。患者の誰かが、必要以上に「痛み」を感じたり、「不快感」を感じたりすることが、どうしても、必要になる。

 ---

 振り返ってみれば、世の中には「即戦力」という言葉があふれている。でも、正直にいうと、僕はこの言葉を聞くたびに「違和感」を持たざるをえない。

 ノービスよりも、すぐに「使える」熟達者が欲しいのは、雇用者の立場にたてば、誰だってそうだ。あなただって、そう。そして、僕もそう。

 でも、「誰もが最初はノービスなのだ」から、彼を「熟達者」にするためのコストは、社会の誰かが支払わなくてはならない。
 誰かが「即戦力人材」を得ることができるということは、かつて「右も左にわからないペーペー」に知識や技術を教えた人がいたということである。
 だから人材育成のコストを支払いたくないため「初心者」を避け「即戦力人材」を過剰に求める風潮には、「いいとこ取りすんじゃねー」と感じてしまうこともないわけではない。

 もちろん、誰かの「熟達化」にかかるコストが、「命」にかかわるのならイヤだ。でも、少々のことは「仕方ない」と思って諦めなければならない。「なんで他の誰かではなく、オレなんだ」と思うこともあるけど、それも巡り合わせ。致し方ないことである。

 そういえば、知人のAさんは、昨日、大腸内視鏡だったそうで、やはり研修医にあたり、見事失敗したそうだ。
 大腸内視鏡の場合、下剤を大量に飲んで腸の中をすっかりキレイにしなければならない。彼は2日連続で下剤を飲む羽目になった。

 Aさんは言う。

「若者にはそれなりの試行錯誤がどうしても必要なのです。前向きにつきあいましょう」

 ---

 今は「一人前」になったあなた。あなたはもう忘れてしまったかもしれないけれど、あなただって、あなただけの力で「一人前」になったわけではない。

 人が学ぶこと、一人前になることに対して、社会全体でコストを支払う。これに関しては、前向きに、かつ、寛容な社会であって欲しい、と、ペーペー教育学者としては、そう思う。

投稿者 jun : 2007年12月13日 09:59


Sit or not to sit...That's a problem

 うそー!

男性の半数は「座りション派」 8年前の3倍超
http://www.asahi.com/life/update/1212/OSK200712120051.html

 小生は断固として「スタンドアップ」です。

 ---

追伸.
 今日のミーティングで話題になったこと。

 「月にかわっておしおきよ」は英語でいうと、

On behalf of the Moon, I shall right wrongs and triumph over evil,

 らしい(なんのミーティングだとクビをかしげる方もいらっしゃるかもしれないが、詳細は今は言えないけど、教材開発のマジメなミーティングだった)。

 なら、「かめはめ波」は英語でなんというのだろう?・・・ベネッセの人たち含め、みんなで悩んだ。

 まさか、「KAMEHAME WAVE」ではあるまい。

投稿者 jun : 2007年12月12日 19:07


天国からのメッセージ

 天国からのメッセージをやってみました。僕は74歳まで生きるそうです。へー予想外。もう少し早いと思ってた。

 2017年にはイギリスにいくそうです。10年後か、僕とカミサンは42歳、TAKUZOは11歳。何しにいくのよ、そんなとこに?

天国からのメッセージ
http://www.uremon.com/heaven/

 ---

2007年の僕へ。

元気ですか?2007年ごろの自分のことを懐かしく思い出します。
僕は74歳で、つまり西暦2049年に、病院のベットで生涯を終えます。今にして思えば、たくさんの人に支えられた充実した素敵な人生でした。
だたひとつだけ過去の自分に、つまり今のあなたに伝えておきたい事があります。それは 2017年の夏です、僕はイギリスのロンドンへ引っ越しする事になります。今にして思えば、それは大きな人生の分岐点でした。 時がくればわかると思います。
最後にひと言、74年間生きてみて思ったのは「自分の人生の主役は自分じゃなきゃ」ってこと。それでは、またいつか。これから先の人生も精一杯たのしんでください。

