それって何が新しいの?:組織と言葉

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 組織には、その組織ならではの「特徴的な語り方」というのがある。組織構成員がよく使う「フレーズ」といってもいいかもしれない。

 ここで突然、問題.
 下記の語り方は、どの企業の人がよく使うものでしょうか?

 「それって何が新しいの?」

 「オマエは何がしたいの?」

 「なぜ?」

 ・
 ・
 ・
 ・
 ・
 ・
 ・

 答え
 「それって何が新しいの?」=ソニー
 「オマエは何がしたいの?」=リクルート
 「なぜ?」=トヨタ

 だそうです。先日、ある方から教えてもらいました。

 たとえば新しく企画書を書いて上司に提案したとき、ソニーであれば「それって何が新しいの?」と聞かれる。リクルートであれば「で、オマエは何がしたいの?」と問われる。トヨタであれば、「なぜ?」を5回つきつけられる。

「問われていること」に本質的な差はないのだけれども、それぞれ微妙に「言い回し」が違い、そのあとに「考えなければならないこと」「やらなければならないこと」が違う。この微妙な違いが、大きな差となる。

 これは仮説でしかないけれど、組織における頻出フレーズは、「人材育成」と密接な関連をもっていると思われる。「その会社らしい人」を育てることに、一役買っているのではないか、と。

 誰が、どのような言語を、どのような場面で頻繁に利用するか、という観点から、組織文化と人材育成に切り込んでいくことはできないか、と昨日思いついた。

 ある「言い回し」にこだわって、その「言い回し」が使われる文脈を調べていくと、オモシロイことがわかるのではないか。「人を育てること」の様々な局面で、そのような「言い回し」がどのような機能を果たしているか、を調べることはできないか。できれば、一定期間参与観察をして、エスノグラフィーを書けるといい。

 オモシロイ研究、思いついたんですけど、どうでしょうか?

 「それって何が新しいの?」

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投稿者 jun : 2007年8月31日 08:23


まだ半分か

「The Cambridge Handbook」というのは、「マルチメディア」「思考と推論」「熟達」「学習科学」の4分冊だったのですね。きょう、同僚に教えてもらいました。後者2冊は読みましたが、前者2冊は知らなかった。早速注文しました。

  

  

 これだけまとめて重要論文が読めるシリーズというのも、なかなかなさそうですね。後期の大学院ゼミでは「熟達」を読みます。

投稿者 jun : 2007年8月30日 18:33


大学院入試&安田講堂の下見

 大学院入試の真っ最中です。本郷に拉致監禁。入試は受験する方も大変ですが、やる方も大変です。非常に気を遣います。入試委員の先生方にはアタマが下がります。

 入試面接の合間に、安田講堂の下見にいってきました。ワークプレイスラーニング2007の下見です。内部の施設は予想以上に立派でした。

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 先日、リノベーションをかけたそうです。僕は、久しぶりに(5年ぶり?)内部に入りました。今まで2度入ったことがあります。1度目は卒業式、2度目はシンポジウムでした。なかなかここに入る機会はないのですよね。

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 現在、ワークプレイスラーニング2007の参加希望者は、550名くらいです。そろそろ締め切りが近くなってきました。どうぞ、おはやめにお申し込みください。
 9月7日、安田講堂でお会いできますこと楽しみにしております。

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投稿者 jun : 2007年8月30日 11:00


ファカルティ・ディヴェロップメント2.0 ワークショップ

 下記、再掲です。ファカルティ・ディヴェロップメントのワークショップを9月21日東京大学で開催します。ファカルティディベロップメントに関しては、大学院に続き、学部の義務化が検討されています。要するに、「どの大学でも他人事ではなくなる」ということです。

 ファカルティディヴェロップメントは、従来のいわゆる「授業改善」を中核にすえたものでよいのでしょうか?それとも新しいカタチがあるのでしょうか? このワークショップでは、「望ましいファカルティディヴェロップメントとはどのようなかたちでなされるべきか?」を考えます。

 ぜひお越しください。

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(下記再掲)

 最近、ファカルティディヴェロップメント(FD)が注目を浴びていますね。大学学部、大学院での義務化の動きが急速に進んでいます。東京大学でも、今年から、俗称「FD部会」という全学組織をつくって、これに対応しようとしています。

 ところで、皆さん、「素人丸出しな質問」で恐縮なんですけど、

「FDって、そもそも何なのでしょうか?」
   ・
   ・
   ・
   ・
 「話をふっておいて、オマエがケツまくるんじゃない」と言われそうですが、ごめんなさい。本当に僕自身がわからなくなってきているのです。

 今年に入ってから、仕事の都合で僕もいろいろ勉強したり、レクチャを受けたりしているのです。が、正直にいいますと、僕には、これがだんだんとわからなくなってきました。

 一般には、FDというのは「個々の教員が、自分の授業をカイゼンする試み」だと理解されています。シラバスをつくったり、評価を実施したり、授業を撮影するなどして、とにかくPDCAのサイクルをまわし、「授業をカイゼンする不断の活動」だと理解されている。

 しかし、そのフィージビリティを考えた場合、それを「教室に限定される活動」として把握し、実施体制をつくることは、組織的、かつ、戦略的にコレクトなのだろうか、と思ってしまうのです。「素人考え」で恐縮なのですが、いくつか、それには理由があります。

 まず、FDを教室に限定された営みだと把握した場合、よいことか悪いことかは別として、多くの大学教員の目には、それは「新たな負荷」とうつるでしょう。「それでもやるんだかんね」と言うのでしたら、それでもいいのですが、困難と形骸化は容易に予想されます。

 また、それが教室に限定された営みだとするならば、そこで対象になるのは、「教員個人」です。でも、ここを教員個人の力量にまかせてしまってよいのだろうか、と思ってしまいます。

 また、さらにいうならば、そこに事務職員は関与しません。だって、教室は教員の専決事項だから。つまり、大学教員- 大学事務職員という二分法を受け入れることになる。

 でもね、教育は多くの場合、膨大な事務的ロジスティクスの制約を受けているのです。教育が変わるためには、大学のロジスティクスも変わる必要があります。

 どうも、僕には、そのあたりがひっかかるのです。先ほど「FDが教員個人の授業カイゼンだと把握することは、組織的、かつ、戦略的にコレクトなのか」と問うたのは、そのためです。

 むしろ、より大きな概念で把握し、大学教員も、事務職員も、多くの大学関係者が参加できる「場」として、把握することが重要なのではないか、と思うのです。

 簡単にいいますと、

「これからみんなで集まって、大学にとってよいことを、知恵をしぼって、ひとつずつ考えてやってきましょうや。そのひとつに教育もありますよね。」

 的な場であり、企てですね。

 で、こんなことを考えているときに、我が意を得たりと思う考え方にであったのですね。以前から知己のあった神保啓子さんが、FDを、実践共同体として把握する、ということをおっしゃっていたのです。

 ほんで、このたび、9月21日(金)、名城大学の神保啓子さんに無理をお願いして、「コミュニティ・オブ・プラクティスとしてのファカルティ・ディベロップメントの取り組み」というワークショップを開催させていただくことになりました。

 ふるってご参加いただければ幸いです。


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ファカルティ・ディベロップメント2.0ワークショップ

「コミュニティ・オブ・プラクティスとしての
 ファカルティ・ディベロップメントの取り組み」

2007年9月21日(金)午後6時から 東京大学

=================================================

 このたび9月21日、名城大学の神保啓子さんを
 お招きして

 「ファカルティディヴェロップメント2.0」

 というワークショップを開催いたします。

 神保さんには、エティエンヌ=ウェンガーの提唱
した「実践共同体」の概念をコアにした「ファカルティ
・ディベロップメント」の取り組みをご紹介いただきます。

 最近、ファカルティ・ディベロップメントの学部、
大学院での導入が、教育行政において検討されており、
関係者の注目を集めています。

 本ワークショップでは、一般の、いわゆる「授業のカイゼン」
を主としたFDとはひと味違った、「教育価値の共創を
めざす新しいFD」をご紹介いたします。

 ふるってご参加いただければ幸いです。

 なお、今回のワークショップは人数を40名に限らせて
 いただきます。

 今後のFDに関して建設的な意見交換の場となりますので、
 FDに関する経験や興味がある方のご参加を期待します。

 また人数が多数の場合は、抽選になる場合があります。
 その場合は、大学関係者を優先させていただきます。
 その際は、9月14日までに結果をお知らせさせていただきます。

 応募は下記のフォームをe-mailでお送りください。
 Looking foward to seeing you !

    企画担当:中原 淳
         Educe Technologies・副代表理事
         東京大学・准教授

 ---

○主催
 NPO法人 EDUCE TECHNOLOGIES
 http://www.educetech.org/
 
 EDUCE TECHNOLOGIESは、教育環境の構築に
 関する調査、研究、コンサルティングを行う
 非営利特定活動法人です。
 
 副代表理事 中原 淳


○共催
 東京大学大学院 学際情報学府 中原淳研究室
http://www.nakahara-lab.net/
 
 
○日時
 2007年9月21日(金曜日)
 午後6時00分より午後9時00分まで
 
 ※時間が限られておりますので、定刻通り
  に始めます。本郷キャンパスは意外に
  広いです。くれぐれも、迷子になりませんよう。
 
 
○場所
 東京大学 工学部2号館 9F 92B
 大学院情報学環 教室
 http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_04_03_j.html

 ※地下鉄丸ノ内線からは徒歩で20分はかかります
 本郷キャンパスは広いので、お早めにお越し下さい。 
 
 
○食事
 サンドイッチ等の簡単な食事と飲み物をこちらで
 準備いたします。
 
 
○内容(案)

 □開場
 (5時30分)

 □Learning barのご紹介と企画趣旨
 (6時-6時15分)
  ・中原 淳(東京大学)

 □ワークショップ開始(休憩15分を含む)
  1.コミュニティ・オブ・プラクティスを
    FDに適用する意味

  2.事例紹介とワークショップ
   コミュニティ・オブ・プラクティスをFD
   に適用している導入事例に基づき、
   FDマネジメントの視点で紹介

  3.コミュニティ・オブ・プラクティスFD
    の可能性と課題
  

 □ラップアップ
 (8時30分 - 8時45分)
  ・中原 淳(東京大学)

 
○参加費
 2000円(一般・学生)
 (講師謝金、食事代、飲み物代、資料代等に
  支出いたします)

 
○参加者
 参加をご希望の方は下記のフォームをご利用のうえ、
 sakamoto [at mark] tree.ep.u-tokyo.ac.jpの
 メールアドレスまで、お申し込みをお願いします。
 
 人数が多数の場合は、抽選になる場合がございます。
 その際は、9月14日までに結果をお知らせいたします。

○参加条件
 1.本ワークショップの様子の写真、NPO Educe
Technologies、東京大学 中原研究室が関与するWeb
サイト等の広報手段、講演資料等に用いられる場合が
 あります。参加にあたっては、この条件を許諾いただ
 ける方に限ります。

 2.申し込みはしていたけれど、参加が難しくなった
場合は、sakamoto [at mark] tree.ep.u-tokyo.ac.jpまで
 連絡をください。このところ、非常に参加希望者が多く
なっており多くの方のお申し出をお断りしているような
 状況が発生しています。
 一人でも多くの方に席をお譲りしたいと思います。

〆ココカラ=======================================
 参加申し込みフォーム
 sakamoto [at mark] tree.ep.u-tokyo.ac.jpまで
 9月7日までにお申し込み下さい
 
 人数が多数の場合は、抽選になる場合があります。
 その場合は、大学関係者を優先させていただきます。
 9月14日までに結果をお知らせさせていただきます。

 上記参加条件のもと、申し込みます。

氏名:
フリガナ:
所属:
メールアドレス:
FDとのかかわり:
(                       )

〆ココマデ=======================================

投稿者 jun : 2007年8月29日 07:39


映画「シッコ(SICKO)」 を見た!:薬指と中指、どっちをつけときますか?

 仕事中に事故で指を2本切断された大工。健康保険を持っていない彼に医師は聞く。

「薬指をくっつけるのは140万円。中指ならば720万円・・・」

 お金のない大工は薬指だけ接合することを選んだ・・・。

 50代の夫婦。数十年夫婦でまじめに働いたものの、晩年、夫は心臓発作、妻が癌を患った。彼らの入っているのは、保険料が安いかわりに、クオリティが低い保険。莫大な自己負担額のために自己破産。娘夫婦の地下室に引っ越すことを余儀なくされる。

 急患で救急車に乗る前にでさえ、保険会社への<事前申請>が必要である。<事前申請>がなくては、保険金が下りず、数十万の医療費を自己負担することになる。<事前申請>はいつ行えばよいのか? 救急車に乗る前? それとも急病で倒れる前?

 あるカナダ人が、バケーション中のハワイで倒れた。入院後、請求された金額は7200万円。

 病院に入院していても、保険がなく支払い能力のない人たちは、タクシーに乗せられ、ひそかに病院から追い出される。行き着く先は、貧民街のど真ん中。検査着のままタクシーから引きずり下ろされる。「お大事に」

 ---

 アメリカの医療制度を糾弾するマイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画「シッコ(SICKO)」を見た。

シッコ(SICKO)
http://sicko.gyao.jp/

「ボウリング・フォー・コロンバイン」では「銃社会」に、「911」では「ブッシュ大統領とイラク戦争」にかみついたマイケル・ムーアーの最新作。

「アメリカの医療制度は、ビョーキ(SICKO)だ、イカれてる!」

 と吼える。

 よく知られているように、アメリカには「国民皆保険制度」はない。個人はそれぞれ自分の責任で民間保険会社の保険に加入することになっている。この結果、アメリカ国民の6人に1人は無保険で、毎年1万8000人が治療を受けられずに死んでいく。

 しかし、「シッコ」が告発するのは、「無保険者」の問題ではない。「ちゃんと民間保険に入って、高額な掛け金を払っていたのに、病気になって支払いの段になったら、保険会社に難癖をつけられ支払いを拒否される人が、後をたたないこと」である。

 つまり、こういうことだ。
 保険会社は民間営利企業である。民間企業であるということは、彼らの至上命題は利潤を上げることである。そのためにはどうするか?答えは簡単。患者に支払う保険金はなるべく少額に抑えればよい。

 アメリカでは、医者は、必ず患者に処置を行う前に、保険会社に連絡をして、「その治療をやって、保険料の請求が認められるか、どうか」を判断してもらわなくてはいけない。保険会社はこのシステムを利用する。

 あの手この手を使って、いやいや、難癖をつけて、保険請求を退けるのだ。

「その治療は実験的である(experimental)」
「その治療は、医学的に不必要である(medically unnecessary)」

 保険会社に雇用された医師たちが、これらの判断を下す。彼らには一律でノルマが科せられており、患者の保険請求を却下すればするほど、ボーナスがもらえる仕組みになっている。

 Deny! Deny! Deny!

 かくして患者のもとには、「否認状」が送られる。

 中には、本来必要な処置ですら、保険請求を認めない場合もある。現場の医師の判断は無視され、保険会社がすべてを決める。

 医師がガンだというのに、「患者の年齢でガンはありえない」として保険請求を却下したりする事例もある。
 骨髄移植で命が救われるかもしれない重病の夫。骨髄のドナーが見つかったと大喜びしていたのもつかのま、保険会社は保険料の支払いを拒否。なかなかお金が支払われないままに、夫は死んでしまう。

 こうした悲劇があとを立たない。

 ---

 僕は医療の専門家ではない。故に、この映画で取り扱われている内容に、どの程度バイアスがかかっているかは知らない。もちろん、お笑い映画ドキュメンタリストのマイケル・ムーアーのこと。彼の「突撃アポなし取材」で提示される<事実>をすべて信じるほど、僕はナイーブではない。

 しかし、この映画は、医療が「市場化」したときに起こるであろう「最悪のシナリオ」を、見事に描ききってくれる。それは「金のある人はよい医療が受けられる、金のない人は医療が受けられない」というレヴェルのものではない。

 <待ったなしの医療の現場>が、プロフェッショナルである<医者>が、そして力を持たない<弱い患者>が、民間保険会社に「隷属」せざるを得ない社会である。

 保険を民間営利企業にまかせることは、<医療>を民間に任せることとほぼ同義である。医療費が、個人の支払い余力を超えるような高額になっている場合には、保険会社がすべてを牛耳ることになる。ここが「すべての問題のはじまり」である。

 民間保険会社は、自分たちに都合のよい法律を通すため、ロビー活動を行う。政治家は多額の献金を受け取る。中には、保険業界のトップに天下って、年収2億円を受け取る強者もいるというから驚きだ。かくして、医療の現場は変わらない。苦しむのは、いつも「弱い立場にある患者」である。

 現在、日本でも「医療構造改革」が進んでいる。日本のそれは、アメリカのそれとは少し性格を異にする。しかし、その根底には、アメリカと同じ「市場原理の導入」という発想がある。しかも、生命保険の不払い問題が表面化するなど、日本の保険会社も、様々な問題を孕んでいる。危険がないわけではない。

 「シッコ」が描く医療現場の姿は、他人事ではない。明日は我が身。
 数十年後、高額医療費で家を手放さざるを得なくなるなるのは、私たちかもしれない。

投稿者 jun : 2007年8月28日 07:00


弁護士でも就職難?

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 朝日新聞によると、今年度の「司法修習生の一部が就職難に陥っている」らしい。

司法修習生、就職先未定が100人超す
http://www.asahi.com/national/update/0826/TKY200708260131.html

 新司法試験の影響で、これまで年間500名程度であった司法試験合格者が年々増加。昨年度は1500名が就職活動を行っている。悲劇的なのは、今年はさらに1000人増え、2010年には3000人になるらしい。就職難はさらに深刻になることが予想される。

 もちろん、こうした事態が起こることは、法曹界は最初から「わかっていた」。2007年問題として認識されていたそうだ。「一部の弁護士が路頭に迷うことをわかっていても、やった」のだから、当然、「それでも、変えたいsomething」があったのだろう。そのあたりは、専門ではないので、よくわからない。

 それにしても、興味深いのは、この後、どういう事態が起こるのだろうか?、ということである。これは「資格効用とその影響」という意味で、教育学的な「問い」でもある。

 僕は「占い師」でもないし、そのスジの「専門家」でもないので、無責任にシロウト考えを述べると、予想できるシナリオはいくつかある。

 1)資格を「もつこと」の価値が相対的に下がる
 2)一時的な就職難が発生する

 3)今まで弁護士が体験してこなかった雇用形態が出現する
 4)弁護士の職務が広げ、仕事をつくるようになる

 5)弁護士間での序列や待遇の格差が高まる
 6)大手ファームが形成される
 7)弁護士業界内部の競争が激化する

 8)過去にどの「事件」をあつかったのか、という
  「業績」が能力表示の指標として用いられるようになる

 まず、1)はそのままである。マーティン=トロウではないけれど、量的拡充は質的変化をもたらす。弁護士資格が「無意味化」することはありえない。が、その価値は相対的に下がるのではないだろうか。その結果、2)で指摘したように、一時的にではあるが、就職難が発生することもありうる。

 しかし、需給曲線ではないけれど、その資格の価値下落も「一定のポイント」でとまるのではないだろうか。どんなに価値が相対的に下落しようとも、広い世の中、「この値段なら、買う人」が、誰かはいるからである。弁護士資格の場合、「資格とかけて"足の裏のご飯粒"ととく・・・・その心は? 取らないと気になるが、取っても食えない」というような状況にはならないのではないかと思う。

 そうすると、3)今まで弁護士が弁護士が体験してこなかった雇用形態で働く弁護士というのがでてくるのではないか、と思う。さらには、4)「食う」ために、弁護士資格をフルに利用して、これまで弁護士がしてこなかった「仕事」にまで、手を伸ばす可能性が高いのではないだろうか。
 この状況は、就職氷河期の「大学生の就職」と似ている。それまでの大学生ならば就職しなかったような業種に、様々な雇用形態で、就職する学生が増えてくる。

 たとえば、司法書士、行政書士などの法律関連の職務は、すべて弁護士資格で業務が遂行できるらしい。弁護士の量的拡充は、「関連する職種」「関連する資格」のサバイバルに影響を与える可能性がきわめて高い。

 次に、容易に予想されるのは、5)弁護士間での序列や待遇の格差が高まることである。

 要するに「フェラーリをのりまわす弁護士」と「サラリーマン弁護士」という二つの弁護士がでてくるのではないだろうか。長期的には二極分化も進むような気がする。そのような中で、資本の集中もすすみ、6)大手ファームのような大資本が形成される。

 7)弁護士業界内部の競争は、どんどん激化していく。より「上のステータス」をめざして、弁護士が大競争を演じる場面というのがでてきそうである。弁護士の「競争」は、「過去にどういう案件をあつかったか」「どのような弁護士事務所にいたか」で決まるような気がする。

 もちろん、これらの大変革の主人公は、「新制度の弁護士」である。法曹界には、一時的に「旧制度の弁護士」「新制度の弁護士」という2つのラベルが流通し、前者は後者を「価値の低い資格」として差別化する傾向が強まるのではないだろうか。大競争時代にあって、みんな「食っていかなければならない」のだから、そのくらいはする。

 新制度の「移行」は、旧制度の弁護士がマジョリティではなくなり、新制度の弁護士が日弁連の要職につくまで完成しない。「変革」とは、そのくらい時間がかかるものではないか、と思う。

 以上、これからのシナリオを勝手に「大放談」した。どのようにそれが進展するかはわからない。

 しかし、ひとつだけ勘弁してほしいことは、どこぞの国のように、「食うために、無意味な訴訟を増やすこと」だけである。法曹界でもない、一市民の僕としては、それだけが気になる。

「オレが太ったのは、マクド●ルドのせいだ」とか、「夫のキスの味がマズイので、訴える」的なしょーもない訴訟は、勘弁してほしい。聞いてるだけで疲れる。

「お客さん、いい訴訟話があるんですよ、あの会社を訴えませんか?」

 と弁護士が「営業」して歩く国だけにはなって欲しくない。

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投稿者 jun : 2007年8月27日 08:50


オープンエデュケーション(Open Education)の未来

 昨日土曜日、東京大学で、「オープンエデュケーションが切り開く未来」というシンポジウムが開かれました(というか僕は司会者だった!)。東京大学大学院情報学環 ベネッセ先端教育技術学講座の主催のシンポジウムになります。

東京大学大学院情報学環 ベネッセ先端教育技術学講座
BEAT
http://www.beatiii.jp/

 オープンエデュケーション(Open Education)とは、一言でいうと、

「インターネットを使って、教材を無償で公開すること」

 の総称、そういう運動の総称のことです。公開の主体は、主に「大学などの高等教育機関」が多いですね。

 「ははーん、あれね、大学が自分のところの講義を無償公開するやつね、聞いたことあるもんね」

 と思う方も多いのではないでしょうか。

 2001年、アメリカ・マサチューセッツ工科大学がMIT Open Course Ware(オープンコースウェア)とよばれるサイトを開設し、MITの全授業を公開すると世界中に宣言しました。

MIT Open Course Ware
http://ocw.mit.edu/

 それから7年。「オープンコースウェア運動」に関しては、グローバルに展開し、全世界で150の大学が参加するコンソーシアムに発展しました。

 東京大学も2005年より、この運動に賛同し、UT Open Course Wareを開設、「東大でしか聞けない講義の公開」をスローガンに、少しずつではありますけれど、講義の公開をすすめています。

UT Open Course Ware
http://ocw.u-tokyo.ac.jp/

学術俯瞰講義 2005「物質の科学」
(小柴昌俊先生、小宮山宏総長の講義があります)
http://ocw.u-tokyo.ac.jp/course-list/ut-lecture-series/science-of-matter-2005/movies.html

学術俯瞰講義 2006「学問と人間」
(佐伯胖先生、上野千鶴子先生の講義があります)
http://ocw.u-tokyo.ac.jp/course-list/ut-lecture-series/academics-and-humans-2006/movies.html

学術俯瞰講義 2007「社会から見たサステナビリティ」
(緒方貞子先生の講義があります)
http://ocw.u-tokyo.ac.jp/course-list/ut-lecture-series/sustainability-2007/movies.html

 MITがはじめた「オープンコースウェアの運動」。しかし、すべての大学がそれに賛同したわけではありません。いくつかの大学は、教材を無償公開する際に、MITのスタイルとは違ったかたちで、それを進めようとした。

 「オープンソース」と同じビジネスモデルを採用し、出版と連動したかたちで教材の無償公開をすすめようとしている、ライス大学のConnexions、教材を「生の素材」として単に公開するのではなく、インタラクティヴな教材として仕立てて公開しようとしているカーネギーメロン大学の試み。

 全世界では、いまや30ほどのアプローチがあると言われています。そうしたアプローチを十把一絡げに、エイヤッとひっくるめて、オープンエデュケーションというのですね。

 ---

 今日のシンポジウムでは、2008年1月に「Opening up education」という本をMITプレスより上梓なさる予定の飯吉透先生(カーネギー財団)、クマー・ヴィージェー博士(マサチューセッツ工科大学)をお招きして、オープンエデュケーションの最新の動向についてご講演いただきました。「Opening up education」では、37のオープンエデュケーションの主催者たちが、自分のところの取り組みとその教育学的背景について論じているそうです。飯吉先生とクマー先生の講演は、「教材の無償公開」の米国最新事例がよくわかる、とてもinformativeなものでした。

 講演のあとは、山内先生のラップアップをはさみ、恒例のフロアディスカッションへ。お近くの方々でグループをつくり、20分間のディスカッションをして、質問や感想などを出してもらいました。

「質問」「感想」に関しては、予想どおり非常にたくさん寄せられました。「オープンエデュケーションへの問い」は「パンドラの箱」のようなものです。そこをいったん開けてしまえば、次から次へと問いがでてくる。

 下記は、飯吉先生、クーマー先生、山内先生に寄せられた質問の一部を抜き出したものです。問いの多くは、かなり深い。

●オープンエデュケーションの「目的」を一言でいうと何でしょうか? なぜそれがなされるべきなのでしょうか? 「社会知識基盤の整備」でしょうか? それとも「公教育の不信を背景にした教育の代替」でしょうか? 「教育の民営化」なのでしょうか? それとも「大学の宣伝」でしょうか? 

●大学がコンテンツをつくらなくても、いまや、様々な人々がWeb2.0的ツールを使って、コンテンツをつくり、公開しています。そのような中で、「大学」がコンテンツをつくり公開する意味はどこにあるのでしょうか? クオリティが違うのでしょうか? それとも、オーソリティがあるのでしょうか?

●教育/学習用に仕立てられた、いわゆる「教材」は本当に使いやすいのでしょうか? 学校放送では、視聴者に「長い番組を提供するべき」か「短い素材を提供するべき」かという議論がつねにあります。敢えて「教材」を提供するのではなく、「生の素材」を提供するだけでよいのではないでしょうか。あとの利用は、ユーザーにゆだねるべきではないでしょうか?

●「生の素材」を提供すること以上に、「教材」としてコンテンツを仕立てるにはコストがかかります。なぜ、これをなぜ大学が負担しなくてはならないのか? その理由は何でしょうか?

●大学がオープンエデュケーションを推進する理由としては、「広報的価値」以外に何がありますでしょうか?

●オープンエデュケーションを「長続き」させるためには、推進者の「燃えるような情熱」だけではなく、「ビジネスモデル」が必要でしょう。大学や民間企業がどのようなかたちでビジネスモデルを構築することができるでしょうか。

●オープンエデュケーションはボランティアでいいのでしょうか? 提供されるコンテンツにコマーシャルを入れるなどのことは検討されるべきではないでしょうか?

●オープンエデュケーションのターゲットユーザーは「誰」なのでしょうか? 誰が、どのような文脈で、どのように利用しているのでしょうか?

●全員が「自分が得たいもの」をわかっているわけでありません。オープンコンテンツは、自分が得たいものがわかっている人とわかっていない人の格差を広げるのではないでしょうか?

●オープンエデュケーションは「格差」の問題の解決と位置づけられることも多います。しかし、それはテクノロジーを用いてなされるので、テクノロジー格差がもろに反映してしまいます。ゆえに、オープンエデュケーションは「格差の縮小」をめざしながら、「格差を拡大」してしまうというのではないでしょうか。

●オープンエデュケーションで公開されるコンテンツの著作権は誰に所属するのでしょうか?

 会場では、これらの問いに対して、3名のプレゼンターの方々が意見を述べました。この「やりとり」は非常に本質的で大変オモシロかった。

 ---

 ・・・今回のオープンエデュケーションのシンポジウム、僕は、司会者として聞いていて、いろんなことをぼんやりと考えていました。

 まず第一に思ったのは、なぜオープンエデュケーションに対して、これだけの深い質問が集まったのかなぁということです。おもうに、これには、いくつかの理由があると思うんですね。

 一番大きな理由としては、オープンエデュケーションに対して投げかけられた「問い」が、はからずも「大学一般に関係する大きな問い」を投射してしまうからでしょう。

 つまり、

オープンエデュケーションの目的とは「何」で
「どのような人」に対して
「どのようなコンテンツ」を
「どのように提供する」か

 という問いについて「解」を用意するためには、

・社会の中で「大学」とはどのようなものであり、
・「誰」が知識を享受されるべき人間であり、
・大学教員や関係者はどのような役割をもっているか?