中原淳 - 2049年の天国にて

投稿者 jun : 2007年12月12日 07:00


結局、論争になっていなかったのですね・・・

 今日は、1年生~2年生向けの学部授業「学力論」で、グループ発表の日。グループ発表のテーマは、2000年に教育界で巻き起こった「学力論争」の全体像を把握し、その議論の問題点を指摘するという内容である。

 先日、公開デモを行ったe-journal plusという読解支援ソフトウェアを使って、学力論争を読み解くことが課題となっている。

e-journal plus
http://mainichi.jp/life/electronics/news/20071130mog00m100081000c.html

ejournal_interface.jpg

 ---

 発表では、非常によいところに気づいているグループもあって、少し驚いた。通常、学部1年生~2年生は、与えられる文献をあまり疑うことなく読んでしまいがちであるが、そのグループの読みは、批判的で大変よかった。

 学力論争は、学力を「不可視で多義的で標準テストでは測定できないもの」と捉えるグループと、「可視で一義的な標準テストによって測定できるもの」であると捉えるグループの間でおこっている、ということを指摘していた。わずか17の専門文献から、そのことを読み解くとは、非常に鋭いと思う。

 帰り際、ある学生がもらした一言が印象的であった。

「学力論争といいますが、"論争"になっていなかったのですね」

 まことに耳の痛い話である。そして、このことが、僕自身がもっとも気づいて欲しいことであった。

 さらに思考を一歩進め、なぜ論争にならなかったのか。そして一国の教育政策を論じるのであるから、せめて「論争」にするためには、どんなプロトコールを両陣営が築くことが必要なのか。ぜひ、考えて欲しいと思った。

 ---

 授業は、次回以降、いよいよ感動!?のフィナーレに向かう。

 学生たちが自分たちで設定した

 学力と貧困
 学力とゆとり
 学力と行政

 というテーマに基づき、「日本の教育のあり方」を提言してもらう。どんな意見がでるだろうか。楽しみである。

 未来の教育は、どこぞのエライ人とか、どこぞの経営者とかの新春大放談の中にあるものではない。
 言説空間を批判的に読み込み、批判的に思考できた人の手によって、自由に提案され、討議されるべきものである。

投稿者 jun : 2007年12月11日 20:02


フロントランナーの孤独

 本学の小宮山総長が、ご著書!?の中で下記のようなことをおっしゃっているらしい。先日お会いしたある先生から聞いた。聞いたままなので、細かいところは間違っているかもしれないが、下記に述べる。

 新しいものが受け入れられる4段階

1.新しいことを提案すると、人は必ず「それは誤りだ」と言う
2.少し進みだすと「誤りではないが、できるはずがない」と言う。
3.できそうになってくると「できるかもしれないが、できても意味がない」と言ってくる
4.できるころには「やっぱり私の言ったとおりだ」という

 フロントランナーとは孤独である。

投稿者 jun : 2007年12月10日 20:02


Kendall Jackson Chardonnay (ケンダール・ジャクソン・シャルドネ)

 お子様の誕生日に奥様と一緒に愉しんでください・・・

 先日、M先生からいただいたワイン「Kendall Jackson Chardonnay(ケンダール・ジャクソン シャルドネ)」を飲みました。

kendall.jpg

 このワインは、僕がボストンにいた頃に、よく飲んでいたもの。なんだか思い出しちゃったよ。

 もう3年になるんだなぁ・・・。

 M先生、ありがとうございました!

投稿者 jun : 2007年12月 9日 23:53


できるMRを育てる:OFF-JTとOJTの連動をめざして(1月のLearning bar)

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Learning bar@Todai 2008

できるMRを育てる!:
OFF-JTとOJTの連動をめざして

2008年1月11日(金曜日)東京大学
=================================================

 2008年最初のLearning barは、日本ベーリンガー
インゲルハイム株式会社 事業企画本部 能力開発部
統括部長の早川勝夫さんをお招きいたします。

 日本ベーリンガーインゲルハイムは、循環器や呼
吸器用薬などを主力商品としたドイツの製薬メーカー。

 同社ではMRの営業生産性を向上させるため、ワーク
プレイスラーニングの視点を取り入れ、「OFF-JTとOJT
を連動させた人材育成」を2003年から試みています。

 その結果、2005年-2006年における売上、営業生産性
の伸び率は2年連続で業界第一位を記録するまでになり
ました。

 早川さんには

・OFF-JTとOJTをいかに融合させるか?
・それにはどのような障害があり、どう克服したのか?
・どのようなビジネスインパクトがあったのか?
・MRやマネージャからは、どんなフィードバックが
 あったのか?