 という、より大きな問いに考えざるを得なくなってしまうのですね。そこをすっ飛ばして、オープンエデュケーションだけを議論することって、なかなか難しい。

 さらにいうならば、「思弁的な問いの逆投射」がおこるだけですまないんですね。

「大学とは何か」
「大学教員や関係者はどのような役割をもつか」

 という問いは、「大学関係者のサバイバル」に密接に関係してしまう。

 寄せられた意見の中にも

「わたしは、これからもコンテンツを売って生きていけるのでしょうか?」
「大学教員として、これからどのように生きていけばいいのでしょうか」

 という意見が寄せられていました。

 ---

 いずれにしても、オープンエデュケーションが本格的に離陸するためには、会場から出された上記のような本質的な問いに、何らかの「解」を出す必要があるのでしょう。

 でも、この問いは、「アポリア(難問)」どころの騒ぎではない「アポリア」です。非常に慎重に、様々な角度から、冷静になって考える必要がありそうですね。

 思うに、そのためには2つの議論が「同時」に必要だと思うのです。「教育的価値に関する議論」と「経済的、経営的側面からの検討」ですね。

 前者の議論を主導するのは、21世紀に大学が担うべき役割は何か、という歴史学的かつ哲学的アプローチ、かつ、実際に、デザイン、開発、評価してみたらこうなったという工学的アプローチ、人間に与える影響はこうであった、という心理学的アプローチでしょう。

 後者の議論は、「もしそれを実施したら、どのような投資効果が得られ、逸失損益は何か」という経済学的アプローチ、そして永続的に事業を継続するためには、どのようなビジネスモデルが必要か、という経営学的アプローチから構成されるように思います。できれば、後者を相対化できる言説であった方がいい。

 必要なのは、これらのアプローチのオーケストレーションであるように思います。

 ---

 ともかく、オープンエデュケーションの潮流は、今後も急速な勢いで進行していくような気がします、何となく。大学の思惑とか、大学関係者のサバイバルの成否とは無関係に、そうならざるを得ないんではないかな、と思います。だって、教育素材を無償公開する主体は、必ずしも高等教育機関ではなくて、個人でもいいわけです。
 大学がやろうと、やるまいと、「教育の素材」はネットに今よりもっとあふれるようになる。

 僕は占い師ではないので、その先の未来は、僕には読めません。でも、ひとつ読めることがあるのだとしたら、オープンエデュケーションの潮流の中で、最終的に問われていることは、

「あなたは、どんな社会をのぞみますか?
 その中で教育には何ができますか?」

 ということですね。
 この問いが、我々に突きつけられていることだけは、間違いないような気がします。そして、教育学が社会的合意をつくるための議論の下地を提供しなくてはいけないことだけは、確かなことであるように感じました。

 慣れない司会、疲れました。

 週末はゆっくり休みます・・・・といいたいところだけど、これからTAKUをプールに連れて行きます。それでは。

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 結構、パパが多かったぞ。

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投稿者 jun : 2007年8月25日 21:37


ソウル大の年俸は海外の大学の半分!?を読んだ

 下記の記事を興味深く読んだ。

頭脳流出:ソウル大の年俸は海外の大学の半分!?(上)
http://www.chosunonline.com/article/20070823000051

頭脳流出:ソウル大の年俸は海外の大学の半分!?(下)
http://www.chosunonline.com/article/20070823000052

 要するに、

1.ソウル大学の教員の給与は、海外他大学と比較すると半分
2.しかし、授業外の雑務は海外他大学と比べて多い

 ということである。

 ノースウェスタン大学では、「研究以外の業務といえば月に一度の教授会議だけで、それも必ず参加しなければならないものではなかった」のに対して、ソウル大学では「械航空工学部だけでも施設担当委員会、教務担当委員会、科目調整委員会などさまざまな小グループがあり、教授たちはそれらの行政的な仕事も引き受けなければならない」のだという。

 このような中、研究者の中では、ソウル大学を敬遠する動きが広まっているのだという。
 先にソウル大学工学部が7人の新任教授を採用しようとした際には、「志願した25人全員が基準に達しなかったため採用を先送り」せざるをえなかった。記事では、「ソウル大学からの頭脳流出」を懸念している。

 ---

 日本の大学業界では、韓国ほどの危機感はささやかれていない。だけれども、「雑務の多さ」は非常に似ていると思った。もちろん、これは大学教員だけに当てはまることではなくて、初等中等教育に関しても全く同じである。

 学歴による仕事の専門化・役割分化が進んでいる欧米とは異なり、日本やアジアの教育業界には、そのような傾向は薄い。それが「研究外業務の多さ」に如実にあらわれている。

 ちなみに、日本の大学教員の給与に関しては、「大学教員 給与」でググるといろいろでてくる。

投稿者 jun : 2007年8月25日 08:03


教育学の混迷

 「教育学の混迷」と題された論文を読んだ。

広田照幸(2007) 教育学の混迷. 思想. 2007年第3号. 岩波書店, 東京

 偶然だが、昨日夕食を共にしたある他領域の先生からも、上記と同じような指摘を受けた。

 「外から見た教育学」と「教育学内部で生成される論理」との乖離について、考えなければならないときにきているのかもしれない。

投稿者 jun : 2007年8月24日 12:32


結婚と「性格の不一致」

 昨日、ある人の講演ビデオを見ていて、こんな話があった。

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 離婚の原因としてよくあげられるものに、「性格の不一致」というのがある。だから、多くの人は、結婚を考える際に「性格の一致する理想の人」を探そうとする。

 でも、よく考えてみると、人間は皆、最初から「性格は不一致」である。誰一人として「性格が一致」する人なんていない。

 そうであるならば、結婚でもっとも重視しなければならないことは、「性格が一致した理想の相手」を探すことではない。

 むしろ、「性格の不一致さ」をいかにやり過ごし、いかに関係を持続させうるか、が問題である。つまり、結婚生活で重要なのは、「性格が不一致なこと」をマネージする「プロセス」である。

 ---

 ほほー、なるほど。

 帰ってきて、カミサンにこの話を教えてあげたら、彼女も納得していた。彼女は、僕の「だらしなさ」 - 食べ物をこぼすとか、引き出しを閉めない、とかいう生活上のだらしなさ - 常日頃から辟易としているので、それを牽制してみた。

「わたしも、もう少し口に出さないようにしなきゃ、とは常日頃から思っているんだけどね。そこまで、まだまだ人間ができてないわ」

 カミサンが「人として完成する日」を心待ちにしている(笑)。

 今日の朝食も、パンクズをこぼした。
 ごめん。

投稿者 jun : 2007年8月24日 09:17


目標値実証主義

 先日、ある研究会にでて、久しぶりにこのような語り方を聞いた。

「理想の学習とは個別学習にある。教材をシステマティックに設計すれば、そうした理想を実現できる。共同学習はノイズが多く、理想の学習が成立するならば必要ない」

 これに関しては、佐伯胖先生(青山学院大学)が、UT Open Course Wareで公開されている講義の中で、1960年代の教授工学黎明期、プログラム学習について振り返っている。

佐伯先生・UT OCWの学術俯瞰講義
rtsp://real1.itc.u-tokyo.ac.jp/UTOCW/06/gakujutsufukan_saeki01_3.rmvb

 45年たっても、目標値実証主義は、何一つ変わっていない。もちろん、それ自体が悪いわけではない。

 が、個別学習を「理想型」におき、其れ以外の学習 - たとえば協調学習を「ノイズの多いもの」とみなす見方は、とても承伏できない。1960年以降の学習研究の知見は何だったのだろうか、と思う。

 深い溜息がでる。

投稿者 jun : 2007年8月23日 19:00


eラーニングの利用経験率は18.6%

 Gooリサーチの調査によると、eラーニングの利用経験率は18.6%だそうです。高いと見るか、低いと見るか・・・。

gooリサーチ
http://research.goo.ne.jp/Result/000538/

投稿者 jun : 2007年8月23日 15:08


子どもの頃にやりすぎたこと、やれなかったこと

 子どもの頃禁止されたことは、大人になって、やりたくて仕方なくなる。逆に、子ども時代に過剰にやりすぎたことは、大人になると、見向きにしたくなくなる。どうも、人間、そういうものらしい。

 たとえば、僕の場合。

 僕は「丼」が嫌いである。「味」が嫌いなのではない。「丼」というスタイルで、ごはんの上におかずが乗せられるのが、どうしても苦手なのである。

 これは、子ども時代に、「丼」スタイルで食事を食べ過ぎたせいである。共働きであった我が家では、母親が仕事で家をあけると、「丼」が用意されることが多かった。用意も楽だし、後片付けも簡単だからだ。

 逆に、子どもの頃抑制されていたものが、「爆発」している例もある。その好例が「試食」だろう。

 今の僕には、デパチカなどの「試食コーナー」を素通りすることは難しい。なぜだか知らないけれど、試食を見ると血がさわぎ、どうしても、食べたくなってしまう。

 逆に試食は、子どもの頃に禁止されていたことだった。

「食べさせてない子みたいだから、絶対にやっちゃダメ」

 と、僕の親は、きつく我が子に言い聞かせていた。

 ---

 こうした例は、他の人からもよく聞く。

 ある人は、小さい頃、牛乳を飲み過ぎた。「背が伸びるから」という理由で、毎日、浴びるほど牛乳を飲ませられたそうである。結果、今は、全く乳製品をうけつけないカラダになってしまった。

 ある人は、小さい頃に、「コーラ」を決して飲ませてもらえなかった。今は「爆発」。水がわりにコーラを飲むような、いわゆる「コークジャンキー」である。

 ある人は、小さい頃、テレビゲームを親から厳しく禁止された。大人になった今は、休みの日は、朝から晩までゲームをやってもあきない、という。

 ---

 人生において、「行動の総量」は、決まっているのかもしれない。子どもの頃にやりすぎれば、大人になってできなくなる。逆に、子どもの頃に全くやらなければ、大人になってから取り戻そうとする。

 要はバランスである。

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追伸.
 TAKUは急に「つかまりだち」ができるようになった。

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投稿者 jun : 2007年8月23日 07:44


遠距離恋愛支援システム

 お茶ノ水大学の大学院生の方が、「遠距離恋愛支援システム」というのを開発したらしい。昨日、ある研究者の方から教えてもらった。同システムCHI2007の査読付きポスターで佳作(Honorable Mention)を受賞したとのこと。

CHI2007受賞
http://www.ocha.ac.jp/topics/h190523_01.html

ビデオ
http://www.zukan.tv/2007/01/18/hitomi-tsujita/

 ・・・オモシロイですね。どういう風にシステムの評価をするんだろう。非常に興味深いです。

 ・・・それにしても、遠距離恋愛は「Lovers Separated by Distance」っていうんですね。これに類する名詞はないんだろうか。ふとした疑問。

投稿者 jun : 2007年8月22日 17:22


どの子どもに注目するか?

 ある研究ミーティングで、教師研究を志す大学院生さんが、こんなことを教えてくれた。学校教育現場で後輩の指導にあたっているベテランの先生がそう言っていた、とのこと。

初任者は出来る子、問題行動のある子に注意が行き、残りの子どもが見えない。しかし、ベテランは、彼らに振り回されずに、残りの子どもたちを見取り、生かす余裕が生まれ、実際にそういう手だてを考えることができる。

 もちろん、上記の命題はまだ検証されていない仮説であるが、 「教師は熟達するにしたがって、注目する生徒が変わる」というのは、非常にオモシロいと思った。

 あなたが先生なら考えてみてください。
 あなたは、授業の際、どの子どもの言動に注目していますか?

投稿者 jun : 2007年8月22日 07:30


できるといいな、と思うもの

 某省の方々が、ある案件で来研、ディスカッションを行った。

 僕の主張は2つ。
 非常にシンプルである。

 ひとつめ。
 組織人材育成 / 組織学習のプロフェッショナルを大学院レベルの教育で養成するべきである。

 その大学院では、「組織」と「学習」、「経営」と「教育」という2つの領域を越境する「総合的な知」を伝えてほしい。

 下記のような海外大学院のように、教育だけでもなく、経営だけでもない。はたまた、インストラクショナルデザインの専門家を養成する大学院でもない。そうした大学院を、何とか日本につくることはできないだろうか。

コロンビア大学
Teachers College, Adult Learning and Leadership
http://www.tc.columbia.edu/academic/o&ldept/adulted/

Case western reserve university
MS in Positive Organizational Development and Change
http://weatherhead.case.edu/masters.cfm

ランカスター大学
http://www.lums.lancs.ac.uk/Postgraduate/hrd/

ペンシルバニアステート
http://www.ed.psu.edu/wfed/default.asp

ジョージア大学
Workforce Education, Leadership, & Social Foundations
http://www.coe.uga.edu/welsf/

University of Illinois at Urbana-Champaign
College of Education, Department of Human Resource Education
http://www.hre.uiuc.edu/

University of Minnesota
Department of Work and Human Resource Education
http://www.education.umn.edu/WHRE/

Ohio state university
Workforce Development and Education
http://ehe.osu.edu/paes/wde/default.htm

 ふたつめ。
 アカデミクスと実務家が集まるような、ASTDライクな規模の「人材育成コミュニティ」を、何とか産官学で共同してつくることができないだろうか。

ASTD
http://www.astd.org/

 個人的には、この2つをつくるためなら、僕は可能な限りの協力を惜しまない。日本の組織で働く人々は、今よりもっと「元気」になれる、と思う。

投稿者 jun : 2007年8月22日 07:13


○○社らしい仕事のやり方を、いかに「伝える」か?

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 昨日は、仕事復帰1日目。

 先週の休みのせいか、アタマの回転が遅く、なかなか言葉が出てこないように感じた。今日から本格的に忙しい日々が続く。リハビリする時間はないけれど、何とかはやく本調子に戻したい。

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 昨日は、ある大手広告会社にインタビュー調査にでかけた。この会社では、2年前から、いわゆる「OJT」の制度改革に乗り出し、新入社員の早期育成をめざしている。

 新入社員に対して、

「社員に暗黙知として共有されている、○○社らしい仕事のやり方を、どのように伝えるか?」

 が、挑戦するテーマになっていた。

「暗黙知化された○○社らしい仕事のやり方」というのは、要するに、その「組織成員に共有される価値や行動規範」=「企業文化」のようなものである。

 外の人から見て、

「あー、あの人の仕事って、○○社らしいよね」

 と言ってもらえるような「何か(something)」を、新入社員に限られた日数で伝え、共有してほしい。そのためには、何をどうすればいいのか?

 もちろん、人事部だけでこの難題を解決することはできない。そのためには、各事業部の協力を得る組織内スキームをいかにつくりだすか。

 まず容易に予想できるのは、ここで伝えたい内容は、descriptive(記述的)ではない。descriptiveではないということは、システマティックに「伝達」することが最も難しい内容ということになる。少なくとも、インストラクショナルデザインで合理的に教授設計を行うような事象ではない。

 その会社では、「人と人のつながりの回復」を主軸にした、様々な施策や社内キャンペーンをうち、この課題に挑戦しようとしているのだが・・・。

 さすがは広告会社だけあって、キャンペーンでは、様々なグッズや映像などがつくられていた。クリエイティヴの質の高さは、さすがだと思った。これらは、社内各所に設置してある「液晶テレビ」で、毎日放映されるのだという。

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 今年に入ってから、これまで、たくさんの会社にお邪魔している。

 どの会社も、日夜「現場の学びの再創造」に取り組んでおられるが、つくづく思い知らされるのは、そこで伝えたい内容がことごとくdescriptive(記述可能)ではないことである。
 もちろん、descriptiveな内容もないことはないのだが、それ自体は、あまり問題にはなっていないような気がしている。

 今、本当に伝えたい重要なことは、descriptiveなものではない方が多い。それをいかに伝えるか・・・。

 このあたりのデザインは、本当に難しい。
 そこに一定のパターンを見いだせるとよいのだけれども・・・
 かくして、「僕の会社行脚」は続く。

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投稿者 jun : 2007年8月21日 07:35


お盆が終われば、夏はおしまい!?