 などについてご講演をいただきます。

 人材育成部の実施するOFF-JTと、現場で試みられるOJT
がバラバラに進行してしまうことが多い中で、日本ベー
リンガーインゲルハイムの試みは、非常に興味深い事例
です。

 参加をご希望の方は、下記の参加条件をお読みになり、
フォームに必要事項をご記入のうえ、12月31日までに
saka-atsu [at mark] nifty.comまでご連絡下さい。

 なお、応募多数の場合、〆切前でもお申し込みを
中止する場合がございます。どうぞお早めにお申し込み
ください。
 
     企画担当:中原 淳(東京大学・准教授)

※Learning bar / Cafe (Seriousを含む)は、
NPO法人 Educe Technologies主催、東京大学大学院
学際情報学府 中原研究室が共催の学術イベントです。
 
 ---

○主催
 NPO法人 EDUCE TECHNOLOGIES
 http://www.educetech.org/
 
 EDUCE TECHNOLOGIESは、教育環境の構築に
 関する調査、研究、コンサルティングを行う
 非営利特定活動法人です。
 
 企画担当
 副代表理事 中原 淳

 
○共催
 東京大学大学院 学際情報学府 中原淳研究室
 http://www.nakahara-lab.net/
 
 
○日時
 2008年1月11日(金曜日)
 午後6時00分より午後9時00分まで
 
 ※時間が限られておりますので、定刻通り
  に始めます。本郷キャンパスは意外に
  広いです。くれぐれも、迷子になりませんよう
 
 
○内容(案)

 □開場
 (5時30分)
  ・今回のLearning barでは、ソフトドリンク、
   ビール、ワイン等の飲み物ののみご用意して
   おります。食べ物はご自由にお持ち込み下さい。
   パン、サンドイッチ、おにぎり、など簡単な食
   事をお持ち込み下さい。
 
   モツ鍋とかジンギスカンは勘弁してください。
   皆さん、食事を持ち込みます。絶対にお腹が
   すくので、何かもってきてください。

 □企画趣旨説明
 (6時00分-6時15分)
  ・中原 淳(東京大学)

 □講演前半
 「ワークプレースラーニング
   :OFF-JTとOJTの連動による営業生産性の向上」
 (6時15分 - 7時15分)
 (25分講演+5分質疑)×2セット
  ・早川勝夫さん(日本ベーリンガーインゲルハイム)

  営業生産性を向上することは、企業の優先課題の一
  つであり、そのことは製薬業界でも同様です。

  このたび日本ベーリンガーインゲルハイムでは、OFF-JT
  とOJTの双方を融合し、実行する仕組みを確立しました。
  このことで、知的生産性が向上し、営業社員の行動
  変革につながりました。

   - 15分トイレ休憩 -

 □コメント
  (7時30分 - 7時50分)
  ○長岡健先生(産業能率大学:打診中)
   ・・・組織社会学の視点から(20分)
 
 □ペアディスカッション
 (7時50分 - 8時15分)
  お隣2名 - 3名程度で自己紹介をし、25分間
  ディスカッションをしていただきます 
 
 □全体質疑応答
 (8時15分 - 8時40分まで)
  講演者をまじえ、質疑応答を行います

 
○場所
東京大学 工学部2号館 9F 93B
大学院情報学環 教室
http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_04_03_j.html 

地下鉄丸の内線本郷三丁目駅から徒歩15分程度
地下鉄南北線東大前駅から徒歩10分程度
 
 
○参加費
 2000円(一般・学生)
 (講師招聘費用、講師謝金、飲み物、運営費等
  に支出いたします)
 
 
○参加者
 参加をご希望の方は下記のフォームをご利用のうえ、
 saka-atsu [at mark] nifty.comの
 メールアドレスまで、お申し込みをお願いします。