「お盆が終われば、夏はおしまい」

 故郷・北海道では、よくこんなことが経験的に言われている。北海道の短い夏は、7月末から8月お盆頃まで。それが過ぎると、急に、朝晩が肌寒くなる。年によっては、朝晩に長袖を着て歩くことも珍しくない。

 史上例を見ない猛暑であった今年に、これがすっかり当てはまるかどうかはわからない。でも、おそらく、多かれ少なかれ、そんなものではないかと予想する。

 今年も、お盆休みが終わった。

 メーカーなど夏休みの長い業界は、本格的に今日から稼働開始であろう。首都圏の今日の予想最高気温は34度。こちらは「お盆が過ぎれば、夏はおしまい」とはいかないようである。

「お盆が終われば、大学は動きだす」

 実は8月上旬からお盆過ぎまで、大学は閑散としている。大学教員の多くは、この時期を海外出張や、自分の書籍執筆などにあてるため、急激に大学に人はいなくなる。
 今年もお盆が終わった。ようやく、少しずつだけど、大学に人が戻ってくる。

 お盆明けの僕のスケジュールは、全く「隙間」はない。

 まず、各種研究プロジェクトの会議が連続する。また、大学院入試の書類審査、口頭試問があるので、2週間近く大学に拘束される。

 イベントも目白押しだ。今週末には、公開研究会。3日には学会、7日には東大安田講堂シンポジウムと続く。ちなみに8日から10日までは「ゼミのお勉強旅行」。

 ちなみに20日には立教大学大学院での授業がはじまるので準備。22日からは、また学会。おそらく、ホッと一息つけるのは24日の週だろう。

 とにかく、何とか「穴をあけないように」生き残ろう。
 長い夏休みのあと、今日は、少し朝から「憂鬱」である。

投稿者 jun : 2007年8月20日 07:50


「オール」がない

 先日、義妹が、いわゆる「オール」の飲み会をやって、朝帰りしてきた。

 夜を徹して話をして、酒も相当量を飲んだはずなのに、元気、元気。少し寝て、次の夜には、また「別の飲み会」に出かけていった。あっぱれ、その「元気さ」には、恐れ入った。若いとは、かくいうものなのか。

 かつては、僕も、「オール」をしたことがある。学生時分には、盆と正月の限られた期間しか帰省せぬというのに、まともに実家で夕食をとったことがない。気の置けない旧友たちと、夜を徹して、遊んで、飲み歩いていた。

 しかし、ここ5年~6年くらいは、そのような経験は全くない。いくつか理由はある。

 まず第一に、悲しきかな「カラダ」がついていかない。おそらく、今、オールで飲み会などやったなら、次の日は「廃人」だろう。アタマは痛いし、胃のむかつきに苦しむ。夕方近くまで、無為に過ごすことになることは目に見えている。

 社会人を長くやっていると、そういう「飲み方」を本能的に避ける。無意識のうちに、いわゆる「守り」に入る。

 第二の理由が家族であろう。この年になってくると、お互いに家庭をもっている人たちも多い。オヤジがベロンベロンになって帰宅する様子は、カミサンにとっても、子どもにとっても、はなはだ迷惑である。

 第三に、これが本質的な理由かな、とも思うのだが、「オール」で語り合うほど話題が、年々少なくなっているような気がする。お互いの近況を話し、いくつかの馬鹿話と、いつもの昔話をしたら、おおかた満足してしまう。

 かつての僕らには、お互いの人生で重なるべき部分が多かった。また、僕らは「無知なるがゆえのべき論」の世界に生きていた。だから言い合いにもなったし、夜を徹して話すこともできた。

 今は、もう別々の人生を歩いていて、そのような「重なり」が少ない。そして、多少なりとも世の中の片鱗を知ってしまった。「そうはいっても、しょうがないよね」というモノイイを覚えてしまった。そんな僕らには、数時間を共有するくらいが、お互いにちょうどよい、のかもしれない。

 話は「する」ものよ。「ある」ものじゃないわ

 そう書いたのは、岸田國士である。もしかすると、「するべき話」の少なさ、レパートリーの少なさが、最大の問題かもしれない。
 
 こんなわけで、最近の僕は「オールがない」。
 オールをしていた頃を懐かしむ一方、なぜだか、少し切ない。

投稿者 jun : 2007年8月19日 08:08


「世界」と「傷」

 最近、息子の「世界」はさらに広がっている。

「おすわり」ができるようになり、これまでより、ちょっぴり高い位置から、ものを見渡すことができるようになった。「ハイハイ」を覚え、これまでより、より広い空間を行き来できるようになった。

 水平方向にも、垂直方向にも、彼の「世界」は日に日に広がっている。

 しかし、「世界が広がること」は、「傷を負うこと」でもある。ゴロンとひっくりがえってはアタマをうち、足を伸ばしては膝をすりむく。先日などは、リモコンをとろうとして、顔を強く打って血を流した。

 子どもに「生傷」はたえない。
 親がいくら心を砕いて、一挙一動を見守っていても、子どもの動作を完璧に把握することはできない。否、そうするべきでもない。涙を流すときもあれば、時に血を流すこともある。

 ---

「男の子は、そんなことで泣くな、腕もげたら泣け」
「そんなもん、ツバつけとけば治る」

 これは、僕が子どもの頃、よく周りの大人たちに言われた言葉だ。「腕がもげるまで泣かせてもらえない」のは、さすが北海道、豪快極まりない。

 しかし、僕も同じ言葉を「息子」にかける。

「腕もげたら泣け、ツバつけときゃ治る」

 子どもの頃、自分にも生傷がたえなかった。僕が負ったたくさんの生傷を、これから、TAKUもイヤというほど経験するのだろう。親としてはいたたまれない気持ちになる。できることなら、防いであげたい。しかし、それはできない。やむなきことなのだ。

 ---

 TAKU。
 世界が広がれば、君はもっと「傷」を負う。

 今は「擦り傷」くらいですむかもしれない。しかし、「世界」は君に優しく、そして厳しい。近い将来には「擦り傷」ではすまない「深傷」を負うかもしれない。それは「心の傷」かもしれない。

「世界が広がること」は「傷を負うこと」である。
 いつしか君は、予測不可能かつ不条理な「方向」から、予測不可能かつ不条理な「悪意」を、必ず受ける。その「悪意」で傷を負うことも覚悟をしなくてはいけない。

 イタイのイタイのトンデイケー
 TAKUのアタマをさすりながら、僕は、つぶやく。

 TAKU。
 それでも「世界」は愉快で楽しい。
 深傷を負うことを怖れ、自分の「世界」を小さくするほど、馬鹿げたことはない。

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投稿者 jun : 2007年8月18日 08:14


父親が・・・

 今日の名言。

The most important thing a father can do for his children is to love their mother.
(父親が子どもたちのためにできることで一番重要なことは、子どもたちの母親を愛することである)

神学者 セオドア・ヘスバーグ

 ほほー。

投稿者 jun : 2007年8月17日 20:01


「除却」にならない人生を:坪井信行著「100億円はゴミ同然」

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 100億円を「ゴミのようなサイズ」と感じたり、「ゴミ」と言ってしまったりすることが、ある局面では実際におこります。

(下記書籍より引用)

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 100億円を「ゴミ」と感じる男たちが働く場所が、トレーディングの世界です。そこでは、日々、「途方もない巨額のマネー」が国境をへだてて、飛び交っている。

 一日の取引額は、2004年現在で225兆円に達しているようです。昨今のネット取引やヘッジファンドの拡大によって、今ではさらに多くのマネーが世界を行き来していると言われます。

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 坪井信行著「100億円はゴミ同然」を読みました。証券取引の世界で活躍する専門職「アナリスト」がどのような生活をしているのか、その仕事の実態を、軽い筆致で述べた本です。

「アナリスト」は、企業情報を調べ、実際に企業のIR担当者や経営者にインタビューを行い、集めた膨大なデータをもとに、企業の将来予想に関するレポートを書く仕事に従事しています。要するに、専門的知識と膨大な情報から、証券取引に関する「アドバイス」を提供するのが、その仕事です。

 この本が教えてくれる、アナリストの世界はオモシロイものでした。証券取引から「最も遠いところ」にいる僕には、「へー、そういう世界もあるんかねー」という感じ。

 アナリストの仕事の実態とはあんまり関係ないんだけど、ひとつ興味深いことが書かれていたので、ここで紹介。

 ---

 アウトプット過多が続くと、アナリストの蓄積してきた知識やノウハウといったものは減少・劣化していきます。これを揶揄して、「アナリストの減価償却」ということもあります。

 減価償却というのは、企業の固定資産を費用化する処理のことです。工場の生産設備などの固定資産は、使うことで徐々に劣化していきます。簡単にいえば、時間の経過によって古くなり、使ったことで摩耗していくわけです。

(省略)

 アナリストの場合は、カタチのあるものではありませんが、ノウハウや知識といったものも、放っておけば時間の経過とともに陳腐化していきます。

 その価値の減少する感覚が減価償却に似ているということでしょう。行き着くところは廃棄処分ということになります。会計的にいうと、除却(企業の資産から取り除くこと)といいます。これは、人としてちょっと悲しい感じがしまいます。

 たとえ話だとはいえ、減価償却されて最後は除却というのは、あまりに悲惨な人生ですが、常に自覚をもって対処していないと本当になってしまいます。

 ---

 なるほど、そうだよねぇ・・・。

 でも、これはアナリストだけに言えることではなくて、「ナレッジワーカー」、最近流行の言い方をすれば、「クリエイティブクラス」と呼ばれる人ならば、すべて当てはまるのではないかな、と思います。

 仕事をすれば、自分のもっていた知識、ノウハウ、スキルが消費される。で、仕事をバリバリするにしたがって、どんどん自分がバカになっていく感覚というのでしょうか・・・しばらくして、ふと立ち止まった瞬間に、「このままじゃ、ヤバイ」と思う。

 こういう人たちは、自分を「バージョンアップ」するリフレッシュの機会、リフレクションの機会を、デイリーなオペレーションの中に確保することが必要なんでしょうね。

 
「そんなことわかっているよ、でも、忙しくて、忙しくて、そもそも、そんなことをしている暇がない!」

 とおっしゃる方がいそうです。

 でも、申し訳ないけど、ナレッジワーカー、クリエィティブクラスであるならば、それが「実力」なのではないか、と思います。

 本当に優秀なアナリスト、本当に優秀なクリエイティヴクラスの人たちは、どんなに忙しくても、リフレッシュの機会、リフレクションの機会を確保するような仕事の仕方をするのではないでしょうか。

 リフレッシュの機会、リフレクションの機会を、いかに確保するか、それも「実力のうち」ということです。

 ---

 経験学習理論で有名なコルブは、経験学習のサイクルとして、「業務」「経験」「反省」「概念化」の4つをあげています。要するに、「業務をへて、多様な経験をして、時には仕事をはなれて、いったん振り返り、仕事の中から教訓を自らつむぎだす」ということです。

 僕は、この4つの中で一番重要なのは「反省」だと思うんですね。なぜか? 

「業務」は、求めなくても勝手に増えるでしょう。「業務」があれば「経験」もすることになる。でも、一番ありがちなのは、「多忙」を理由に「反省」がなかなか確保できない。「反省」ができなければ「抽象化」はありえない。だから、キーになるのは「反省」だと思うのです。

 なんでもそうなんですが、「活動」には「反省」がセットに存在しなければあまりよろしくないのですね。「活動」をしたら、「いったんそこから離れて、自分の活動の意味を問う機会」をもうけた方がよいでしょう。

 このことは、波多野先生もかつて指摘していました。適応的熟達をはたすためには、「いったん現場を離れて振り返る」ことが重要だ、と。

 ---

 減価償却して、除却にならない人生を歩みたいものです。
 それはあまりに悲しすぎる。

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投稿者 jun : 2007年8月17日 08:10


責任とるから大いにやってこい!

 昼下がり、オジサン向け雑誌をパラパラとめくっていたら、「男の会話術」という特集が組まれていた。

 その中に「給湯室の中の真実:OLはここを見ている」という座談会の記事があった。「理想の上司のあり方」をさがす座談会であった。面白かったので、紹介する。

 座談会に参加した女性たちの弁によると、上司に言われてもっとも嬉しかった一言は、

「失敗したらオレが責任をとるから、大いにやってこい」

 なのだそうだ。

 「大いにやってこい」といっても、いわゆる「丸投げドン de ハルマゲドン」ではない。仕事を「丸投げ」して、部下を「炎上」させてはいけない。

 キチンとしたタイミングで「仕事をまかせ」、適切に「責任」をとる、ということである。これは言うのは簡単だけど、実行は非常に難しい。

 逆に、最悪の上司とは、

「いつも焦っていて余裕のない人」

 なのだそうだ。

「質問したいことがあっても聞けない雰囲気があり、何のために上が存在しているのかわからない」というのが、評価が低い理由らしい。要するに「頼りがい」というのがポイントなのだろう。

 その記事にもあったけれど、「関係がこじれる原因は、必ず会話の運び方に問題がある」ものである。上司部下関係は、永遠の課題でありながら、その成否はミクロな相互行為にありそうだ。しかし、これは難しい。

 内田樹氏が言うように、

 我々はいつも、言い過ぎるか、あるいは、いい足りないか、のどちらかである

 ミクロな相互行為に王道はない。

 ひとつだけ間違いないことがあるとするならば、

 あなたの言動は、いつも、もれなく、必ず、部下に見られている!

 ということなのかもしれない。

投稿者 jun : 2007年8月16日 18:44


シングルモルトが好きである

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 シングルモルトが好きである。
 そして、今日もシングルモルトである。

 1杯目。

 アイラ島で生まれた「アードベック1975年」を注文する。ピート香が強烈で、スモーキーな一杯。トワイスアップスタイルで、少しずつ胃に運ぶ。

 1975年は僕が生まれた年。

「このウィスキーも、自分と同じ時間を過ごしてきたのだ」

 と思うと、意味もなく親近感がわく。
 
 
 2杯目。

 マッカラン18年。ハチミツ、メープルシロップ、シェリーの香りのするトロトロとした感じ。こちらは、チェイサーを口に含みながら、ストレートで。
 
 このマッカランが樽詰めされた頃、僕は、まだ中学生。

 「自分が何になるのか」
 「自分は何をしたいのか」
 「自分には何ができるのか」

 重要なことは、何一つわからなかった。それなのに、はやく大人になりたくてなりたくて仕方がなかった。大人には、それらが「わかっている」と思っていた。
 
 
 3杯目。

 最後は「山崎12年」。どんなにミーハーと言われようと、僕は、このウィスキーが好きである。

 丸みのある甘さ、癖のなさ、ちょうどよいスモーキーフレーバー。これ以上バランスのとれたウィスキーはなかなかない。トワイスアップスタイルでゆっくりと。

 12年前といえば、僕は学部3年。ちょうど、この頃、僕は「将来、絶対に研究者になるのだ」と決心した。

「絶対になる」と言っても、もちろん「口」で言っているだけである。しかし、誰かに宣言することで、僕は、自分を奮い立てようとしていたのかもしれない。
 
 
 4杯目。
 もうそろそろ辞めておこう。「もう一杯」と思ったときが、「切り上げ時」である。「これ以上、年齢の若いウィスキー」は、そう多いわけではないし。

 僕が「研究」を志してから樽詰めされたウィスキーは、まだ「円熟の時」を迎えていない。それは、今の僕がそうであるように。
 シェリー樽の中で、まろやかになり、いつか、どこかの誰かに愉しんでもらえる日を、待っている。

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投稿者 jun : 2007年8月16日 07:22


学校は、世間の一番「うしろ」をついていくもんだ&日本かぶりもの愛好会

 12000
  ・
  ・
  ・
  ・
 何をあらわす数字か、ご存じであろうか?