○食事
 ソフトドリンク、ビール、ワインなどの飲み物を
 準備いたします。
 パン、サンドイッチ、おにぎり、弁当など、ぜひ、
 簡単な食事をお持ち込み下さい。

 
○参加条件
 本ワークショップの様子の写真、NPO Educe Technologies、
 東京大学 中原研究室が関与するWebサイト等の広報手段、
 講演資料等に用いられる場合があります。
 参加にあたっては、上記条件を許諾いただける方に限ります。

 欠席の際には、お手数でもその旨、
 saka-atsu [at mark] nifty.com
 までご連絡下さい。
 人数多数のため参加をお断りしている場合には
 繰り上げで他の方に席をお譲りいたします。
 
 
〆ココカラ=======================================
 参加申し込みフォーム
 saka-atsu [at mark] nifty.comまで
 12月31日までにお申し込み下さい

-------------------------------------------------

 上記参加条件のもと、参加を申し込みます。

氏名:(            )
フリガナ:(          )
所属:(            )
メールアドレス:(       )

〆ココマデ=======================================

投稿者 jun : 2007年12月 8日 07:00


共働きの子育てとは「システム」である

 何とか「ヤマ」をこえた。

 タクトは以前お腹の調子はよくないが、発熱と極度のゲリは「ヤマ」を超えた。カミサンは働き始めて1週間がたった。体調は本調子とはいかないが、何とか持ちこたえたようだ。僕も、一時は発熱、体調不良に悩まされたが、かなり元気になった。

 ふぅ・・・。

 皆様、お騒がせしました。
 いろいろな会議、会合に、ずいぶんと「穴」を開けてしまったことをお詫びします。申し訳ございませんでした。

 ---

 今回、結局、奈良の妻の実家のお母さんにきていただき、いろいろとお手伝いいただいた。

 共働きの家庭で、自分たち以外に子どもを見ることのできる人が1人いていただけるというのは、こんなに助かることなのか、と痛切に感じた。ありがとうございました。

 ---

 今回の風邪騒動をきっかけに、我が家の子育てシステムも、もう少しロバストに構築しなおさなくてはならない、と感じている。ユーリア=エンゲストロームは、アクティヴィティシステム理論の中で、「システム内に生じた矛盾が、システム発展の原動力である」と述べた。今回の一件は、家族がより幸せになれる「きっかけ」にせねばならぬ。

 局所的に生じたブレークダウンを、全体システムに波及させないための、セーフティネットをいかに準備しておくか。そして、万が一のブレークダウンのために、いかにリダンダンシーを確保しておくか。

「共働きの子育て」とは「システム」である。

「誰か」に生じたブレークダウンは、必ず、家族の「誰か」に波及する。「誰か」に「余裕がなくなれば」、誰かが「苦しむ」。反面、「誰か」に心の余裕が生じれば、それは全体に波及する。
「家族の誰一人」として「ひとり」ではない。すべては「つながっている」。

 以前、僕は、子育てにあたっては「家族みんなのハッピー度」を極大化するように、我が家の意思決定を行う、と書いた。

家族みんなのハッピー度
http://www.nakahara-lab.net/blog/2007/02/post_759.html

 家族みんながハッピーになれるシステムとは何か?
 「モデルなき模索」は今日も続く。

投稿者 jun : 2007年12月 8日 06:30


そう、親である<あなた>が試されている!?

 昨日、某大学で、小学生になる子どもをお持ちの大学院生さんたちと喋っていたら(先輩ママたち)、オモシロイことを聞いた。

 僕は首都圏の出身でもないし、当然、小学校受験をしたこともないので知らなかったけれど、その方々曰く、「小学校のお受験で実際に測られているのは、親の教育力ではないか?」ということだった。

 もちろん、「測られている」といっても、「親力尺度」みたいのがあるわけじゃない。試験問題自体は、子どもの年齢の発達段階からすると「少し上の課題」が設定されることが多いらしい。当然、試験に回答するのは「子ども」である。

 たとえば、小学校受験であれば「お話作り」や「余りがある割り算」などが出題されるという。

 お話作りでは、4枚のカードがわたされ、そこに描かれている主人公の顔の様子、情景描写などから、起承転結のある首尾一貫した作話を行うことが求められることがあるそうだ。