 実は、これは小学校から高校まで、あなたが「教室」で過ごした時間の総合計である。佐藤学先生がよく引用なさる数字なので、ご存じの方も多いかもしれない。

 12000時間という途方もない長い時間を、あなたは、「教室」で過ごしている。
 先生から板書の説明を聞き、生徒同士で話し合い、手をあげ、問題にとりくみ、教科書をそらんじる。そんな時間の総合計が12000である。

 ---

 12000時間の中で、僕には、いろいろな思い出がある。中には、忘れられない授業もいくつかある。

 一番鮮烈に覚えているのは、高校のときにやった「ポカリスエットをつくる授業」である。その先生はとてもユニークな先生で、たしか、「浸透圧」の概念を教えるために、ポカリスエットをつくる、という実験をやった。

 他には、小学校のときに、みんなで大きな川で泳いだことなど。危険すぎて、今では考えられないことだが、当時はそういう授業が結構あった。あれで、よく何も問題が起こらなかったものだ、と今から考えると、こちらが冷や冷やする。

 ---

 忘れられない授業の他に、忘れられない言葉というのも存在する。こんなとき、多くの人は「感動をよびおこすような先生の言葉」を紹介するのかもしれないが、僕の場合、一風変わっている。

 先生がふとしたときに漏らした「本音」、のいくつかが、僕にとっての「忘れられない言葉」である。

 大げさなことをいえば、その言葉のいくつかが、僕に「教育とは不思議だ」「学校とは何なのだ」という感覚を呼び起こし、今の自分をかたちづくる、ほんのすこしのきっかけになっていたかもしれない、と思うこともある。
 
 僕の忘れられない言葉はこれだ。

 学校は、世間の一番「うしろ」をついていくもんだ

 クラシック以外の音楽を授業で聞くなんて、学校ではありえない

 前者は英語の先生が、ふと授業中にもらした言葉。後者は音楽の先生。いずれも、「学校とは何か」を考えさせる、非常によいきっかけになると思う(ちなみに僕は学部の専門の授業中突然、それまで忘れかけていたこれらの言葉を思い出した! 今まさに学んでいる内容が、これらの言葉に見事に表現されていることに驚いた!)。

 この言葉は、ほとんどつぶやきに近かった。本当にきっと当時の学生の誰一人として覚えちゃいないと思うけど、僕にとっては、忘れらない言葉である。

 教育とは不思議だ
 そして、いまだに、僕は「学校とは何か」がわからない。

 あなたが教室で過ごした12000時間
 忘れられない思い出は何ですか?
 
 
 
 ---

追伸.
 また「かぶりもの」である。ちなみに、今回の「かぶりもの」は「自前」ではない。全国には、「かぶりもの」をこよなく愛する親がたくさんいるのである。「日本かぶりもの愛好会」という全国組織では、会員相互のネットワーキングの機会がもうけられている。URLはGoogleの検索窓に「日本かぶりもの愛好会」で...(゚∀゚)アヒャヒャ。

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投稿者 jun : 2007年8月15日 08:13


残暑お見舞い

 残暑お見舞い申し上げます。

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中原スイカ より

投稿者 jun : 2007年8月14日 15:16


サマースクール

 アメリカの大学にあって、日本の大学にはないもの・・・

 先日もこのような書き出しで、記事を書いたような気がする。引き続き書き足さなければならないことがあるのだとすれば、そのひとつに「サマースクール」があるのではないだろうか。

 サマースクール(サマープログラムともいう、要するに夏期講義)? 何? 日本の大学にだって、集中講義があるではないか?

 と訝る方がいらっしゃるかもしれない。

 確かに、日本の大学にも集中講義はある。しかし、アメリカの大学のそれ(少なくとも、僕が留学していたボストン近郊の大学)、と日本の大学のそれは、ちょっと性格が異なっているような気がする。

 ひとつに、サマースクールは有料である。日本の集中講義が、原則、通常授業の「集中版」と位置づけられ、「無料」であるのとは対照的である。

 ボストン近郊の大学につとめる知り合いの先生によれば、大学にとってサマースクールは「Cash cow(金のなる木)」であるらしい。

 講義によっては、結構な金をとる。かつて僕が参加したプログラミングの実習は1週間で8万円、カミサンが参加したCM制作のプログラムは、7万円であった。

 また、サマースクールは、その大学の学生ばかりか、外部の人々、社会人、留学生も受けることができる。

 大学の学生、あるいは、その大学に入学する学生にとっては、「単位」が付与される。たとえば大学院生にとっては、9月入学前に、必要単位をここで大量にゲットしておくこともできる。

 外部の学生に対しては、履修証(サーティフィケーション)が交付される。ここも日本の大学のそれと違うところだろう。日本の集中講義は、原則的に外部に公開されていないのではないだろうか。

 履修証プログラムについては、専門的なことはよく知らない。しかし、ある大学の先生がこんなことを言っていたことを思い出す。

 アメリカの大学で履修証プログラムが広まったのは、そうねぇ、1990年代かねー。履修証は、社会人をひきつけるもっとも簡単な方法だからね。

 夏・・・7月に入ると、キャンパスには、通常期とは異なる学生が集まり始める。集中講義はいくつかのタームに分かれていることが多い。8月末まで、それは続く。

 かくして、キャンパスには「講義」が途絶えることがない。
 サマースクールは今日も続く。

投稿者 jun : 2007年8月14日 07:57


ミドルを早期育成せよ!:ワークプレイスラーニング2007参加者募集中

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 9月7日・東京大学安田講堂で開催されるシンポジウム「ワークプレイスラーニング2007」ですが、おかげさまで、すでに参加者が400名に達する勢いです。

yasuda_koudou.jpg

 参加者の方は非常に幅広いですね。会社の方ばかりかと思えば、そういうことはありません。といいますのは、おそらく、教師教育や学校教育での文脈でも、リーダー養成、マネジメント養成などの社会的ニーズが高まっているからでしょう。学校の方のご参加希望も、かなりにのぼります。

 ところで、何名かの方々から

「当日、どんな事例が話されるのですか?」

 というメールをいただきましたので、その「さわり」をすこしご紹介していくことにします。

 ---

 まず事例の第一部は「ミドルの早期育成」です。第一部では、東京電力さま、YKK APさまから、ミドルを早期育成に関係する事例をご紹介いただきます。

 第一に、東京電力さんの事例。こちらは、

 研修室での学び+事業部での学び=ワークプレイスラーニング

 の典型的な事例となります。

 従来、本社人事部は主に「研修室での学び」を司る一方、「事業部(ライン)での学び」には、深い関与ができませんでした。

 この事例では、早期リーダーの育成を確実に行うため、「事業部の学び」をよりよくすることを試みます。事業部マネージャ、本人、研修担当者の3者が、研修後日、「ラインでの仕事のやりかた」を面談で決めていきます。
 
 研修で学んだことを活かすため、また、事業部での仕事をよりよくするためには、研修が終わったあとが勝負なのです。

 おそらく、この事例では「ワークプレイスラーニング」「転移」「経験学習」などについて理解を深めることができるでしょう。

 ---

 次にYKK APさまの事例。こちらは、下記のブログに詳しいので、ぜひ、そちらをご覧ください。

Sanno e-learning Magazine
http://blog.goo.ne.jp/sanno_el/e/303dbcf142bd828f38c86c133de65ddd

 おそらく、ポイントは「リーダーとしての経営的な視点」と「マネージャとしての実務に活かせる知識」をいかに同時に身につけるか、ということだと思います。そのためには、研修で何を行い、事業部での学習では、何を行えばいいのでしょうか。

 この事例では、「アクションラーニング」「マネージャ育成とリーダー育成の違い」などについて理解を深めることができるでしょう。

 続く第二部は、「バリューを伝えるミドル」・・・そちらの方は、また折りを見てご紹介します。

■お申し込みは下記サイトからお早めに■
http://www.educetech.org/test2/


=================================================
    ワークプレイスラーニング2007
     - ミドルの学びを支援する -
「組織」と「学習」に関する産学共同シンポジウム

  2007年9月7日(金) 午前10時 - 午後4時30分
    東京大学本郷キャンパス・安田講堂
     http://www.educetech.org/test2/
=================================================

※本案内は転載自由です。お近くの方への転送をお願いします

 あなたの組織には、人を育てる環境がありますか?
            ・
            ・
            ・
 近年、企業人材育成の領域において、ワークプレイス
ラーニング(Workplace learning)という新たなコン
セプトが注目されている。

 ワークプレイスラーニングとは、「"研修"と"仕事
現場における学習"を連携させた学びの姿」である。
様々な施策によって、それらを連携させ、高い学習効
果、組織パフォーマンスを生み出すことが目指されて
いる。

 いまや、若手育成、リーダー養成、マネジメント養
成等の様々な局面において、ワークプレイスラーニン
グの考え方が注目されている。

 このような背景のもと、本カンファレンスでは、
「ミドルの学び」に焦点をあてる。「ミドルの成長や
学習は、組織パフォーマンスの要であること」を指摘
する論文は枚挙にいとまはない。

 が、しかし、ミドルにとっての「学習」のあり方は、
目的、方向性、方法のいずれの側面についても極めて
混沌としているように見える。

 ・・何のためにミドルを育てるか?
 ・・どのような方針でミドルを育てるか?
 ・・どのような手法でミドルを育てるか?

 これらの問いに対する答えは、いずれも曖昧模糊と
しているのにもかかわらず、その「成長の必要性」だ
けが声高に叫ばれ、日々、施策の開発は進められ、現
場で実行されている。
 本カンファレンスでは、ワークプレイスラーニング
のコンセプトを切り口に、ミドルの人材育成事例とそ
れに付随する理論を紹介することを目的とする。

 なお、本カンファレンスは、公共性の高い学術会議
が開催される東京大学本郷キャンパス・安田講堂を会
場として産学協同の体制で開催する。

 社会学、心理学、教育学のアカデミックバックグラ
ウンドをもつ大学研究者と、企業・組織の人材育成担
当者が、ともに知恵をだしあい、ディスカッションを
深め、「ミドルのアポリア」に挑戦する。

 曖昧模糊たる「ミドルの学習」に対する答えは、ど
こかに「ある」のではない。それは、我々が「つくり
あげる」ものである。

 あなたの組織には、人を育てる環境がありますか?

 ワークプレイスラーニング、そしてミドルの学習に
興味・関心をもつ、すべての方々のご参加をおまちし
ています。

 -----

■主催:
東京大学 大学総合教育研究センター
http://he.u-tokyo.ac.jp/
 
 
 
■共催:
非営利特定活動法人 Educe Technologies
(エデューステクノロジーズ)
http://www.educetech.org/
 
 
 
■協力:
学校法人 産業能率大学
http://www.hj.sanno.ac.jp/

株式会社 ダイヤモンド社
http://www.diamond.co.jp/index.shtml

株式会社 日本能率協会マネジメントセンター
http://www.jmam.co.jp/corporate/index.php
 
株式会社 リクルートマネジメントソシューションズ
http://www.recruit-ms.co.jp/index.do
 
 
 
■企画:
東京大学 大学総合教育研究センター 中原淳研究室
http://www.nakahara-lab.net/

産業能率大学 情報マネジメント学部 長岡健研究室
 
 
■日時:
2007年9月7日 午前10時 - 午後4時30分
(9時30分開場)
 
 
 
■定員:
700名
※定員にいたり次第、申し込みを締め切らせていた
だきます。おはやめにお申し込みください。
 
 
 
■場所:
東京大学 本郷キャンパス 安田講堂
http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_00_01_j.html

地下鉄丸の内線本郷三丁目駅より 徒歩14分
地下鉄大江戸線本郷三丁目駅より 徒歩12分
地下鉄南北線東大前駅より 徒歩10分
 
 
 
■資料代・会場費等
1名 2000円
領収書を発行いたします(ただし宛名なし)
 
 
 
■カンファレンス内容

○開場 (09:30)
 
 
○問題提起 (10:00-11:00)
 1."学習者としてのミドル"について考える
   長岡 健(産業能率大学)

 2.ワークプレイスラーニングとは何か?
   中原 淳(東京大学)

 
○ケーススタディ1  (11:00 - 13:00)
 ・ケース1-1
   「職場フォローを強化して"競争に勝てる若手ミドル"を
    育成」(30min)
    東京電力株式会社
    執行役員・総合研修センター所長
    高津浩明氏

 ・ケース1-2
   「経営的視点を持ったマネジャーの
    育成に向けた取り組みについて」(30min)
    YKK AP株式会社 経営管理センター
    人材教育部 ビル建材人材教育室
    室長 脇本歩氏

 ・解説(30min)
松尾 睦(小樽商科大学)
       ・・・心理学の立場から
長岡 健(産業能率大学)
       ・・・社会学の立場から
中原 淳(東京大学)
       ・・・教育学の立場から
 
 ・質疑(30min)
 
 
○昼食(13:00-14:00)
 
 
○ケーススタディ2 (14:00-:16:00)
 ・ケース2-1
   「HOYA:分権化を進めながら経営幹部を育成
    する選抜とOJTのプログラム」(30min)
    HOYA株式会社・グループ人事担当
    HRDセンターゼネラル
    マネジャー 有沢正人氏

 ・ケース2-2
   「個人の成長」と「事業の成長」の両立を目
    指す取り組み(30min)(仮)
    株式会社リクルート
    取締役・執行役員
    水谷智之氏

 ・解説(30min)
松尾 睦(小樽商科大学)
       ・・・心理学の立場から
長岡 健(産業能率大学)
       ・・・社会学の立場から
中原 淳(東京大学)
       ・・・教育学の立場から

 ・質疑(30min)
 
 
○リフレクション (16:00-16:25)
    中原 淳(東京大学)
 
 
○閉会(16:30)
 
 
 
■お申し込み
http://www.educetech.org/test2/
にアクセスいただき、各自、お申し込みをお願いします。
なお、お申し込みが終了次第、「確認メール」をお送り
いたします。

お手数でも、そちらのメールを各自印刷のうえ、当日お持ち
くださいますよう、お願いいたします。
 
 
 
■本カンファレンスに関するお問い合わせ先
特定非営利活動法人 Educe Technologies 事務局長 坂本
sakamoto [ at mark ] tree.ep.u-tokyo.ac.jp

=================================================

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投稿者 jun : 2007年8月13日 08:20


楽天からベーグルをポチポチ

 ポチポチ

 うちのカミサンの「得意技」です。Yahooでポチポチ、楽天でポチポチ、AMAZONでポチポチ。「購入」ボタンのクリック音が部屋に響きます。ポチポチ。

 まぁ、それでいいのです。彼女自身、子育てで、なかなかショッピングには行けないですし、ストレス解消になるでしょう。ポチポチくらい、「屁」みたいなものです。
 あと、「おいしいもの」をポチポチするので、僕もご相伴にあずかることができます。いわゆる「お取り寄せ」というやつだね。だから、別に大いにやればいいと思っている。

 今日はベーグルでした。うちの朝食はベーグルと決まっているのですね。楽天でも人気のエル・クアトロ・ギャッツから、ベーグルのセットをポチポチしたようです。

エル・クアトロ・ギャッツ
http://www.rakuten.co.jp/els4gats/708563/

 個人的には、かぼちゃの「長いベーグル」がおいしかった。かぼちゃの風味がしっかりしていて、モチモチしていて、大変よい。もちろん、抹茶ベーグルなどの甘いベーグルもよかったです。

bagleIMG_8891.jpg

 ベーグルは日持ちがいいですし、オンラインショッピング向きの食品かもしれませんね。ぜひ、他の店にもチャレンジしてみたいですね。

 嗚呼、ポチポチはなんて素晴らしいんだろう
 ポチポチ、マンセー
 (と書けと言われている)

 ---

追伸.
 ビリーズ・ブート・キャンプ、3日目です。体重は変化なし、しかし、筋肉痛ひどい。このところ、かなり食っているので、「効果帳消し」。ゆえに、この状況がなるべくしておこっていることなのか、よくわからん。
 まぁ、よく考えてみると、1時間運動しても、消費カロリーはたかがしれてるよなぁ・・・。結局、食事制限を併用する必要がありそうですね。まぁ、筋肉引き締めだと思って、気長にやりますけれど。

投稿者 jun : 2007年8月12日 07:51


帰省、そして、ルタオのチーズケーキ

 妻の実家に帰省しました。お世話になってます。関西へは、新しい新幹線N700系で。

n700.jpg

 シート間が広く、また「おむつ替え」のできる多目的室が広いので、子育て中の方にはよいかもしれません。途中、オヤコで爆睡です。

kisei_shinkansen.jpg

 妻の実家では、温泉に入ったり、外に散歩にいったり、ビリーをやったり、ゆっくりさせてもらっています。これを機会に「健康」を取り戻したい。というか、首が20度以上左に曲がりません。あまりの肩こりで。これを何とかしたいです。

 TAKUとも遊びます。

oyako_bakusui.jpg

 ちなみに、昨日は、おいしいチーズケーキをいただきました。あまりにおいしかったので、ここで紹介。

 小樽のLeTao(ルタオ)というメーカーのDouble fromage(ドゥーブル・フロマージュ)というチーズケーキですね。濃厚で、しかもしつこくない。オンラインショッピングもできるようですので、ぜひ。いろいろなフレーバーがありました。

ルタオ
http://www.letao.jp/

chesecake1.jpg

chesecake2.jpg

 ややツライのは、このチーズケーキのカロリーで「ビリー帳消し」になってしまうことです。死にそうになりながらビリーのブートキャンプをこなしたのに・・・これがツライですね。

 まぁ、気長にやります。

penguin_takuto2.jpg

sera.jpg

投稿者 jun : 2007年8月11日 07:53


ビリーズ・ブート・キャンプ(BILLY'S BOOT CAMP)予習

 今日から7日間、遅ればせながら、「ブートキャンプ」に入隊することになった。このところ、お腹まわりにうっすらと「脂肪」がつきはじめていたのだけれども、それを何とか解消したいと思う。

billy_boot.jpg

 30を超えたあたりから、人は、フツウに食べていても、自然と体重が増加していく。基礎代謝が減っているので、日々何らかの運動をすることなしでは、そうなってしまうのだろう。でも、そうはいってもね、なかなか運動なんてする時間はないよねぇ。フツウに生活していれば、少しずつ痩せていった10台の頃とは、雲泥の差である。

 昨日は、前夜祭(?)ということで、「明日からどんな運動があるのか」を把握しておこうと思い、DVDを見てみた。中原、「予習・復習」は欠かさない。
  ・
  ・
  ・
billy_boot2.jpg
  ・
  ・
  ・
 これ、明日から、死ぬかも・・・。

 ブートキャンプから、生きて帰ることができるかどうか、不安になった。特にヤヴァそうなのは「ビリーバンド」。これ使って運動するのは、かなりキツイんじゃないだろうか。

 今日から何回かレポートします。

投稿者 jun : 2007年8月10日 06:21


「組織の中で働く大人」を元気にする学問

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 日本の大学に「足りてないもの」って何でしょうか?
   ・
   ・
   ・
 ひゃー、こんな問いを投げかけると、

「あれも、これも、それも、どれも、しまいにゃ、全部足りてない、イケてない、コルァ」

 と口角泡を飛ばして怒り狂う人とかが、必ず出てきます(笑)。それだけ期待されているということなのでしょうね、その期待にはなるべくはやく応えられるとよいのですが。
 
 あるいは、「アメリカの大学ではね・・・」「イギリスの大学ではね・・・」とかいう、いわゆる「ではの神」が、どこからともなく登場してきそうです。

 まぁ、人によって、日本の大学に「足りてない」と思っているものは違うんでしょうね。隣の芝は青く見える的なところもありますので、どうしても、日本の大学はくすんで見えます。

 しかし、話を僕の研究領域に限っていうと、やはり、「組織と学習」「大人と学習」に関する「大学院レヴェルの学位取得プログラム」が決定的に欠けているように、僕には思えます。ゆえに、同領域に関する専門的知見を有する人材養成が難しい状況になっているのではないでしょうか。

 これらの領域は、心理学、社会学、経営学、教育学、すべての学問のメインストリーム「ではなく」、いわゆる「ザ・傍流」。管見ながら、現在の日本の大学では、複数の授業から構成される専門カリキュラムとしては構成されていません。また、専門学位に結びつくような教育プログラムとしては成立しないように思います。

 よくて、教えることのできる先生が1人か2人いて、単体の授業がひとつかふたつあるくらい、ではないでしょうか。

 もちろん、これらの領域の「傍流っぷり」は、日本の大学に限ったことではありません。海外の大学でも、同じような感じに思います。心理学や経営学では知りませんが、教育学では、似たり寄ったりのように思います。

 ただし、僕も敢えて「ではの神」になってみますと、アメリカとかイギリスの場合、カリキュラムをもち学位をだしている大学が、「ない」わけではない。少なくとも「ある」のです。そこが日本と違うところのように違います。

 たとえば、泣く子も黙るコロンビア大学ティーチャーズカレッジでは、MA of Adult Learning and Leadershipという学位取得コースがある。

コロンビア大学
http://www.tc.columbia.edu/academic/o&ldept/adulted/

 ちょっと実務よりにはなりますが、組織開発の実務家のあいだでは、ケースウェスタンも有名だそうです。

ケースウェスタンリザーブ大学
http://weatherhead.case.edu/mpod/faculty.cfm

 イギリスでは、ランカスター大学には、やはり「Department of Management Learning & Leadership 」というのがあるのです。そして、ここから数多くの「organizational learning」「management learning」のマスター、ドクターを排出している。

ランカスター大学
http://www.lums.lancs.ac.uk/Departments/DML/Research/

 もちろん、これ以外でも、いくつかの大学で、「組織と学習」「大人の学び」に関する専門人材の養成が行われています。

 話をまとめます。

 僕は、「組織と学習」「大人と学習」に関する「大学院レヴェルの学位取得プログラム」が、この国の大学にも必要だと思っています。そして、それを修めた人材が、社会のいろいろな場面に出て行くことが重要だろう、と。

 そうすると、長期的視野にたてば、日本の「組織」、日本の「会社」、日本の「学校」が元気になるのではないか、と本気で信じています。「子ども」も重要です。でも、同時に「大人が元気になること」も重要なんだろう、と思うのですね。

 あまり賛成してくれる方は少ないのですが、まぁ、そのために今後も研究、社会活動を続けていきたいと思っています。

---
追伸1.
 9月7日(金)東京大学・安田講堂にて開催される「ワークプレイスラーニング2007:ミドルの学びを支援する」です。おかげさまで募集からわずか1週間で300名を超えるご登録をいただきました。ありがとうございます。

 まだご登録がお済みでない方、ぜひ、この機会に東京大学にお越しください。

■申し込みページ
http://www.educetech.org/test2/

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-----

追伸2. 今日の興味深かった記事

 今の男の子は強さにあこがれなくなった。「若者殺しの時代」などの著書がある堀井憲一郎さんはそう分析する。

 昔は戦争や経済競争に駆り立てるため、男の子に対して「戦って、買って、強くなれ」という教育がされたが、「そんなことを言っても、女の子にモテなくてシンドイだけ」と思われるようになったという。

(8月9日朝日新聞27面「消えた男の子」より引用)

 分析の賛否はともかくとして、僕が子どもの頃は、「ケンカして泣いてかえってくるな、やりかえしてこい」と言われて育てられた。「強さ」は男の子育てを語る中軸のひとつであったことは間違いないように思う。

 今は、どのようにして育てればいいのだろう。モテろ? それも何だかなぁと思う。なんか、「勘違い男」を育ててしまいそうな予感。
 
 男の子を育てるとき、どういうメッセージを送ればいのか?

 そんな疑問を持ちながら、我が家では、一方で息子にネコミミをつけて喜んでいる。矛盾。誤解を避けるために言っておくが、僕もカミサンも「アキバ系」ではない。

nekomimi.jpg

投稿者 jun : 2007年8月 9日 08:29


研究者とネーミング:岩永嘉弘著「すべてはネーミング」

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問題.下記は「何」でしょう?

【グループ1】
 花束
 ドアドア
 THE SLIM
 シェイプル
 TANTO

【グループ2】
 王朝
 世界
 嵯峨
 高雄
 薔薇

 ・
 ・
 ・
 ・
 ・
 わかりました?

 答え。
 グループ1は「ナショナル冷蔵庫の名前」。
 グループ2は1970年代のテレビの名前です。

 どうですか、わかりましたか? 懐かしいなぁ、と感じた方もいらっしゃるかもしれない。僕はほとんどわからなかったけど。

 グループ2は、今から考えればスゴイね。「王朝」「嵯峨」「薔薇」・・・。おおよそテレビの名前とは思えません(笑)。「薔薇」はいかがなものか、と思うし、全体的に「場末のスナック」の名前のように感じてしまいます。ヘビーだ、ヘビーすぎる。

 まぁ、それだけ、当時のテレビはドカーンとしていたんだろうね、フィジカルにも、エコノミカルにも。清水の舞台から飛び降りる覚悟で、「どかーん」と買ったのでしょう。で、お茶の間に「どかーん」と据えた。「あちょー、王朝」ぐらいの勢いで(意味不明)。

 ---

 ネーミング業界の第一人者・岩永嘉弘さん著「すべてはネーミング」を読みました。

 岩永さんといえば、爆笑系エッセイスト原田宗典氏の師匠にして、下記のようなネーミングで有名な方です。誰もが、いくつかは聞いたことがある名前ですね。

 からまん棒
 IO-カード
 ASTEL
 saita
 MyCity

 からまん棒は「洗濯機」。IO-カードはJRですよね。ASTELは「明日のテレホン」ということで、電話会社の名前。saitaは、イトーヨーカドー系の女性雑誌。MyCityは新宿駅東口につながっているデパート?の名前。

 本書は、岩永さんが、自身の仕事を振り返りつつ、「ネーミングとは何か」「ネーミングの作業は、どのようなプロセスで行われるか」について、軽い口調、口語体で語っている本です。2時間ほどあれば読めちゃう内容です。

 ---

 ネーミングについては、僕、ふだんから考えさせられることが多いです。といいますのは、仕事柄、よく名前をつけることが多いのですね。

 研究者の仕事は、オリジナリティが核になる仕事です。ですので、「すでにある、名前の決まっているもの」のバージョンアップを考えるということは、あまり多くないのです。多くは「新しいもの」と関わります。だから「新しい名前」が必要になる。

 開発したシステムやワークショップ、研修への「命名」、本の「命名」、イベントの「命名」、日々、ネーミングと向き合っているといっても過言ではありません。

 そして、このネーミングが非常に大切だったりする。たとえば、システムだったら、間違っても、「暗記君」「問題解決君」とか、そういうベタベタな「○○君」ネーミングは避けた方がいい。

 たとえば、ある学生さんが自分の開発した「教育システム」に名前をつけるとします。このネーミングいかんでは、その教育システムを誰かに使ってもらうときに行わなければならないインストラクションの量が半減することもある。

 よいネーミングだと、「あっ、あれね」とすぐにわかっちゃうのですね。逆に悪いネーミングだと「なかなかやるべきことがわからない」。

 ユーザーに使い方を説明しているうちに、「なんか、使うのめんどくさくねー」ということになりがちで、盛り下がっちゃう。だから、ネーミングは読んだだけで何をすればいいのかわかるものが必要です。

 イベントなどのネーミングは、さらに重要です。同じイベントでも、そのタイトルの付け方で、全く人の入りが違ってくる。本当に不思議なものです。

 余談ですが、でも、人の入りって、読めないんだよな。自分としては、イマイチだなぁ、と思ったネーミングのイベントのときに人が集まって、かなりひねったネーミングをしたときに、閑古鳥が鳴くといったことがよく起こります。ひねり過ぎだよ、それ、遠くてわかんねー。まぁ、修行が足りないのでしょう。

 それと似ているのは「本のネーミング」ですね。本もタイトルの付け方次第で売れ行きが変わりそうですね。個人的にうまいなぁ、と思っているのは、上野千鶴子先生なのですけれども。

「スカートの下の劇場」
「女という快楽」
「<私> 探しゲーム」

 なんかは秀逸だと思います。

 これはネーミングではないけれど、そもそも考えてみれば、グラントのタイトルのコピーライティングほど重要なものはありませんね。

 たとえば文部科学省の科学研究費は30字?だったかな、タイトルの文字数が決められていますが、この文字数の中で、ややこしい専門用語をいかに翻訳して、その研究がどんな価値をもっているかを表現しなくてはなりません。このあたり、いつも悩ましいところです。

 その字数の中で、「専門家ではない人が読んでもわかる」タイトルをつける、なるべく簡単にするというのが僕の戦略ですけど。これがよいのかどうかはわかりません。

 ネーミングとか、コピーライティグというと、「そんなもの、本質的じゃない、要するに中身だ」とおっしゃる方もいるかもしれないけど、僕はそれは違うんじゃないかなと思うんです。