 余りがある割り算は、たとえば、「16枚のおせんべいを3人でわけたら、1人何枚ずつ配ることができ、何枚あまりますか」といったもの、だそうだ。いずれも、小学校低学年から中学年くらいに学ぶことが適当とされる教育内容である。

 しかし、「お受験」ではこれらの「難しい問題」を、敢えて出題するのだという。発達段階的には難しいとされる教育内容を、いかに子どもに教えることができるか。親を試すためにである。
(このあたりは階層の再生産や文化資本の話が当然関係してくる。しかし、このエントリーでは、敢えてそこには焦点をあてない)

 「ややこしい内容」を子どもに教えるためには親に忍耐力が必要だ。また、子どもとよい関係を築いていることも必要である。また、子どもをノセる技術があることも必要だし、難しい概念を簡単にパラフレーズする力が求められる。

 かくして、お受験をめざす子どもたちが通う塾では、子どもの授業のあとに、親を対象にした授業が設定されることが多いとのことであった。

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 以上、僕が大学院生さんたちから聞いた内容は、僕自身に経験がないこともあり(親としても子としても受験を経験したことがない)、どれだけ一般性があることかはわからない。

 でも、話を聞いていて「さもありなん」という気はした。もし仮に僕が有名小学校の先生なら、同じことをするだろうから。

 僕だったら、幼児の段階で個人の「アタマの回転のよさ≒認知能力」を問うても、あまり「将来の才能開花」を予測する変数としては意味をなさないだろうな、と考える。
 それよりは、子どもの認知能力を伸ばせる親なのかどうか、親には教育力があるのかどうか、家庭環境はしっかりしているかどうかを問うた方が、よっぽど予測可能性が高い。

 もちろん、上記は仮説である。しかし、

 テストでホントウに「測られているもの」は何か?

 を考える題材としては、なかなかオモシロイ。

 そう、その試験では、「子ども」ではなく、親である<あなた>が試されている。

投稿者 jun : 2007年12月 7日 09:35


なりきりEnglish!が毎日.JPに掲載されました!

 なりきりEnglish!が毎日新聞のWebに掲載されました。

なりきりEnglish!:東大開発中の教材で聴く力を鍛える
http://mainichi.jp/select/wadai/everyone/news/20071206mog00m040068000c.html

 今週土曜日、いよいよ最終ワークショップです。
 今年度のプロジェクトフィナーレまで、残り2日!

投稿者 jun : 2007年12月 6日 22:55


ここはオマエのくるとこじゃねー

 某大学にて。
 教職員講師控え室で、ズズズと緑茶を飲んでたら、怒られた。

 「ここは学生は利用しちゃダメでしょ」

 確かに「学生みたいな格好」してたけどさ。
 ぷぅ。

投稿者 jun : 2007年12月 6日 17:00


PISA2006に想う:ランキングのもつパワー

 ここ1週間ほど、教育関係者と会議などで会うたびに話題になることに「PISA2006の結果」があります。新聞やテレビなどで、すでに報道されているように、PISA2006の日本の結果は、

 数学的リテラシー 6位→10位へ
 科学的リテラシー 2位→6位へ
 読解力      14位→15位へ

 と軒並みダウンする傾向にありました。

 これに対して、文部科学省は、数学的リテラシーは「平均より高得点グループ」、科学的リテラシーは「上位グループ」、読解力は「OECD平均と同程度」というコメントを発表しているそうです。