 うまいネーミング、コピーライティングができないと「その素晴らしい中身」さえ体験してもらえない、実現させてもらえないということがおうおうにしておこるのですね。

 それに、うまいネーミングができる、コピーライティングができるというのは、要するに「中身で伝えたい内容がはっきりしている=コンセプトワークがきっちりできている」ということなのではないかと思うのです。

 みんな忙しいのです。ある一定の認知的資源で、ものごとを判断し、意思決定しなければならない。そうだとするならば、彼らに「1行」でクリアな意味を伝え、判断材料をあげるのは、こちらの仕事ではないか、と思います。

 ちょっと横道にそれるけど、あるテレビディレクターと話していて、彼女がこんなことを言っていた。

「番組の企画書はA4一枚が勝負。A4一枚で伝わらないものは、番組をつくっても、どうせ伝わらない」

 この場合、スペースというのを敢えて制約にして、ディレクターに番組企画をエラボレートさせているとも考えることができます。

 とにもかくにも、僕は、研究者にはネーミング、コピーライティングのセンスがなければね、と思います。新しいものの「とらえ方」を提案し、その「とらえ方」に人を魅了するネーミング、コピーライティングを行う。分野にもよるのかもしれませんが、そういうことが重要な分野は確かにあります。
 自分には、生来、この手のセンスがないので、ため息混じりに、この手の本をよく読んで、勉強しているですけどね。

 なかなか、なかなか、自分の気に入る名前さえつけられません。いわんや、他人をや。修行、修行。

投稿者 jun : 2007年8月 8日 07:32


小さくつくって、他者に晒して、大きくする

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 前にどこかで話したかもしれませんが、何かを成し遂げようとする際には、2つのやり方があるように思います。

 ひとつは完全完璧なプランを練り上げた上で、それをひとつずつ「カタチ」にしていこうとするやり方。

 もうひとつは、プランはややおおざっぱにしつつ、小さなところから「カタチ」にしてみて、修正を繰り返していくやり方。

 僕はどちらかというと、「手」「足」が動かす人間なので、おおざっぱに自分でプランをたてたら、何でもいいから、手足をバタバタさせて動いてみます。「アタマの中だけで考えること」よりも、「動きの中で考えること」をよしとします。

 最初に練り上げたプランはおおざっぱなんだけど、小さなカタチをつくっていくと、より話が具体的になりますね。そこがチャンスです。

 話が具体的になると、とにかくいろんなところで話し始めます。そうすると、あらぬ方向から、他人からツッコミを受けます。で、それをありがたく拝聴し、さらに自分のプランを練り上げることをよしとします。

 協調学習の研究を長くやっていたせいでしょうか・・・僕一人で考えられることはたかがしれてる、という信念があるせいかもしれません。あるいは、自分のツメの甘さ、能力の限界をよく知っている。

 ふつう協調学習の環境は、教師や第三者がセッティングするものですね。ほれ、ここで学びなはれ、と。で、そこで学生が学ぶ。でも、僕の場合は違う。「協調学習環境」を自分で自分のためにセッティングして、自分が一番利用しているのかもしれません。

 こんな感じで、自分の思考のあり方と自分の研究は密接に絡み合っています。それは切ってもきれないもののようです。

投稿者 jun : 2007年8月 7日 07:50


誰にとってのユートピアか?:オープンエデュケーションの果てにあるもの

 教材がネットで無料で公開されることを「オープンエデュケーション」といいます。MITが2001年にはじめたOCW(オープンコースウェア)を「第一次ブーム」とするならば、今、米国では「第二次ブーム」を経験しています。

 このムーブメントの果てには、どんな未来があるのでしょうか。

 有料の教材が成り立たなくなる?
 リナックスのような強固なビジネスモデルができる?
 
 そこにあるのは、ユートピアでしょうか?
 それは教材のサプライヤーにとって?
 それとも学習者にとって?

 次回BEAT公開研究会で、オープンエデュケーションの未来をかいま見てみませんか?

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公開研究会「BEAT Seminar」2006年度第2回:
「オープンエデュケーションが切り開く未来~
-Education 2.0:OCWの次にくるもの-」
~8/25(土)開催!
☆★☆ 登録お早めにどうぞ! ☆★☆
http://www.beatiii.jp/seminar/

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2007年度第2回となる8月のBEAT公開研究会は、
「オープンエデュケーションが切り開く未来
    -Education 2.0:OCWの次にくるもの-」
というテーマで開催します。

インターネットとマルチメディアテクノロジーの普及
によって、教育テクノロジーや教材の公開が推進され
ています。しかし、これらの教育資産のオープン化が、
グローバルな「教育的な知識や経験の共有と蓄積」や
ローカルな「教えと学びの質的な改善やイノベーショ
ン」に真に寄与するためには、「私たち一人一人が、
自由に教え合い、学び合うことを支援する新たな知的
環境」の構築が不可欠です。

今回のBEAT Seminarでは、世界的な広がりをみせるオ
ープンエデュケーション・ムーブメントを様々な視点
から検証し、「テクノロジーが教育の文化やシステム
の変革をどのように促進できるか」という可能性を探
ります。

次回 BEAT Seminar は、日程が8月25日(土)に変更
になりました。お間違いのないよう、また沢山のご来
場をお待ちしております。

■テーマ
「オープンエデュケーションが切り開く未来
  ―Education 2.0:OCWの次にくるもの―」

■主催
 東京大学大学院 情報学環
 ベネッセ先端教育技術学講座

■日時
 2007年8月25日(土)午後2時より午後5時まで
 (9月1日から変更となりました)

■場所
 東京大学 本郷キャンパス 理学部1号館内 小柴ホール
 http://www.beatiii.jp/seminar/seminar-map31.pdf/

■定員
 100名(お早めにお申し込みください)

■参加方法
  参加希望の方は、BEAT Webサイト
 http://www.beatiii.jp/seminar/
  にて、ご登録をお願いいたします。

■参加費
  無料

■内容
1. 趣旨説明 14:00-14:10
  BEATフェロー 中原 淳

2. 講演 14:10-16:10(休憩適宜含む)
 ●教育におけるオープン・イノベーション:
  大学改革からナショナル・インターナショナ
  ルな教育開発まで
  Dr. Vijay Kumar
 (Director, Office of Educational Innovation and
  Technology, MIT)

 ●開化する教育・進化する教育・深化する教育
  飯吉 透 (BEAT客員教授/カーネギー財団
  知識メディア研究所 )

 ●日本の教育システムにおける諸課題とオープン
   エデュケーションが提起するもの
    山内 祐平(BEAT併任准教授/東京大学)

3. フロアディスカッション 16:10-16:30

4. パネルディスカッション 16:30-17:00
 「Education 2.0:オープン参加型の学習社会の
  実現を目指して」
  司会: 中原 淳
  パネラー 飯吉 透・Vijay Kumar・山内 祐平

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投稿者 jun : 2007年8月 7日 06:50


「組織学習」の一冊:DHBR編「組織能力の経営論」

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 ダイヤモンド・ハーバードビジネスレビュー編「組織能力の経営論」を読んだ。

 本書は、ハーバードビジネスレビューに掲載された、クリス=アージリス、野中郁次郎、エティエンヌ=ウェンガー、などの「組織学習」「学習する組織」に関係する論考を集めたもの。1冊で、有名な論文がまとめて読めるので、お得感が高い。

 個人的にオモシロイなぁと思ったのは、スタンフォード大学経営大学院 ジェフリー・フェッファー教授のエビデンスマネジメント。

 昨日の話と少し通じるところもあると思うので、少し長くなるが、下記に引用してみよう。

「医者の診療行為が、どの程度エビデンスに基づいているか」

 という話である。

 -----

「本当に実効性のある治療法に関する最新かつ最善の科学知識に基づいて、医療上の意思決定を下すべし」

 これこそ、この10年以上医学界に一大旋風を巻き起こしてきた斬新な考え方、いわゆる「エビデンスに基づく医療:EBM(Evidenced-Based Medicine)」である。

(省略)

 このように聞いて、「笑止千万。そもそも医療上の意思決定のよりどころになるものにエビデンス以外ないではないか」と思われる向きは、これまでの医療の実態についてはなはだ認識不足である。

 たしかに、研究成果は簡単に手が届くところにある。つまり、医療方法や医療用品に関する研究は、毎年何千件となく実施されている。しかし、残念ながら、医師たちはこれらの研究成果をあまり活用していない。

 最近では、医師たちの意思決定のうち、エビデンスに基づいて下されたものは、約15%にすぎない、という調査もあるくらいだ。

 医師たちは、エビデンスの代わりに、たとえば学生時代に学んだ時代遅れの知識、検証されていない長年の慣行、経験の寄せ集めからなる行動パターン、おのれが信奉するお得意の治療法、製品やサービスを売り込むために群がる企業からの情報といったものに頼っているのだ。

(同書より引用)

 -----

 ・・・非常に考えさせられる話である。

 まず、患者としては、自分に施される行為の背後には、15%の根拠しかないのか、と思ってしまう。

 しかし、ドナルド=ショーンが明らかにしたように、専門家とは「ルール」を「技術的合理性」に適用する主体ではない。15%という数字が高いか低いかには議論が分かれるが、概して「そういうものだろうな」とも思う。

   ・
   ・
   ・

 そのほか、心臓外科手術のチームの「学習」の問題を扱った、ハーバードビジネススクール准教授 エイミー=エドモンソンの論考も面白かった。

 心臓外科チームが、新しい術式を学ぶときに、どのような障害を経験するか?

「チーム学習にはどのようなリーダーシップが必要か」という話であった。一見相反する「チーム」と「リーダーシップ」が「学習」という文脈で語られていることがオモシロイ、と思う。

 -----

 それにしても、ここ最近、ダイヤモンド・ハーバードビジネスレビューは、人材育成、組織、学習のアンソロジーが、続いて出版されている。下記の書籍も、お得感があってよい。

投稿者 jun : 2007年8月 6日 08:08


「教育研修」を支える「基礎研究」

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 先日、ある人と話していたとき、米国Center for Creative Leadership(CCL : クリエイティブリーダーシップ・センター)の話題になった。

Center for Creative Ledership
http://www.ccl.org/leadership/index.aspx

 CCLは言うまでもなく「リーダーシップ教育」の総本山。全世界の人々に対して、独自性ある教育研修プログラムを提供している。それは、非営利団体(NPO : Non Profit Organization)でありながら、その名声は、b-schoolをしのぐ勢いであるとも聞く。

 でも、僕らが思わず唸っていたのは、そのことではない。それはCCLが最大のリーダーシッププログラム提供機関であるのと同時に、その事業を裏打ちする学術基礎研究を多数生み出していることについてである。

 要するに、そこは、「人を育てる機関」であるのと同時に、「人を育てる科学」を生み出す機関でもある。

 CCLの学術研究はつとに知られているので、あまりここでは述べない。マッコールらによる、人間の成長プロセスをおった、いわゆる「一皮むける」系の研究はよく知られている(最近は熟達化研究や教師研究にも一部で応用されている)。

 また、CCLではマニアックなリサーチハンドブックをいくつも出している。特に「The Center for Creative Leadership Handbook of Leadership Development」と「The Handbook of Leadership Development Evaluation」は、その厚さからいっても、また、その内容の濃さからいっても、スゴイなと思った。

 これらのハンドブックは体系的であり、網羅的である。「リーダーのことなら何でもござれ」と言わんばかりだ。

 また、たとえば「学校」とかに関してリーダーシップを考えるならば、下記のようなハンドブックと重ね読みすることで、また新たな発見があるかもしれない。

 とにもかくにも、地道で網羅的かつ体系的な基礎研究があった上で、エビデンスに支えられた教育」、いわゆる「人を育てる科学に裏打ちされた教育」が可能になる。それが全世界の人々を引きつけてやまない魅力あるプログラムをつくる秘訣かもしれない。

 ひるがえって、我が国はどうだろうか。
 教育研修事業の裏には、基礎研究の部門や機能が存在しているだろうか。長期的な視野にたって、研究投資を行う意思決定がなされているだろうか。インハウスでリサーチャーを抱えることが難しいのであれば、せめて大学などの外部機関と連携してリゴラスな調査研究を進めているだろうか。
 もちろん、あるところにはある。きちんとやっているところはやっている。しかし、ないところにはない。また、やっていないところは、全くやっていない。そして後者の方が圧倒的マジョリティを構成する。 

 通常の事業会社の人材育成部門やラインの人々が、そのような基礎研究を行うことは難しい。それは無理だし、そうするべきでもない。
 だけれども、せめて教育研修を主事業とする企業においては、それを支えるアカデミックな調査研究が必要だと思う。そうでなければ、みずからの事業に、どんな「エビデンス」をもちうるか、そして何より、どんな「コンフィデンス」を感じうるか。

 「教育研修」を裏打ちする「基礎研究」、そしてそれを支える機運が、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、あってよい。

 個人的にはそう思う。

投稿者 jun : 2007年8月 5日 06:34


新聞紙がなくなる日!? : 米国新聞の脱ペーパー化

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 8月3日朝日新聞2面記事「米国新聞の脱ペーパー化」を興味深く読んだ。

 記事によると、世界一権威のある新聞「ニューヨークタイムス」のサルツバーガー社主が、ダボス会議で下記のような発言を行ったそうだ。

「5年先まで印刷しているかはわからない。印刷しなくなっていても、わたしはかまわない」

 また、ネット業界の巨人マイクロソフト社のビル=ゲイツ会長も下記のように語る。

「5年以内にすべての新聞はオンラインになる」

 ---

 とどまるところを知らない「新聞のネット化」の動きの中で、米国新聞業界は、今、「変化」を余儀なくされている。

「リーダー(読者)」という呼称は、「オーディエンス」に変わった。編集の仕方が変わった。24時間いつでもパブリッシュが可能になった。
 記者ブログがはじまり、記者本人が登場するビデオも、そこに投稿されるようになってきた。花形記者が書くブログが、人気を博するようになった。
 どの「変化」も、旧来の「権威」に満ちた新聞業界からは考えられないことである。

 しかし、不幸なことに、ネットで無料で提供される情報から収益を生み出すビジネスモデル - つまり、新聞の次世代のビジネスモデル - は、見いだせてはいない。

 記事に貼り付けられる「広告」は、その可能性のひとつだ。しかし、ネット新聞でもっともアクセス数の多いニューヨークタイムスでさえ、広告からの収入は、全収入の1割にしか満たないという。これでは立ちゆかない。

 ---

 家庭への宅配システムが完備されている日本の新聞業界は、米国ほどドラスティックな変化がすぐに起こることはないだろう、と言われている。

 しかし、内閣府の調査によると、「若者の新聞離れ」は非常に深刻だそうだ。今、20歳前後の若者の22.3%が新聞を全く読まない層、いわゆる「無読層」にカウントされるそうである。それに対して、インターネットを毎日利用している割合は、57.3%になる。

 ちなみに無読層の増加は、メディア先進国米国では、さらに先んじている。調査の年齢層が違うので直接比較はできないけれど、ハーバード大学ケネディ行政大学院の調査によると、米国の中学・高校生に相当する12-17歳の回答者のうち、28%は時事ニュースにほとんど関心を払わず、新聞を読まない中高生も46%に上っている。

 いずれにせよ、遅かれ早かれ、日本の新聞業界も、何らかの対策を打たなければならないときはくる。現在は、「アッパーカット」のような強い衝撃はないけれど、「ボディブロー」を受け続けているような状況なのだから。

 新聞とは何か?