 相変わらずマスメディアでは、いろいろな識者が「やれ時間数を多くするべきだ」「ゆとり教育の弊害だ」「フィンランドにならうべきだ」というコメントを発表しています。

 やれやれ・・・ちょうど3年前と同じ感じでしょうか。
 あの当時の光景がフラッシュバックします。

 今、東大の教養学部で、僕は「映像で見る学力論」という授業をやっていますが、そのまま「ここ数日の教育言説空間」を「生きた教材」にしたいくらいです。

 個人的にはもう少し、

1) PISAでは何が測られているのか?
  =リテラシーという概念のもつ意味
  =PISAのいう「学力」の意味

2) 1)が日本の教育に本当に必要なのか、必要でないのか、という議論

 に焦点があたって欲しいと思うのですが、そういう「ややこしいこと」は、専門の授業でやりましょう。

 多くの場合、言説空間を制するのは「正しいこと」を言っている人ではありません。内田樹さんではないですが、モノゴトを「正しい」と「断言」できる人の意見こそが、言説空間を制し、人々を納得させます。だって、難しくてごちゃごちゃしていることを、わかりやすく、「ばばーん!」と示してくれるから。

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 それにしても、ちょっと話はズレますが、ランキングのもつパワーというのはスゴイですね。
 PISAは学術的観点からいっても、「よー、そこまで面倒くさいこと、やるわ、アンタラ」と思えるような「厳密な手続き」で国際比較調査をやっていますが、そこでつくられた「ランキング」のもつインパクトには、驚愕せざるをえません。

 もちろん、「PISAは西欧中心主義的だ」「PISAは非西欧圏の文化に関してあまりに配慮が足りない」という批判があることは知っています。それでも、そういうバイアスがなるべくかからないように、「うそー」というくらい面倒くさい手続きで、問題をつくっていることには、アタマが下がります。

 文部科学省は、PISA発表から一夜あけて、新学習指導要領が理数系のみ前倒しで実行することを決めたそうです。一国の教育政策に対して、一夜のうちに変更を迫るのだから(実際はもっと前から決まっていたと思いますが)、そのもつインパクトには舌を巻いてしまいますね(よいことか悪いことかは別にして)。
 教育学者や識者がいくら研究しても、どんなに発言しても、悲しいかな、ここまでのインパクトはありません。

 中にはこういう現実に対して「ランキング結果が一人歩きするので危険だ」と危惧する識者もいます。

 でも、マーフィーの法則ではないですけれど、僕なんかはこう思います。

 「もれなく一人歩きするものがランキングなのです」

 複雑な事象を目の前にしたとき、人は、その現象を何らかの基準に照らして整序し、わかりやすくしようとします。別の言い方をすれば、認知的負荷を下げるようなメソッドを考案する。
 そうやってつくられた序列は、そこで指し示されている内容を代表する指標として、人々の間で語られていきます。

 そして、あるクリティカルマスを超えてその基準が受け入れられたとき、序列は絶対的なもののように人々の目にうつるようになるのです。

 ですので、「一人歩き」するものがランキングなのです。そして一人歩きしたランキングのもつパワーはすさまじい(クドイけれど、よいことか悪いことかは別にして)。

 ちょっと前に発表された「ミシュラン」でも、そのことはわかるでしょう。各国の複雑な味わいをもつ料理を「星」で代弁する。そして、「星」の数はいつしか絶対的基準のように思われる。先日の日本版ミシュランで三つ星を受けたある店は、2年先まで予約が埋まったんだとか。

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 ちなみに、ここまで「ランキング」にのべながら、僕としては、正直にいうと「総合ランキング」にはあまり興味はありません。重要か、重要でないか、というより興味がないのです。

 一方、たとえば「日本の子どもたちが不得意な問題傾向」とは何か、ということには、結構興味があります。

 僕も精緻に結果を分析したわけではないので無責任に言い放ちますが、たとえばPISA2003では「不確実性」課題というのが、日本人の正答率が低かったのですが、今回はどうだったんでしょうか。

 あるいは、正答率の低い問題というのは、具体的事象から一般的なルールを導く問題だったのでしょうか、それとも、一般的ルールを具体的事象に当てはめる問題だったんでしょうか。

 そのあたりの個別の出来、不出来が - どちらかといえば「ややこしいこと」が気になります。

 もちろん、それをもって、「だから日本の教育は悪い」とか「フィンランドにならうべき」と言いたいわけではありません。純粋に認知的に興味がある、というだけです。

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 ともかく、PISA2006の結果を受けてしばらく教育業界は話題に事欠かないでしょう。そして、今日もランキングは「一人歩き」しています。

 今こそ、PISAを考える人々の間に、PISAを読み解くリテラシー、PISAの提案する読解力や科学的リテラシーが必要になっているのではないか、と思います。

投稿者 jun : 2007年12月 6日 10:53


学習者中心主義!?

 学部時代の指導教員だった佐伯先生からのご依頼で、辞書の項目のひとつを執筆している。僕が担当するのは、「学習者中心主義(Learner-Centered)」。

 しかし、これがなかなか苦労する。つーか、もう締め切りはとうに終わっているんだけど、まだ片付けることができないでいる。
 というのは、学習者中心主義とは、いろんな価値や考え方を含む考え方であり、学会として「定訳」がないからである(言い訳)。

 少なくとも僕が知っているLearner-Centeredには、3つくらいの意味があるように思う。

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 まずひとつめの意味は、Communications of ACMでの「学習者中心の教育特集」での定義。
 この定義において、Soloway & Pryor(1996)らは、コンピュータと人間の関係(human-computer interaction)を下記の3つに分類している。

1.技術中心主義(technology-centered)
2.ユーザ中心主義(user-centered)
3.学習者中心主義(learner-centered)

 彼らによると、これからのコンピュータと人間の関係に求められるのは、人間が技術の進展の恩恵を一方向的に享受する「技術中心主義」でもなければ、技術を使いこなすことを要求する「ユーザ中心主義」でもない。

 これからのコンピュータと人間のあり方は、「学習者が相互に学びあうことを媒介するあり方」に変わるべきだとしている。これが「学習者中心主義」ということになる。

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 もうひとつの定義は、いわゆる「子ども中心主義(Child-Centeredness)」にスカーダマリア&ベライターの「知識構築(Knowledge building)」をかけたような定義である。佐伯先生の「新・コンピュータと教育」に書いてあった定義も、ほぼこれに同じである。

 この定義においては、学習者中心主義は、「知識は人から与えられるのではなくて、学習者自らが作り上げるものなのだ」といったような教育価値として理解される。

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 最後の定義は、認知心理学風というのか、学習科学的というのか - この定義によれば学習者中心主義とは「学習者がすでにもっている知識や技能を十分把握しつつ、学習環境を組み立てなければならないよ」というデザイン原則として理解される(Bransford, Brown and Cocking 2000)。

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 うーん、悩ましい。

 辞書なんだから、素直に、こんな風にいろんな定義がありますよ、と書けばいいんだろうか。ともかく、今日には原稿をあげなくては。

投稿者 jun : 2007年12月 5日 09:07


果てない「あやとり」

 体調悪い・・・。

 親子間での風邪の「うつしあい」は、果てない「あやとり」のように続いています。もうダメポ。

 我が家の風邪に対する予防策は、1)手洗い、2)アルコール殺菌消毒、3)うがい、と完璧なハズなのです。しかし、いったん「内部」に入ってしまうと、連鎖しますね。看病してるとイヤでも浴びるからね、咳とか。

 インフルエンザ、過去20年で最速の流行だそうです。皆さん、気をつけてね。

朝日新聞
http://www.asahi.com/life/update/1204/TKY200712040202.html

投稿者 jun : 2007年12月 4日 16:32


我が家のちょっとした記念日

 今日は「記念日」でも何でもない。しかし、我が家にとっては、ちょっぴり「意味のある日」である。

 今日からカミサンが1年間の産休を終え、「現場」に復帰する。先ほど、久しぶりに「外行きの服」をきたカミサンを見た。今日は職場にすこし早くいって、挨拶回りをするんだという。

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 今日から、我が家の「子育て」は「フェイズ2」に入る。産休での子育て」がフェイズ1だとすれば、これからの子育てこそ「共働きの子育て」である。

 振り返ってみれば、これまで我が家の家事、子育ては、そのほとんどが産休中のカミサンが担ってきた。
 もちろん僕も何もしなかったわけではない。しかし、一方が仕事で一日の大半を外で過ごしており、一方が家にいるということになると、その割合は自ずと激しく偏ってしまう。