 5年以内にペーパーレス化が進行したあとに残るものは何か。僕は「毎朝、コーヒーを飲みながら新聞を読むのが好き」なだけに、余計、考え込んでしまう。

投稿者 jun : 2007年8月 4日 08:13


セカンドライフ(Second life)と教育

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 大学院授業「デジタル教材設計論」が終わった。最終回は「セカンドライフと教育」。3D仮想環境「セカンドライフ」を教育に利用するのだとしたら、どのように活用が可能かをみんなで考えた。

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 セカンドライフ上には、様々な教育リソースが日々構築され始めてきている。

 もっとも有名なのは、大学がつくる仮想キャンパス。
 現在のところ、アメリカの85の大学、イギリスの15大学が、セ

 これらの学校では、主に、1)キャンパスツアーが組まれていたりカンドライフ校を開設したようだ。、2)講義のネット配信などが行われていたりする。

 が、僕の訪れる時間が悪いのだろうか、これらの仮想キャンパスで利用者を見たことはあまりない。最初は物珍しいので、人が集まったけれど、そのあと「閑古鳥が鳴く」というのが定石なのかもしれない。

 日本でも、いくつかの大学がセカンドライフキャンパスの構築にのりだしている。今後どのように仮想キャンパスを位置づけ、どのような運用を行うのかが、課題であるように思う。

大学講義をセカンドライフ 慶應義塾大学
http://jp.ibtimes.com/article/biznews/070731/10435.html

 そのほか、セカンドライフの教育利用ということになると、1)シミュレータとしての利用、2)クリエイションの場としての利用、ということになるだろうか。

 シミュレータとしての利用とは、セカンドライフ上に物理シミュレーションなどを構築し、レジデントに自由に利用させるというものである。

 昨日の授業の発表によれば、「TUNAMIのシミュレータ」とかが有名であるようだ。これは、TUNAMIの発生から終わりを実際に見ることができる。

tsunami.jpg

 2)クリエイションの場としての利用とは、セカンドライフをデザイン教育の場、クリエイションのための創造環境として位置づける場合をいう。たとえば建築家たちが、建物を自分でデザインし、セカンドライフ上で構築し、エキシビジョンを行うような場合をいう。

 言うまでもなく、セカンドライフでは、仮想オブジェクトを自分でデザインし、つくりだすことができる。そして、それを他者と共有・交換することができる。ここが、情報環境としてWebとセカンドライフを比較した場合、セカンドライフが圧倒的優位にたつ部分である。

 設計図のみを与えられ、あとは自由に建物をデザインし、建設するという大学院等の授業やコンペも行われているようだ。

 ---

 セカンドライフに関しては、いくつか思うところがある。

 まずひとつめ。それは「曇りのない目で真価を見つめよう」ということである。儲かるか、儲からないかではない。それは、どのような教育的価値を提供できるかを、自分のアタマで判断した方がよい、ということである。
 
 けだし、日本でもセカンドライフの受容は、あまりにコマーシャル的でありすぎた。「絶対、ここで儲けたるー」と鼻息洗いビジネスマンが、ビジネスツール、マーケティングツールとしてセカンドライフをとりあげ、マスメディアもそれにのったことが悲劇のはじまりであるように思う。

 だから、教育業界の人たちの多くは、セカンドライフなどの3D仮想環境に、非常に懐疑的な目をおくっている。そしてその気持ちもわかる。

 でも、オモシロイことに、講演や授業などで「セカンドライフを実際に利用したことのある人はどのくらいいますか?」と問うと、ほとんどいない。自分で利用したこともないのに、「いい悪い」をマスメディアの情報だけで判断している傾向があるように思うのは、僕だけだろうか。

 新しいメディアの可能性は、じっくりと見つめる必要がある。そして、それには時間がかかる。曇りのない自分の目で、その真価を見つめる必要がある。

 ふたつめ。
 セカンドライフの教育利用で、もっとも注目するべきは、やはり「モノを自分でつくることができる」ということにつきる、と思う。

 セカンドライフは、Social Constructivistが泣いて喜ぶような自由なコミュニケーションを行える場でありながら、同時に、パパートなどの主張するConstructionism的な環境を提供する。ここが一番オモシロイところであると思う。そこは、「Learning by designing:人はものをつくりながら学ぶ」的な教育理論が、もっともマッチしやすい世界である。

 しかし、原理的には、オブジェクトを自由にConstructできるのであるが、そのハードルはかなり高い。この敷居がもう少し低くなれば、また教育利用の可能性が飛躍的に高まるのではないか、と思う。

 みっつめ。
 昨日の授業で僕もはじめて知ったのであるが、現在、オープンソースのメタバースをつくる動きが加速しているのだという。

 ひとつの企業でメタバースが運営されるのではなく、Open Sourceを用いて自由にメタバースを構築できるようになり、かつ、それが相互に接続できるようになると、飛躍的に世界は広がる。メタバースのDNSサーバみたいなものができると、Webの3D化という事態も、もしかすると、現実におこるかもしれない。

 いずれにしても、この現象は、注意深く、冷静に見ていく他はない。そのことだけは間違いのないことのようである。

投稿者 jun : 2007年8月 3日 08:43


堤宇一(編)「はじめての教育効果測定―教育研修の質を高めるために」を読んだ!

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 堤宇一(編)「はじめての教育効果測定―教育研修の質を高めるために」を読んだ。セオリーから具体的な手法の解説まで全体をカバーしており、大変わかりやすい内容であった。特に、教育評価に悩む実務家の方々におすすめしたい。

 これまで「教育評価」に関する一般的な概論書はあったものの、現場でコンパクトに実施できる具体的な「教育効果の測定」を紹介した本は非常に少なかった。

 僕も、自分自身がやる研修の中で時に「教育評価」のレクチャーをすることもあるが、本書はその際の参考書としても利用できるのではないか、と思った。

 企業・組織における「教育評価」とは、1)研修の改善、2)研修のアカウンタビリティの確保、3)研修のサスティナビリティの確保のために実施される。

 が、しかし、これを実施するからといって、特段の予算やリソースが組まれることは、ほぼない。ということは、常に、デイリーなオペレーションの中で実施できるコンパクトさ、簡便さが「現場で行われる教育評価」には要求されている。各社ごとに、必要な評価のレベルを見いだし、実行する戦略を構築する必要がある。

 そのために本書はとても役に立つと思う。かゆいところに手が届く。ありそうでなかった一冊である。

 ---

四刷決定!、多くの企業人事部・教育部で一括購入されています。

あなたの会社に、人を育てる科学はありますか?

中原・荒木・北村・長岡・橋本著「企業内人材育成入門」、ダイアモンド社より、好評発売中です! ぜひ、ご一読いただければ幸いです。


投稿者 jun : 2007年8月 2日 07:40


【参加者募集】ワークプレイスラーニング2007@東大安田講堂

 以前から、このblogではすこしお話ししていましたが、ようやく、ご案内できる段階に達しました(ホッ)。

 9月7日金曜日、「ワークプレイスラーニング2007」というシンポジウムを、東京大学安田講堂で実施することになりましたので、お知らせいたします。

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 産学共同のシンポジウムで、主催は東京大学。産業能率大学、ダイヤモンド社、日本能率協会マネジメントセンター、リクルートマネジメントソシューションズなど各社から協力を得ています。

 副題は「ミドルの学びを支援する」。
 下記の案内にも書きましたが、「曖昧模糊としたミドルの学び」に対して、研究者と実務家が、それぞれの知恵を持ち寄る、というかたちになっています。

 募集は700名。ただ、今後、協力各社から一斉に広報を行いますので、なるべくはやめにお申し込みください。会場の都合で、人数に達したら、募集を打ち切らざるをえない状況です。

■お申し込みWebサイト
http://www.educetech.org/test2/

 産学の共同による開催
 事例発表会社の多様性
 教育学、心理学、社会学の研究者・・・

 ワークプレイスラーニングは、「研修室での学び」と「現場での学び」を結びつけるハイブリッドなコンセプトですが、このイベント自身の企画や運営も、ハイブリッドです。
 このようなカンファレンスは、もう先にも後にもないかもしれません。ぜひ、ふるってご参加ください。
 
 下記は、ご案内文です。
 
=================================================
    ワークプレイスラーニング2007
     - ミドルの学びを支援する -
「組織」と「学習」に関する産学共同シンポジウム

  2007年9月7日(金) 午前10時 - 午後4時30分
    東京大学本郷キャンパス・安田講堂
     http://www.educetech.org/test2/
=================================================

※本案内は転載自由です。お近くの方への転送をお願いします

 あなたの組織には、人を育てる環境がありますか?
            ・
            ・
            ・
 近年、企業人材育成の領域において、ワークプレイス
ラーニング(Workplace learning)という新たなコン
セプトが注目されている。

 ワークプレイスラーニングとは、「"研修"と"仕事
現場における学習"を連携させた学びの姿」である。
様々な施策によって、それらを連携させ、高い学習効
果、組織パフォーマンスを生み出すことが目指されて
いる。

 いまや、若手育成、リーダー養成、マネジメント養
成等の様々な局面において、ワークプレイスラーニン
グの考え方が注目されている。

 このような背景のもと、本カンファレンスでは、
「ミドルの学び」に焦点をあてる。「ミドルの成長や
学習は、組織パフォーマンスの要であること」を指摘
する論文は枚挙にいとまはない。

 が、しかし、ミドルにとっての「学習」のあり方は、
目的、方向性、方法のいずれの側面についても極めて
混沌としているように見える。

 ・・何のためにミドルを育てるか?
 ・・どのような方針でミドルを育てるか?
 ・・どのような手法でミドルを育てるか?

 これらの問いに対する答えは、いずれも曖昧模糊と
しているのにもかかわらず、その「成長の必要性」だ
けが声高に叫ばれ、日々、施策の開発は進められ、現
場で実行されている。
 本カンファレンスでは、ワークプレイスラーニング
のコンセプトを切り口に、ミドルの人材育成事例とそ
れに付随する理論を紹介することを目的とする。

 なお、本カンファレンスは、公共性の高い学術会議
が開催される東京大学本郷キャンパス・安田講堂を会
場として産学協同の体制で開催する。

 社会学、心理学、教育学のアカデミックバックグラ
ウンドをもつ大学研究者と、企業・組織の人材育成担
当者が、ともに知恵をだしあい、ディスカッションを
深め、「ミドルのアポリア」に挑戦する。

 曖昧模糊たる「ミドルの学習」に対する答えは、ど
こかに「ある」のではない。それは、我々が「つくり
あげる」ものである。

 あなたの組織には、人を育てる環境がありますか?

 ワークプレイスラーニング、そしてミドルの学習に
興味・関心をもつ、すべての方々のご参加をおまちし
ています。

 -----

■主催:
東京大学 大学総合教育研究センター
http://he.u-tokyo.ac.jp/
 
 
 
■共催:
非営利特定活動法人 Educe Technologies
(エデューステクノロジーズ)
http://www.educetech.org/
 
 
 
■協力:
学校法人 産業能率大学
http://www.hj.sanno.ac.jp/

株式会社 ダイヤモンド社
http://www.diamond.co.jp/index.shtml

株式会社 日本能率協会マネジメントセンター
http://www.jmam.co.jp/corporate/index.php
 
株式会社 リクルートマネジメントソシューションズ
http://www.recruit-ms.co.jp/index.do
 
 
 
■企画:
東京大学 大学総合教育研究センター 中原淳研究室
http://www.nakahara-lab.net/

産業能率大学 情報マネジメント学部 長岡健研究室
 
 
■日時:
2007年9月7日 午前10時 - 午後4時30分
(9時30分開場)
 
 
 
■定員:
700名
※定員にいたり次第、申し込みを締め切らせていた
だきます。おはやめにお申し込みください。
 
 
 
■場所:
東京大学 本郷キャンパス 安田講堂
http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_00_01_j.html

地下鉄丸の内線本郷三丁目駅より 徒歩14分
地下鉄大江戸線本郷三丁目駅より 徒歩12分
地下鉄南北線東大前駅より 徒歩10分
 
 
 
■資料代・会場費等
1名 2000円
領収書を発行いたします(ただし宛名なし)
 
 
 
■カンファレンス内容

○開場 (09:30)
 
 
○問題提起 (10:00-11:00)
 1."学習者としてのミドル"について考える
   長岡 健(産業能率大学)

 2.ワークプレイスラーニングとは何か?
   中原 淳(東京大学)

 
○ケーススタディ1  (11:00 - 13:00)
 ・ケース1-1
   「職場フォローを強化して"競争に勝てる若手ミドル"を
    育成」(30min)
    東京電力株式会社
    執行役員・総合研修センター所長
    高津浩明氏

 ・ケース1-2
   「経営的視点を持ったマネジャーの
    育成に向けた取り組みについて」(30min)
    YKK AP株式会社 経営管理センター
    人材教育部 ビル建材人材教育室
    室長 脇本歩氏

 ・解説(30min)
松尾 睦(小樽商科大学)
       ・・・心理学の立場から
長岡 健(産業能率大学)
       ・・・社会学の立場から
中原 淳(東京大学)
       ・・・教育学の立場から
 
 ・質疑(30min)
 
 
○昼食(13:00-14:00)
 
 
○ケーススタディ2 (14:00-:16:00)
 ・ケース2-1
   「HOYA:分権化を進めながら経営幹部を育成
    する選抜とOJTのプログラム」(30min)
    HOYA株式会社・グループ人事担当
    HRDセンターゼネラル
    マネジャー 有沢正人氏

 ・ケース2-2
   「個人の成長」と「事業の成長」の両立を目
    指す取り組み(30min)(仮)
    株式会社リクルート
    取締役・執行役員
    水谷智之氏

 ・解説(30min)
松尾 睦(小樽商科大学)
       ・・・心理学の立場から
長岡 健(産業能率大学)
       ・・・社会学の立場から
中原 淳(東京大学)
       ・・・教育学の立場から

 ・質疑(30min)
 
 
○リフレクション (16:00-16:25)
    中原 淳(東京大学)
 
 
○閉会(16:30)
 
 
 
■お申し込み
http://www.educetech.org/test2/
にアクセスいただき、各自、お申し込みをお願いします。
なお、お申し込みが終了次第、「確認メール」をお送り
いたします。

お手数でも、そちらのメールを各自印刷のうえ、当日お持ち
くださいますよう、お願いいたします。
 
 
 
■本カンファレンスに関するお問い合わせ先
特定非営利活動法人 Educe Technologies 事務局長 坂本
sakamoto [ at mark ] tree.ep.u-tokyo.ac.jp

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投稿者 jun : 2007年8月 1日 17:00