 もちろん、多くの産休を経験した人が言うように、「外に出て働いている方」がよっぽど楽である場合もある。我が家においても、それはきっと当てはまっていたことだろう。

 しかし、今日からはそうはいかない。ともに働きながら、ともにこの子を育てなければならない。その決意の果てに、どんな生活が待ち受けているのか、どんな役割分担をしなければならないのか。何が変わって、何を変えなくてよいのか。今の僕には、全く想像がつかない。とにかく、やるしかない。

 ともかく、1年間の産休は終わった。「産休」といっても、全く「休み」にはならなかったことと思う。お疲れ様でした。ありがとう。

 子育てとは「喜び」である。
 しかし、それは同時に「エンドレス」である。

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追伸.
 TAKUZO、熱は下がったけれど、今度はゲーリーです。ゲーリーといいましょうか、ほとんど「ウン●水」ですね。ロタウィルス?

 保育園には行けないので、今日は一日、僕が看病。

 会社にいくママを見送るとき、最初は「キョトン」としていたのですが(きっとママが外に出かける意味がわからなかったんだろう)、次第にわかってきたのか、ワンワン泣きました。

 30分ほどメソメソと泣きはらしたあと、今度は「イタズラ大会」です。今は、僕のパンツを引っ張っている。オヤジのパンツ脱がしてどうする。

 これから洗濯やって、掃除機かけて、病院連れて行く。
 あっ、今度は、オレの眼鏡を「しばき」はじめた・・・アホ、壊れる!
 
 それではまた!

投稿者 jun : 2007年12月 3日 09:29


東大マイクロソフト寄附研究部門:読解力育成ソフトウェア「e-journal plus」を公開

 金曜日の公開デモ授業の様子が、毎日新聞Web「毎日.JP」ほかに掲載されました。

朝日新聞
http://www.asahi.com/digital/bcnnews/BCN200712040014.html

東大:読解力育成ソフト「eジャーナルプラス」を公開(毎日.JP)
http://mainichi.jp/life/electronics/news/20071130mog00m100081000c.html

PC Watch
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2007/1207/config187.htm

マイコミジャーナル
http://journal.mycom.co.jp/news/2007/12/01/001/index.html

BCNランキング
http://bcnranking.jp/news/0712/071204_9191.html

日経BP:タブレットPCを使って「文献を批判的に読む訓練」,東大が授業を公開
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20071203/288650/?ST=win

 望月先生西森先生をはじめとして関係者の皆様、本当にお疲れ様でした!

投稿者 jun : 2007年12月 2日 22:47


IT企業・高業績プロジェクトマネージャの仕事の特徴

 先日、東京大学教育学部で開催された研究会に参加した。O先生、M先生らと一緒に、I先生の研究発表をうかがった。

 発表内容は「IT企業の高業績プロジェクトマネジャーと中業績プロジェクトマネージャでは、仕事の仕方がいかに違うか?」というもの。いわゆる熟達化研究におけるノービス=エキスパートパラダイムである。

 ここでいうプロジェクトマネジャーとは、すでにシステム開発というドメインにおいて、十分に「技術的熟達」をとげている人のことをさす。

 プロジェクトの中の「一兵卒」とは異なり、プロジェクトマネジャーは、周囲から

 1)多数のメンバーとコミュニケーションをとりながら
 2)リスクを探索・発見し、対応策をとり
 3)かつ必要な資材をコストの範囲内で調達する

 という「不良定義問題(ill-structured problem)」を解決することを求められている。それでは、高業績のプロジェクトマネジャーは、これにどう対処(cope with)しているか。

 この研究仮説に対して、I先生らは、実験心理学的な手法を用いてアプローチしていた(かといって、サイコメトリックな手法でもない)。これが非常に印象的だった。研究知見、研究方法論ともども大変勉強になった。

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 熟達化に関しては、今、大学院ゼミでハンドブックを購読しているけれど、結局、現在の研究の主眼は、1)Perceptual-Motor系、2)スキル系などのシンプルな技術的熟達をいかに超えるか、ということにうつってきているように思う。

「ビジネス」という複雑で不良定義問題だらけのコンテキストでの熟達化研究も、こういう研究潮流の延長上に位置づけられるだろう。

 ますます、この分野がオモシロク感じられた。

投稿者 jun : 2007年12月 1日 07:00